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鎌倉、始まりの夏(1)

 198X年の7月は確かに仏滅から始まっていた。
 僕にとってあまり良い月周りではなかったので、そんなつまらないことを今もって記憶している。
 と言うか7月1日は思い出を語るにしても憂鬱で億劫になるぐらいに数ある最悪な日のうちのひとつだった。
 嫌なことと言うのは思い出すたびに最悪を更新する。
 だから今は7月1日が最悪だと言いきれる。(もし僕が別の日のことを思い出し落ち込めば7月1日は最悪から二番目となるけれども。)
 もっとも、「では順風満帆な月があったのか」と問われれば、常に「否」と答えざるを得ない。
 それも情けないが、僕には順調な時と言うのが思い出しても見当たらない。
 僕が健忘症で物忘れが酷いのだとしたら、事実としてそこは救われるだろう。 
 しかし嫌なことほど覚えが良い。がっかりするほどの真実である。
 またそういった人生の起伏を「吹く風があり、立つ波があるからこそ生きているのだ」と諭されたら「そうですね」と答えるしかないのも常だ。
 地上に風がそよとも吹かないとしたら生物のほとんどは死に絶える。風はどうしたって不可欠なのだ。
 ジェットコースターだって緩急があってこその享楽であり、人生もそう言った刺激が必要なのは同じことなのだろう。
 それにしたところで、立つ波風は乗り越えられるくらいの適度さに留まって欲しいと思うのは身勝手というものだろうか。
 いずれにしろ7月1日は最悪だったのだ。
 その最悪の翌日に平然と学校へ行かれるほど僕は強くない。
 この頃の僕はむしゃくしゃするとすぐ鎌倉へ行った。
 あの町は落ち着く。
 焦らないで済むと言うのか、歩くことに飽かさせない。歩くと言うその時間の緩やかさを大切にしている町である。
 京都や奈良ほど人も多くは無いし、歩き回れる範囲で満足できる。何より東京からもっとも近い古都である。 
 都会は気忙しいを通り越し、気が狂っている。人も情報も夥し過ぎて僕は吸い込み切れず息ができなくなる。
 だから逃げ出す。
 不器用で優柔不断で意気地なしで頭が悪くて運動嫌いで根気がなく諦め癖がついていて友達も少なくて、そのくせ短気で逆切れしやすくて三歳児の魂が弥勒の来臨まで根に持つような陰険な性格で虚栄心だけは目いっぱい持ち合わせていた、そんなだらしなく情けないのが、僕、だった。

 その日も本来下車すべき駅を遥かに離れ、慣れ親しんだ北鎌倉の駅のホームに降り立っていた。
 平日の午前中、学生の通学時刻も既に一息つき人影も少ない街道沿いを明月院に向かって歩く。すると前方の踏切を渡ろうとする向こう側で女の子が何かを探す素振りをしていた。
 ペールブルーのノースリーブ・ワンピース、白いソックスに茶色皮のスクールシューズ、薄いベージュのクロシェ・ハットにはリボン状のコサージュ。顔は帽子に隠れてよく見えないけれど僕とそう年齢は変わらない感じがした。
 夏の陽を受けたその姿は、モネの描くパラソルをさした女性の絵を彷彿させるものがあり、カメラを携帯していなかったことを少しばかり後悔した。
 僕は怪訝ながらも大事なものでも落とし困っているのかと思い声をかけた。
 「何か失くしものですか?」
 すると彼女は、つと立ち僕を見てこう言った。
 「ナンパの口実をあたえちゃったね。」
 絶句するより早く僕は木枯らしに紅を集める烏瓜よりも見事に赤面した。その反応は濃縮食酢をどぼっとブロモチモールブルー溶液に落とした時よりも速やかだったろう。
 声をかけるのではなかったと言う後悔と、何という失礼な口をきくのだろうと言う憤りが心中に起こったのは言うまでもない。
 が、まるで旧友と再会したかのような、あまりに無邪気に微笑む彼女の前ではそれらはシャボン玉のように一瞬で弾けて消え、顔の火照りだけが残った。
 彼女はスカートの裾の埃を軽く払う仕種をして、白のショルダーバッグを肩に掛け直した。
 僕は「なんでもなければいいんです。困っていたらと思っただけですから」とペコっと頭を下げて通り過ぎようとした。
 すると彼女は「あなたは私と同類の匂いがするね。学校をさぼったでしょう?それに前に会ったことあるし。覚えてる?」と笑う。
 こういう時、僕はどう対処すべきかの行動マニュアルを所持していない。危機管理に乏しいとも言える。
 他人はいつも唐突に想定外のリアクションを要求してくるので、それがいたく苦手だった。
 僕は人の顔を覚えるのが得意ではない。
 特に日常の関わりが希薄なら、それが芸能人だと言われても翌日には忘れてしまう。同級生の名前と顔も未だに一致してはいないのに、ましてどこかで一度会ったくらいの女の子では斯くも当然のことであった。
 「Tさん、でしょう?」と彼女は僕の名前まで知っていた。
 (もしや補導員?)
 (誰に頼まれた?どこの回し者だ?)
 冷や汗が流れ、心臓が早鐘のように鳴る。
 (逃げる?何処へ?もう見つかっているのに?)
 彼女の外見と年齢から冷静に推測すれば全く的外れなことは明白だった。
 焦りは頭の回転を鈍くし適切な判断をしようとする脳を差し止める。
 僕は沈黙した。
 彼女はすっかり呆れた表情で腰に手をあて溜息ひとつ、こう言った。
 「前に鎌倉駅前の喫茶店でお金を立て替えてくれでしょう。まだ三カ月も経ってないんだけど思い出せない?」
 そう言われて確かに思い当たる事実がフィードバックしてきた。
 あの日も僕は決まり切ったように鎌倉にいた。
 駅前の新しくできた喫茶店で遅すぎる朝食を摂り終わり会計をしようとした時のことであった。財布を忘れたとか言ってレジ前で代金の代わりに生徒手帳を質草におこうとしていた彼女に出会った。
 困惑顔のマスターを救うつもりなどなく、ただ単に、果てしない繰り返しに見える押し問答を押しのけて会計をする強さがなかったに過ぎない。
 つまりはその代金を僕が払った。
 返済など期待していなかったから立て替えたつもりはなかったのだけれど、律儀な彼女は数日後、連絡をよこし手作りのビスケットと共に代金を返してくれた。
 だから正確に言えば、この時以外の過去において僕は彼女と二度会っている。

