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「虫の知らせ」の話

 銀座の交詢社ビルがその重厚で陰鬱な、趣のある姿を残していた頃、遠藤周作先生と一階にあるカフェでご一緒したことがある。
 交詢社は、明治13年に福澤諭吉の提唱により結成されたわが国初の実業家の社交クラブであり、「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」と言う名目がその名の由来であったと先生からお聞きした。
 遠藤先生は珈琲を啜りながら、突然、こんなことをおっしゃられた。
 「君は面白い文を書くよね。ルポやエッセイのような文しか僕は読んだことがないけれど、特徴は生かせていると思うな。でも、君には変な癖がある。」
 「変な癖ですか?僕は文筆を職業としているわけではありませんから、先生のような方にご批評を仰ぐと言う段階にも達していません。稚拙であることは痛感しています。」
 僕がそう言うと、いたずらっぽい笑顔を見せて。
 「いやいや、そんなことじゃないんだよ。君は記事に関しては普通に、と言うか、気を遣って書いているよね。それは読んでいればわかる。でも、手紙、君がくれた手紙ね。あれに変な癖がある。」
 「何かお気に障りましたか?」
 「気に障るとかじゃなく、過去形で最後を締めるでしょう、君は。手紙だとそれが目につく。過去形の手紙。お礼にしろ、予定にしろ、最後は過去形で締めくくる。あれはやめたほうがいい。」
 「はあ…。」
 「というのもね、君に何か事が起きたら遺書みたいでしょう?」
 「遺書ですか?」
 「そう遺書。たとえばさ、君がある日交通事故で死ぬとする。嫌な喩え話だけと怒らないでね」と穏やかな笑みを眼もとに浮かべて話を続けられた。
 「そうすると僕は家に帰って君が先日送ってよこした手紙を開いたとするでしょう。そこに過去形で締めくくられた君の言葉を発見して、こう思うんだよ。『虫の知らせだったのかな』とね。」
 先生はさも愉快そうに笑った。
 僕も面白い譬えだなと思ったので、そのままを先生に伝えた。
 「人はね。常にドラマ、感動的な逸話を求めているんだよ。最後に会った時にこんなことを話していたとか、手紙がどうだったとか、そんなことを引っ張り出しては感動的な話を作り出すんだ。実際にあったことだし、本人がそう思っているのだから、切な思いは充分すぎるほど溢れている。だから聴いている方も釣られて感動するわけだね。まぁ、立派な小説家だな。」
 「確かにそんなところもありますね。亡くなる前日に故人が衣服を片付けていたとか。」
 「片づけは日常のことで、何もその日が特別だったわけではないかもしれないでしょう。それでも外部からは目に付いた。いや、目についたことにしてしまえるんですよ、人間は。」
 「してしまえる、と言うと、思いこみってことですね。」
 「うん、そうだね。人はさぁ、自分に特別なことがある、あったと思いたがっているものなのだよ。だから、少しでも何かあれば、それを結び付けようとする。誰かが話せば、それに対抗して、自分にもこういうことがあったと無理にでもこじつけて話し出す。それが美談になることもあるし、笑い話であることもある。時には涙を誘うこともあるでしょうな。で、そう言う材料と言うのは、得てして無意識に発生する。遺書や当てつけでもない限りはね。しかし、当人はそんなつもりは毛頭ないはず。誰だって生きたいと思って生きているわけで、明日、死ぬんだと確信、或いは、危惧を意識して生きているわけではない。死ぬ可能性は無いというわけではないから危惧はあるのだけれども、意識して行動したりはしないね、普通の人はね。だから、亡くなった人に対して虫の知らせなどと言うことを押しつけること自体、実は失礼だと僕は思うんだよね。」
 「言われてみれば、そうですね。後日談のネタにされるわけですから、当人にとっては気持ちの良いことばかりではないでしょうね。言われて嬉しいことも少なくはないとも思いますけれど。」
 「忘れられているより余程ましかもしれないね。何も話が出てこないのでは、空気のごとくで味気ないからね。まぁ、故人となった身では関知のしようもないでしょうけどな。今日ここでこんな話をして別れた後、どちらかが事故か何かで死んだとする。そうすると今の話は逸話になるね。」
 そう言って先生は愉快そうに珈琲を口に運ばれた。
 幸いにして、これは死亡後日談の逸話にはならなかった。僕は僕で今日まで平平凡凡に生きているし、先生もその後、平成8年の9月にお亡くなりになるまで活力を絶やすことなく執筆活動をお続けになられた。
 ふと今日、これを書きだしていて「ひょっとしたらこれが最後の記事で『虫の知らせ』になるかもと思ったら、あの時の先生の無邪気な笑顔を思いだして笑ってしまった。

 青い小さな葡萄 「青い小さな葡萄」(新潮社、昭和31年初版)
 
遠藤周作「青い小さな葡萄」
 「青い小さな葡萄」は、雑誌「文學界」に掲載された先生の長編小説の処女作。表題作の他に「コウリッジ館」、雑誌「群像」に発表された論文「有色人種と白色人種」が収められている。装丁は、山田申吾。



 
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