高橋真琴先生のお姫様の絵(2)

 5月4日、高橋真琴先生のギャラリーを再訪いたしました。前回は、E-Book社さんの企画で荒俣宏先生が取材にいらしていたため、早々に退散しました。今回は、ご都合が合えば、先生か、奥様に見ていただきたいものがあるので、数点の資料をバッグに詰めての訪問となりました。

  花によせて~ひまわり

 時刻は正午を少しまわったあたり、「お食事の最中かも?」と少し不安ながらもドアを開くと、中央の白い小さなテーブルでは奥様と壮年の男性がお話をされている最中。(これはまた出直したほうがいいかな?)と入り口で逡巡していると、それを見てとったのか、男性が「お客さんみたいだね。いつもでこられるから今日はこれで失礼しますよ」と軽く会釈をして席を立たれました。男性が退室して直ぐに用件を切り出すのも無作法に思え、しばらく絵を眺めて一拍時間をおいて、奥様にご挨拶と先日の非礼をお詫びしました。奥様は覚えていらしたようで「こちらこそお構いもせずすみません」とお気づかいいただきました。挨拶をすませ、持参したバッグからおもむろに2冊の本を取り出し奥様にお見せしました。「実は、1冊は貸本で昭和41年発行のものとわかるのですが、こちらの方はいつの作品なのかわかりかねております。ご覧いただければお教え願えるのではないかと思い、お持ちいたしました。」
 奥様はちょっと手にとり「これは随分と初期のものです。おそらく先生が19歳ころのものかと。いい加減なことを言えませんので、本人に見てもらったほうがいいでしょう。呼んできますのでお待ちください」と奥へいかれました。2~3分のち、もっと短かったかもしれません。直ぐに先生はお見えになられました。

 「よくきてくれました。どうぞお掛けください」と突然の来客にも嫌な顔ひとつせず、むしろ、こちらを落ち着かせるかのような笑顔で迎えてくれました。私は奥様にご挨拶したのと同じく、取材のお邪魔をしたことを詫びましたが、先生は覚えていらっしゃらなかったようです。商談や取材ではないので時宜の話など無用と思い、テーブルに早速、持参した資料を1点づつ、それを手に入れた経緯を短くそえて並べました。

花15号 カバー&裸表紙 「花・15号」(カバー&裸表紙)


 最初にご覧いただいたのは「花」という雑誌でした。昭和41年発行のもので貸本処理がなされています。先生の絵と文で「ひまわり」という作品が載っています。この作品、元は「こどもの光」に「花によせて」シリーズとして掲載された2色の作品であったそうです。それを「花」に載せるにあたって色を加えたとのこと。花の物語は「ひまわり」のほかに「コスモス」「バラ」などがあったようです。表紙の見返しにも先生の作品が描かれています。

花15号 表紙見返し 「花・15号」(表紙見返し)

 この物語の最後の挿絵にある、海を見詰める少女の表情のせつなさが、幼少当時、強く心に残りました。

ひまわり 「花によせて…ひまわり」(全4頁)
 
 次にご覧いただいたのが「赤い靴」でした。「これは昭和28年頃のものと思いますが、はっきりとわかりかねるので先生に教えていただきたいのです。宜しくお願いします。」
 先生は、それを手に取りパラパラとページをめくり中を確認し、本を置いた後、紙とペンを取り出し「1953」と綴られました。先生は元号よりも西暦のほうが馴染みらしく、昭和XX年という言い方をするとわかりにくいのだとおっしゃっておられました。作品をデビュー年代から順をおって説明をしてくださいました。赤い靴は1953年頃の出版で、初の単行本(あらしをこえて)以前の初期作品。これは縁日などで販売する目的で発行された書籍のようです。

