誘蛾灯 

 夢の話である。

 山なかの参道を歩いていた。時刻にすれば晩の八時か、九時くらいであろう。そんな気がした。
 鬱蒼と覆い被さる杉林。距離を置いて据えられた石灯籠の妙に生々しい火が、ささくれ立った杉の木皮をてらてらと脂ぎった赤銅色に映し、その影を尚一層不安げに塗り潰していた。
 覚えの無い山道。場所は皆目、見当もつかない。なんの手がかりもない。だが、歩きなれた道という感覚だけがあった。
 一人ではない。隣には、奇妙なことに江藤という男がいた。奇妙な、と言ったのは、実は私は彼のことをよく知らない。中学の最後の一年間を同じクラスで過ごしたものの、ほとんど接点がなかった。それでも彼は、まるで親友のごとくに、隣にいた。
 参道は雨があがった直後のようで、私たちは泥濘に足をとられぬよう、ズボンの裾が汚れぬよう気に病みながら、それでも出来るだけ足早に歩いた。
 江藤が口を開く。
 「雨が降って好かったな。これで全部流れて消えているはず。見たくないもんな。あぁっ、でも、足元が悪くなるのだけは御免してもらいたい。」
 彼自身に言ったのか、私に向かって言ったのか。おそらく、そのどちらでもないだろう。単にそんな言葉が口をついただけなのだ。彼は私の相槌など期待してはいない。
 私もそれには答えずに、ただ前を見て歩いている。暗い山道の先に煌々と光る石段が見えていた。
 また江藤が言葉を継ぐ。
 「やっと階段まできたな。これで足元を気にしなくて済む。」
 彼の言葉は、まるで帰り道のことを気に留めていないように聞えた。
 石段の登り口で、ほんの少しだけ足を止める。行く先を確認するように二人とも階段を見上げた。
 敷き詰められた石は、両側に沿って並べられた誘蛾灯に照らし出されて、白く光っている。かなり急な勾配がついていて、先にあるはずの堂の山門すら見えなかった。私たちは並ぶようにしてそこを登りはじめた。
 不意に、ぬらりと、得体の知れないものが擦れ違った。虞が私の歩みを止める。それが誘蛾灯に映し出された自分の影であると理解するまで、しばらくの時間を要した。それほど気が昂ぶっていたのだ。灯りに近づくたびに、影はぬらっと脇を滑って後方にまわり、ひとつ過ぎては、また前方に現れた。
 黙々と登る。江藤が息を切らしている。その呼吸が耳障りなくらいに近くに聞えた。やがて彼は、大きくひとつ息を吸い込んだ。そして、「やっと着いたな」と、それと共に吐き出した。
 石段を登りきり、堂の前に立った。私は、彼よりもわずかに先を歩き堂に向かった。堂の内には仏像もなく、焼香台もなく、ただ薄暗く、風も無く、静かだった。四本の蝋燭が棺を作るように点てられており、その中に彼女は寝かされていた。私たちは彼女に手を合わせた。
 「終わったな。さぁ、帰ろう。」
 江藤が向きを変える。私はすぐに戻る気になれずに彼女をじっと見つめていた。彼女の顔は蝋燭の明かりのせいだろうか、やや紅みが差して見えた。不図、彼女の胸が膨らんだ気がした。
 「何をしてるんだ。帰るぞ。もう終わったんだ。」
 私は動けなかった。江藤が急き立てるように繰り返す。
 「帰るぞ。終わったんだ。」
 私は彼女を注視する。幽かだか胸が上下している。彼女は、呼吸を、していた。私だけがそれに気づいたのだ。
 「まだ生きている。彼女は生きている。」
 私は江藤の腕をとって引き止める。彼は、私を見て繰り返した。
 「もう終わったんだ。もう終わったんだよ。」
 それでも私は彼に伝えようと懸命になる。しかし、言葉は風のようになり、声にならない。次第に江藤が遠ざかる。素早く滑らかに立ち去ってゆく。私は大声で叫ぼうとする。
(彼女は、まだ、生きている!)
 
 そこでいつも眼が覚めた。

 この夢を見なくなって、もう大分経つ。私は諦めたのだろうか。それとも忘れたのだろうか。今となってはわからない。時が経つことによってわからなくなってしまった。
 彼女の名前はいつでも言える。しかし、顔が思い出せない。卒業アルバムを引き出して眺めても、「私の知っている彼女はこんなに無表情な女性ではなかった」と、曖昧な違和感だけが付き纏う。過去になるとは、そんなものなのかも知れない。ただ、今でも、ある一瞬の彼女の声だけは確かに呼び起こせる。
 「太宰治って漢字で書けた?」
 それは彼女と学校で交わした唯一の会話だった。とても柔らかで、とても親しげな声。その時、そこには、彼女と私しかいなかった。

 突然、こんな夢の事を思い出した。

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