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訥々と

 正直な話をすれば僕はそれほど本を読むのが好きではなかった。
 好きではなかった理由をあげろといわれれば「漢字が嫌い」とか「読解が面倒」とか思いつくままに列挙はしてみるが、これといって「これが理由だ」というものがない。
 強いて言うのなら、最後まで読むことに飽くからということになるだろうか?
 拾い読みで内容が把握できるのならそれにこしたことはなかったし、読まずに読書感想文が書けるようなものなら好みを問わずに喝采を送って受け入れた。
 感想文などの課題が出た時には、分かりやすい「あとがき」の付属した本は僕の最大の味方だった。
 それから読んだこともない文学小説の粗筋だけを集めた本を斜め読みして読んだつもりにしておく、会話に困らない程度に。試験や大人たちへの対応にはそれで十分だったから。
 「お前って上げ底の読書家だな」と僕を良く知る友人に言われたことがあったが、それは上げ底に対して失礼でしょう。上げ底にだって底になるだけの厚み深さがある。
 当時の僕を譬えるなら「書き割の読書家」でも厚みがあり過ぎた。
 それが本を読むようになったのは本自体に影響されたからではない。
 たまたま手にとった本が面白く一挙読みしてしまったことから本の世界にのめり込んだ、と言えたら少しは格好がついたのかもと思う。
 嘘でもいいから「路傍の石」に感動したとか書いておけば良かったかもしれない。
 今の時代なら伏見つかさや成田良悟をあげておけば本の世界の面白さを理解してもらえるのでしょうね。森見登美彦や京極夏彦の方がいいかな?
 でも、僕が本を読み始めた理由は「ある女の子に嫌われたくなかった」から。
 ただそれだけ。
 その子が教えてくれた本のいくつか(覚えている限りのタイトル)を歯を食い縛って読んだ。かなり無理して我慢して、頭に入らなくても、とにかく読んだ。
 そうしているうちに僕の部屋はいつのまにか本で溢れ、日常生活でも文庫を携帯していないと時間の過ごし方が不安になってしまうことさえあった。
 無理につづけていたことが自分にとって自然な習慣になってしまうとはこんなことなんだろう。
 「嫌い嫌い」が「好き」とは言わないまでも「いつも」のことなってしまう。
 おかげで現在の僕はそこそこの体感した知識としての本を蓄えることができたと思う。
 しかし、後悔していることがある。
 「なぜもっと早くに本を読むことをしなかったのか。」
 僕は滑り出すのが遅い。
 いつも肝心な時を逃す。
 読書も同じ。
 僕が本を読み始めたのは彼女が亡くなって一年以上も経った頃からだった。
 ある時突然に彼女に対する申し訳なさと恥ずかしさに目覚め、自分の精神世界の狭隘さを痛感した。
 そして、もう居ない彼女に近づくために嫌われたくないためだけに読書を始めた。
 「もし」とか「或いは」というのは僕の嫌いな言葉なのだけれど、もしあの後も彼女が生きていたら僕はもっと彼女を人として好きになっていただろうし、彼女とももっと違った形で時間を過ごしていたかもしれない。
 取り返すことのできない悔恨の時間は終生晴らすことのできない敗北に他ならない。
 僕は「時」に対してそんな敗北感を常に持ち続けている。
 だから今も読書を続ける。
 


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