赤い靴 「赤い靴」

 絵の中の道具と表現

 この本をきっかけに先生のバレエ作品についてお伺いすることができました。
 「私の幼少の頃の記憶なので確かではないのですが、先生は多くの作品でバレエを本格的にとりあげられていたように思えるのですが?」
 すると先生は「先日の朝日新聞でバレエを主に置いた漫画を描いたのは僕が最初みたいなことが書いてありましたね。手塚治虫さんがその前にバレエを扱っていたみたいだけれど、描写の一部につかっていただけみたいですね。」
 バレエはヨーロッパの優雅さを代表する芸術、そこに惹かれ、それと同時にロココ美術に興味をいだかれて、そうして合わさったものが高橋先生の絵の重要な要素になったということをお話されていました。
 「ブーシェ、フラゴナール、鮮やかで繊細な風俗画が多いロココの美術は低く見られがちだけれど、ああいう芸術もあってもいいと思いますね。見る人を楽しませる、そういうための美術をもっと認めても良いのではないでしょうか。」
 私もフラゴナールは大好きな画家の一人なので、先生の言葉には一も二もなく頷きかえしました。それから話はロココの生活から「ねむりひめ」につながっていきました。

ねむりひめ 「ねむりひめ(初版)」(表紙&33頁)

 「僕は、ねむりひめを描くにあたって時代、その時に使われていた道具、食材なんかにも興味があって調べたんです。その時代にキャベツを食べていたか?とかね(笑)。描く以上、間違いがあってはいけないから。調べるということは大変苦労が多いのだけれど、それが面白い、楽しいものですよ。次から次へと興味がわき、広がっていく。大変な作業だけれど辛いと思ったことはありませんね。」
 この言葉には心底、頭が下がりました。私自身、仕事で物を調べるとき、どうしても面倒が先に立ち、お茶を濁す傾向にあるを真摯に反省します。

にんぎょひめ(小学館) 「にんぎょひめ(初版)」(表紙&口絵)

 高橋先生の絵は、繊細で流麗なラインと柔らかな色彩から抒情画と言われています。その言葉の中に隠れがちになってしまいますが、作品中には冒険的な大胆な描写が含まれています。人魚姫の話に及んで、その一部分がわかります。たとえば人魚姫のヌードの描写。
 「人魚姫を描いている多くの児童書では、人魚姫の胸は隠されていることが多かったのです。貝とか、髪とか、手や海藻などですね。でも、僕は胸を隠さずに裸のまま描くほうが自然なのじゃないかと思った。アンデルセン絵本では乳首も描きいれています。いやらしさではなく、あくまでも自然な状態に見えるように。」
 児童書というのは規制が厳しく、しかも今より25~30年以上も前のことです。ちょっとリアルに感じられるヌードであったりすると出版社が自主規制をかけていた時代です。そのことをお聞きすると「出版社は何も言わないで、好きなように描かせてくれました」とのこと。それは先生の表現が子供たちに見せる美術表現として如何なる干渉も許さないものであったことを顕しています。男の子から見た性の美しさや憧れ、女の子から見た性の美に対する夢。裸の人魚姫を素直に綺麗だと思える、そういう作品であったことの証明です。

まんがアンデルセン「人魚姫」 「まんがアンデルセン“人魚姫”」(表紙&45頁)
 
 「おやゆび姫」の蟾蜍については、「絵本の中では蛙って王冠をかぶっていたり、漫画的に擬人化されていることが多いけれど、蟾蜍というのは大概において気持ちの悪いもの、嫌いな人が多い生き物なんです。僕は薄気味悪い現実の蛙を描きたかった。だから庭にいる蟾蜍を観察して綿密にスケッチをとりました。こどもたちに、可愛らしいおやゆび姫の対極にある怖い蛙、気味の悪い蛙というのを伝えたかったのです。」
 この話を伺って思い出したのは、まだ私が高校生だった頃、高橋先生の「おやゆび姫」を従姉妹に読み聞かせをしていた時、従姉妹たちが「おやゆび姫がこんな汚い蛙と結婚させられちゃうなんて可哀想だ」とそう言って本気で怒っていたこと。蛙の絵に込められた意図は確かに伝わっていたのです。

おやゆびひめ 「おやゆびひめ」(表紙&6頁)

(to be continued)
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