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パラケルスス ~ ダンタリアンの書架 ~

ダンタリアンの書架 「ダンタリアンの書架」(三雲 岳斗、角川スニーカー文庫)

 三雲 岳斗のライトノベル「ダンタリアンの書架」は、少女ダリアンと幻書を巡って展開するホラーミステリーです。
 物語の舞台・時代背景はクリミア戦争(1853年~1856年)を経て第1次世界大戦(1914年~1918年)後のイギリス・ロンドンとその郊外です。
 主人公のヒュー・アンソニー・ディスワードは、蒐書狂であった祖父から悪魔の叡智、魔導書「幻書」を封じた壷中天「ダンタリアンの書架」とその「守り人の鍵」を相続したと言う初期設定で展開して行きます。
 この物語中には個人的にも興味深い設定がいくつかあります。
 たとえばダンタリアンの名を冠したこと。
 ベリトやアシュタロトにしなかったところに原作者のセンスの良さが見える気がします。
 ダンタリアンは、ソロモン王により封印された72柱71番目の悪魔の侯爵であり、招喚時には無数の人間の男女の顔を纏った姿で現れ、あらゆる芸術、科学を収めた叡智の書物を持っているとされています。
 原作は現在も継続執筆中で、巻を増すごとに楽しく読ませていただいております。
 アニメも今年7月から放送が開始され、GAINAXを中心にブレインズ・ベース、童夢、Silver Link、Deenなど日本の主だったアニメ制作会社が協力し2011年前半のアニメとしては出色の出来です。
 アニメ自体は原作と始まりを異にし、原作の第四話「仕掛け絵本 Episode 00」を第1話に持ってきています。
 アニメを含め物語の詳細についてはファンも多く、様々なサイトで情報が交換されているのでそちらにお任せして、その中に使われた「パラケルスス」について少し懐かしくなったので書くことにしました。

パラケルスス 「パラケルスス」(スティルマン 著、原光雄 訳、創元社、昭和18年初版)

 僕が「パラケルスス」について調べていたのは1997年冬~2001年の春頃までだったと記憶しています。
 知人の研究に協力して書籍を国内外から収集し、生地であるスイス・アインジーデルンを初めロンドン、フィレンツェ、プラハ、ブダペスト、バーゼル、ザルツブルクなどにも足を運びました。
 調べていくうちに日本国内では認知度の低い人物ですが、ドイツ、アメリカではかなり研究が進み、医療化学の起源として位置付けている研究者もいるほどの影響を与えていることを知りました。
 「ダンタリアンの書架」中では「錬金術師、パラケルスス」として紹介されていますが、それは少し誤謬があると思います。

 パラケルスス、本名をテオフラストゥス・ボムバストゥス・フォン・ホーエンハイム。
 1493年スイスのアインジーデルンで生まれ、1541年オーストリアのザルツブルクで没しています。
 当時の著述家がキリシア語、或いは、ラテン語名を使うと言う慣例に従い「ホーエンハイム」をラテン語化した「パラケルスス」を著書によって使い分けていました。
 この名の由来については、彼の父親(同じく医者をしていた)がローマの伝説的名医ケルススを凌ぐと言う意味から名付けたとの説がありますが、今日では一般的に支持されてはいません。
 「彼は何を為した人なのか?」と言う論議においては、その評価と共に今なお混沌の中にあるとも言えますが、職業は医者(医学博士)であり、その著書の大多数は医術に関するものでした。
 基本的に彼は、医術に錬金術(化学)を用いようと試みた医療化学時代への橋渡しをした開拓者の一人なのです。
 それが何故に神秘主義の錬金術師のように扱われるのかについては彼の生まれた時代背景をもとに考えると僅かながら見えてくる気がします。

 パラケルススとその周辺 (A.コイレ著、鶴岡賀雄訳、白馬書房、1987年初版)

