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あめゆき ~ 鎌倉にて ~

 2012年1月20日 千葉。

 予定の時刻を過ぎても到着しないバスを僕はじっと待っていた。体にあたる雨は寒気に煽られて切っ先の鋭さを増すように感じられ、指先を凍らせる。手袋をはめてこなかったことを少しばかり後悔しながら、僕は手を握りしめ少しでも肌にあたる冷たさを遠ざけるようにしていた。明け方から降り始めた雨は正午過ぎには次第に霙混じりになり、一瞬だけ雪に変わった。この雪は長続きはしないな、そう思いながら携帯電話を開いて時間を確認した。時刻表の発着予定時間から既に15分が過ぎている。バスはまだ来ない。でも不思議に苛立つこともなく、ただ雨が雪に変わるのを見ていた。不図、以前にもこんなことがあったのを思い出した。
 
 198X年2月X日、鎌倉。

 僕は下車すべき錦糸町を遥かに通り過ぎて鎌倉にいた。その日も朝から雨が降り続いており、鎌倉駅前のロータリーでバスをぼんやりと待っていた。どこへ行こうとしていたのか、その目的地もバスの行く先も覚えてはいない。恐らく取り立てて行くべき当てのない、いつものことだったろう。
 とん、と後ろから肩を叩かれた。知り合いに会うはずもないと思い込んだ場所で、かつ、どこか後ろめたさを抱いている中でのその時の驚きを僕は文字で表現する術をもたない。ただ息がとまり動悸だけが鼓膜にまで響いていた。
 恐る恐る振り向けば、はらりと傘から滴が落ち、見覚えのある女の子が立っていた。その時の僕の表情はどのようなものであったか、自分では知りえない。緊張で強張っていたことだけは確かだと思う。彼女は「なに怖い顔しているよ」と笑った。
 一年前の5月の終わり頃、僕は学校を通り過ぎ夢遊病者の定型行動のように、やはり何度目かの鎌倉にいた。駅近くの喫茶店で遅すぎる朝食を摂り終わり会計をしようとした時のこと、レジ前で何やらマスターともめているような会話が聞こえてきた。どうやら財布を無くしたか、忘れてきたかした女の子が、飲食代金の代わりに生徒手帳を質草におこうとしているらしかった。僕は面倒に関わるつもりは毛頭なかったし、かと言ってそこへ割り込んで先に店を出るのも気が引けたし、その決着を見届けるという忍耐力もなかった。つまりはその代金を僕が払った。後からの返済など期待もしていなかったから立て替えたつもりはなかったのだけれど、連絡先を交換させられ、律儀な彼女は数日後、電話をよこし手作りのビスケットと共に返済をしてくれた。それ以来、ごくたまにではあるが鎌倉に来ると前もって予定を立てた時は彼女と歩くことがあった。しかしこの日ばかりは不意打ち、偶然であった。
 「下を向いてばかりいるから必要以上にびっくりするのよ。もっと周りをみていないとダメよ。人と会わないようにするには先ず人を見ていないとね。逃げるのにこそこそしていたのでは怪しまれるし、却って人目につくのと同じ。萎縮していたのでは、せっかく学校をさぼって遠足にきているのに楽しめないでしょう?」
 まったく彼女の言う通りかもしれない。自分の決断に後ろめたさを感じびくびくしていたのでは、ただの臆病な逃亡者だ。僕は逃げるために、いや、逃げ出してきてはいるのだが、自分らしい場所を求めてここ鎌倉にきているのだ。少なくとも自分のなかだけではそうありたかった。それから、僕はひとつの言葉を飲み込んだ。君はどうしてここにいるのかと。
 僕の戸惑いを意に介さないように彼女は自然すぎるほどの口調で僕に質問してきた。
 「どこまでいくの?」
 「別に決まってないけど。」
 「ふーん、それじゃ、稲村ケ崎まで行ってみない?」と彼女は言った。
 この雨の中を稲村ケ崎へ行って何があるのかとも思いはしたが、もとより目的など持たない僕には同じことだった。
 「江ノ電でいく?」と僕は聞くまでもないと思ったが一応、伺いを立ててみた。すると彼女は意外にもこう答えた。
 「いいえ、歩いて行きましょう。」
 僕の吃驚ぶりは先刻ほどではなかったが充分にうろたえていた。
