小学校5年の夏休みから学習塾へ通い始めた。僕は平均よりもずっと下の頭の悪い階層に属していて、学習意欲については皆無と言える有様だった。学級担任から見ても僕はオマケ児童で教育の対象とは映っていなかったと思う。そしてそれは当時、今よりも遥かに児童数が多かった教育現場において容認されていた普通のことでもあった。「オチコボレ」が標準語になりつつあるそんな時期だったろう。
通い始めた学習塾は小学校のすぐ横にある学力増進会に属していたもので、塾講師は専任ではなく、各教科は大学生か、院生のアルバイトで賄われていた。小・中学生を対象とし曜日によって仕分けされていた。他の学年の塾生がどれほどいたのかは全く知らないが同学年は男子ばかりで5人。そのうち3人が同じ小学校であった。進学塾では決してないその場所は僕にとって学習よりも楽習と言え成績は決して上がることはなかったけれど、初めての友達がそこでできた。
杉原という国語講師がいて、確か慶応大学の学生だったと思う。彼はNHKで放映された「時をかける少女」にでてきたケン・ソゴル役の役者に似ていた。そして大層虚弱で月の半分は代講が立っていた気がする。非常にレアな講師であった。
その彼が新塾生となった僕を迎えた初めての授業の時、黒板に奇妙な帽子の絵を描いてみせた。
「これ、何の絵だかわかる?」
少し女性っぽい口調で生徒に話しかけた。
それは授業とは全く関係がなく、大声を張り上げても授業に集中しない生徒をどうにか引き戻そうとする苦肉の策だった。
コンコンという白墨の軽い音に引き付けられ、僕たちは絵を注視し、思い思いの回答を声にだしたが、そのどれもがハズレで、彼は「これはゾウを飲み込んだウワバミの絵だよ」と笑い、僕らは「へんてこ、全然わかんないよ。ヘタクソ」と指をさして笑った。
今なら簡単なことだけれど彼が話したことはそのままサン・テグジュペリ「星の王子様」の書き出しだった。
彼は絵の説明をしたあと物語を非常に簡略に話して聞かせた。その間、誰も私語をするものはいなかった。そして物語の最後までくると「ここで終わりにしておこう。物語の最後は自分で読むものだから、教えられて知るものじゃないんだよ。興味があったら読んでみるといい。本は読みなさいというものでもないからね」とそう言ってその日の授業を閉じた。
「物語の最後は教えられて知るものじゃない」という彼の言葉は忘れられないものとなり、僕は「星の王子様」を手に取った。

固より僕は読書には興味のない少年で、まして人から勧められたものであれば余計に意固地になって読もうとしなかった。いつであったか石井桃子さんが同じようなことをおっしゃっていらした。
「人から勧められたものは気も進まないし、有り難くも思えなかった。きっと私がつむじ曲がりだったせいでしょう」と。
もっとも石井さんは僕とは異なり読書に対して確固たる意志と指針をお持ちでしたが。
しかしながら読むためには確かにきっかけは必要で、どこかで提示されなければ知らずに終わってしまう。しかし夏休みの課題図書だとか、推薦図書だとか帯の貼られたものは言い方が悪いので先に謝罪しておくけれども、僕にとっては信用がおけないものであり、妙に教育的で指導心に溢れているという嫌味臭がついてまわる気がしていた。皆が同じようなものを読む、まるで洗脳道具みたいだった。
その年の夏休み、読書感想文の宿題が割り当てられた僕は一応書店に赴き一通りを眺めた。すると同級の女の子が親に連れられてそこに来ていて、僕に挨拶をし「宿題を探しにきたの?」と訊いてきた。僕は女の子と話をするのが苦手で黙って頷いた。
「課題図書なんて面白くないよね。学校のプリントで配られたけどあれって何かになるのかなー?課題図書以外は点数が悪いとか言うけど私は題名が面白そうな本を探して最初のページを読んで決めるの。Tくんはどんなの?」
僕は「わかんない。本、読まないから」と答えた。
学校と外ではこうも態度が違うのだろうかと僕は戸惑った。学校では摘み上げるのも憚られるほど気嫌いされている僕にこうも気安く話しかけて来るなんて、と。
その子とは中学は別々になったが奇しくも二次募集という同じ経緯を辿って高校で再会することになる。
僕は杉原先生の言葉を思い出し、彼女の探し方をまねてみることにした。粗筋も結末も知らない自分の本を探してみる気になって、一冊の奇妙なタイトルの文庫本を手にした。
「第三半球物語」。
イネガキ、イナガキ、アシホ?
初版でこそカタカナになっていたが文庫では漢字に改められていた作者名をどう読んでいいのかその時の僕にはわからなかった。
書き方も粗筋も全く違っていたのだけれど「星の王子様」にどこか似ている感じがして、その本の印象は心の中に残り、次の本を呼び寄せることになる。
しかし結論からするとお蔭さまで夏休みの読書課題は今もまだ終わっていない。
「第三半球物語」は読み終えたけれど、それは小説、物語というよりも詩のようで、どれか一つを捉えることはできるけれど全体として捉えるという作業には全く向いていない作品だった。その感想をどうやって書いてよいのか僕の能力の及ぶ範囲ではなかった。
仕方なく配られた四百字詰め原稿用紙2枚に本の題名と学年組、自分の名前を書いて、2行半ほどの文字を置いた。
「何もすることがない時に、ひょいと2メートルも宙に飛びあがって昼寝をする力があれば、僕もそうしたいと思いました。」
赤ペンで「書き直し」と書かれ突き返された原稿用紙が再び学級担任の手にもどることはなかった。
「あと一行足りなかった」とそれを思い返して悔しがるのは、僕もやや「つむじ曲がり」の質があるせいだろうと思う。
・「第三半球物語」稲垣足穂 昭和2年 金星堂(初版)
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