 「思い出しました。あの節はお世話になりどうも有難うございました。」
 僕は何か妙な挨拶だぞと思いながらもお辞儀をした。
 彼女は良く澄んだ声で「あなたがお礼を言うことではないでしょう」と笑った。
 確かにそうだ。お世話をしたのは僕であって、彼女はお世話をされた側なのだ。
 「あの時も変な人だと思ったけれど、やっぱり変わった人ね。あなたって。」
 初対面とも言える相手に遠慮のない言葉をぶつける彼女に僕は少し身を引き気味にした。
 それからとにかくこの場を離れるために「あのぅ、探し物はいいんですか?」と僕は遠慮がちに話題を元に戻した。
 彼女は僕の意図を的確に見抜いたようで、先回りの答えを用意していたかのように答えた。
 「もともと何も探してないから大丈夫。これを拾っていただけ。」
 彼女は掌の中のものを開いて見せた。
 掌中には十数個の艶やかに光ったまだ青味の残る小さな実があった。
 「数珠玉?」
 「そう、数珠玉。良く知ってるのね。なるべく綺麗なものを集めてお手玉にしようかと思ってるの。」
 数珠玉はイネ科の一年草で、その実は乾燥させると色艶を長く保つことができる。そのため子どもの遊び道具の数珠につかわれていた。もちろんお手玉にも。
 「こんな季節に珍しいですね。普通は秋頃なのに。もう集まったんですか?」と僕。
 「別にいつまでに作るとかないし、気が向いた時に拾ってるだけ。そのまま失くしちゃうこともあるしね。できてもできなくてもかまわない。私に作る気持ちがあればそれでいいの。それに何よりもまだ七月なのに珍しいから。」
 彼女はそう言ったあとで持っていた数珠玉を豆まきをするように川面に放った。
 「さて、ここであなたに質問です。きちんと答える様に。」
 彼女は手をぱんぱんとはたいてハンカチでぬぐい僕の方へ向き直った。
 その時、すっかり存在を忘れていた踏切の警報が鳴り、遮断機が降りはじめた。
 「あっちへ行きましょう。」
 彼女は僕の前に立って慣れた足取りですたすたと歩きだした。
 何も彼女についていく謂われはないのだけれど、僕の自由選択の余地は既に消え失せ、完全に主導権は彼女が掌握してい、彼女はそうすることに寸分の疑いも持っていないようだった。
 元来た街道沿いと平行に走る線路際の道を円覚寺の方へ戻る様にして僕たちは歩いた。
 彼女は円覚寺手前の、ともすれば見落としそうな甘味屋の前で立ち止まり「ここ」とだけ言って入って行った。
 
 
 
 
 
 
 
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