 「雨が降っているのに?歩くの?」
 「雨が降っているから歩くのよ」と彼女はさも楽しそうに笑った。どうやら僕はその笑顔に逆らう意思を剥奪されていたらしい。彼女の言う通りに僕は歩きだした。
 しかし和田塚から長谷へと向かったところで彼女は急に気まぐれを起こし和賀江へ行ってみようと言い出した。それほど地理に詳しくない僕でも現在の進行方向から和賀江は正反対であり、天気が良ければまだしも、この冷たい雨の中ではとても歩いていくなどと言う気分の距離ではないことはわかった。
 反論はしなかった。
 踵を返すようにして由比から海岸通りを和賀江方面へ向かった。
 歩きながら彼女は僕にこんな話をしはじめた。
 「ねえ、鎌倉の地名の由来って知ってる?いろいろな説があるのだけど、地形説が一番もっともらしいかな。鎌倉の鎌は竈(かまど)を指していて、倉は谷を意味しているの。つまりね、前方を海にして、背後から囲むように山に守られている地形そのものから派生した地名ってこと。たぶんこれが本当なんだと思う。けどね、もうひとつ、神話によっているものがあってね。神武天皇が東夷征伐のために矢の雨を降らし、その矢にあたって夥しい人々が死んだの。その数は万を超えたと言われていて、その死体を集めた地を見て屍の山、屍蔵、鎌倉となったと言うの。あなたはどう思う?」
 僕は元来、神話など信じてはいないし、あんなものは尊皇主義が生んだ畏敬を強制するためのものだと確信し疑ってもいなかった。そして僕はそのままを彼女に伝えた。
 彼女は「あなたらしいね」と言い、特に怒るとか不愉快になるとかの素振りを見せずに話を続けた。
 「私は、神話説は後世の創作だと思うの。鎌倉幕府に反感を持つ人が作ったのか、それともここから始まった武家社会の戦国序曲への批判だったのか、それはわからないけれど、確かにそういった意味が込められていると思うし、事実、鎌倉幕府の成立には多くの戦争や冤罪、謀略か関わっている。鎌倉幕府以後も太平の世とはほど遠いくらいの死者をだしているでしょう。ここ鎌倉の地から日本の大量殺戮の歴史が始まったの。まさに鎌倉は死の竈だと思う。怨霊が跋扈し怪異が頻発していても少しも不思議じゃない。」
 海岸橋を渡り九品寺の郵便局を過ぎた辺りから雨は雪交じりになってきた。バスが僕たちの横を通り過ぎていく。僕は雨が降りかかる傘を持つ彼女の手が気にかかり、でも、それを尋ねることも出来ずに彼女の後をついて歩いた。
 光明寺の山門まで来ると何を思ってか彼女は寺の中へ入って行った。「講話は一時から始まります」と書いた張り紙のある社務所の前を過ぎ、本堂へと歩を向ける。本堂に着くと彼女は靴を脱いで階段をあがり、その廊下を右へ回って石庭の見える側へ向かった。欄干に手を置き彼女は静かに庭を見ていた。その時になって僕は雨が雪に変わっていたことに気づいた。
 彼女は僕の方を振り向き「ねえ、さっきの総門の左に千手院、右に蓮乗院っていうのがあるの。蓮乗院の門の手前には五輪の塔がたくさんあってね。無縁仏を供養しているのよ。室町時代のものもあるって言う話だわ。それからね、このお寺の向こう側に私がいた中学校があるのは知っているでしょう。その近くには光明寺の廟所があるの」と言った。
 僕はその言葉の後をどう引き継いで良いのかわからなかった。だから、「この雪は積もらないね」と全く違う話をした。
 ほんの少しの間をおいて、彼女は微笑みながら「ここでは雪はどんな降り方をしても積もって残ることはないわ。だから降っている間の自分を覚えておいてもらおうとしているのよ。雪は舞い降るその速さが美しいの。牡丹雪も粉雪もね。森々と、或いは、吹雪くように。」
 彼女はそれだけを言って黙った。

 そうして短い時間、光明寺に足を止めてから僕たちはここから目と鼻の先の和賀江へ向かった。
 降り出した雪は、和賀江に着く頃にはもう雨に戻っていた。



 
 
 
 
 
 
 
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