 彼が生まれた年はコロンブスがアメリカ大陸を発見した翌年です。その5年後にはバスコダガマがインド喜望峰航路を発見するなど世界は大航海時代を迎えていました。また宗教においては、フスの火刑、ルターの宗教改革などもこの時期でした。
 同時代の著名人をあげるならば、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、マキャベッリ、コペルニクス、トマス・モア、エラスムス、アグリッパなど枚挙に暇がありません。
 経済、文化、芸術はルネサンスの機運に押され大きく変動を迎える時期であったのです。
 しかし、W.Windelbandが「自然は教会が封印をした閉ざされた書物であった」と言うように自然科学においては大きく立ち遅れ、哲学(医術を含む)においては新プラトン学派(カバラ数秘術の影響を取り込んだ)が主流をなしていました。
 新プラトン学派の考えについては、アグリッパの「自然魔法」での著述を例にあげておきます。
 「世界は元素、星、精神の3元素から成り立っており、下の世界のものは上の世界に支配されている。宇宙の創造主と原型は、自己の全能の諸力を天使、天、星、諸元素、動植物、鉱物等を通じて人間に流入させる。」
 彼はアリストテレスの四元素(火土水気)からあらゆる物質は成り立っているとの考えを主に置き、宇宙の事物の本性に関する知識である物理学。自然の知識と天体軌道の観測法を基礎とする数学。神、霊魂、悪魔などについての知識である神学を科学の中心においていました。
 これはアグリッパのみならず当時の科学者(哲学者、錬金術師、医者)の通説であり、鉄則に近いものでもあったのです。
 星、天使、悪魔、精霊などの影響は一般的に信じられており、虚構と迷信の領域に留まる想像上のものを自然現象一般として捕えていました。これらは特別な神秘主義にはあたらない常識の範疇にあった時代でした。
 かつ、宇宙世界は、地球を中心に各天体が回っているというのがキリスト教世界においてはまだ大多数の真理だったのです。
 パラケルススも当然、この新プラトン学派を基底にして自己の哲学を展開していました。その一部に改変を加えていたと言った方が適当かもしれません。このことが彼の著述、言動に矛盾を与え、後世の我々にとって理解しにくくしたのは否めません。彼は哲学者としては手抜かりだったと言えます。
 たとえば「星の影響」という神秘的な考えを「天体は地上に秘密の影響を生じせしめる神秘的な性質を少しも持っていない」と拒否したかと思うと、「星の効力を理解せよ。星も天性と性質をもっており、変化をも行う。(-中略-)有毒な星はその毒で空気を汚染し、それらの星の性質ももった病気が地上に出現する」と述べたりもしています。
 彼は経験則と実験を重視し実効性のある医療化学を目指すには突出した実績と能力をもっていましたが、哲学に関しては借り物に手を加える程度に留まっていたのです。
 彼の意識の中心においては哲学自体への関心が希薄だったと言えます。
 これは1527年バーゼル大学に告示された彼の医学講義の予告掲示で「自分は古い書物を教えるのではなく、自然についての自分の知識と試練を経た長い経験によって医術を教えるであろう」との明言からも察せられます。
 パラケルススの医術に対する姿勢は、エラスムスやアグリッパが「常に占星術に従って薬を調合し、患者にあらゆる種類の護符をぶらさげ、高価な外国産の薬を用い、それらを無駄に混合し、互いの作用を打ち消しあい、人間の英知をもってはその効果を予測できない」と辛辣に評した当時の医師(ガレノス派、アウエロス派等)から反感を買うものでした。
 ここでパラケルススが提唱した「アルカエウス」という精霊、或いは、分別能力と「天賦の力」について簡単に述べておきます。
 「食物中には栄養分と毒物とがあり、これらは体内で分別され、毒物は排除されなければならない。この分離は『アルカエウス』という指導的な力、精霊によって行われている。また肉、血管、身体、骨などの本性の中には傷その種のものを治癒する『天賦の力』がある。従って外科医は治癒を行うのは自分ではなく、身体内の力であることを知らねばならない」というものです。これは中世においては非常に画期的な考えであると同時に、宗教社会そのものに挑戦する提唱でもありました。
 さらに彼は、当時、医学の講義は「ラテン語でなされなければならない」という暗黙の(絶対的)了解を無視し、「医術はごく一部の特権的知識人のものに非ず」という信念、並びに、自己の説を一般に広めるため(支持者を得るため理解しやすいよう)にドイツ語で講義を行いました。これは反感に反感を買うことになったのです。
 事実、彼は間もなくバーゼルでの暮らしに身の危険を感じ取り、夜陰に紛れて脱出しています。
 
 パラケルスス 自然と啓示 (K.ゴルトアンマー著、柴田健策他訳、みすず書房、1986年初版) 

 こうした状況が彼の死後、ガレノス派と一世紀以上に及ぶ苛烈な対立を生みました。それが彼の評価を混沌ならしめたものなのです。
 つまりパラケルススの軽信的で愚劣な一部の支持者、追従者は、彼のカリスマ的ステータスを民衆中に高めるため不可思議千万な奇跡話や伝説を流布し、書物として刊行しました。
 一方、反目する学派側も敵意と悪意を以ってパラケルススの性格と生涯を毀損するために異端神秘主義的(黒魔術的、怪奇的)伝説を捏造し広めたのです。
 「なんという徒労、馬鹿なことを!」とお思いの方もいるでしょう。しかし、当時のもっとも有効な見解の相違の解決法は、過去の哲学者や神学者の著名な言葉による弁証法的議論と嘲笑、悪罵、揶揄によって貶め社会的評価を弱めることにあったのです。(ルーアンにおけるジャンヌ・ダルクの諮問を思い浮かべていただければ想像しやすいかと思います。)
 バルトロイモス・ジョービンガーの1576年4月付けの手紙が残っているので紹介しておきます。
 「私はテオフラストゥスを良く知っていた。彼は亡くなった私の義兄(ザンクト・カルレン市長クリスティアン・シュツーダー)の家に27週間住んでいた。彼は一部分は神秘的な、そして一部分では彼自身も信じてはいなかった、或いは、理解していなかったことに関して多くの著述を残した。彼自身の言葉であると同時に、単なる他者の書物からの抜き書きも混在していた。(-中略-) 現在、テオフラストゥスが見たこともなければ、書いたこともない書物が数限りなく彼の名のもとに印刷されている。私がそう言うのは、私は彼の字体、文体と彼の慣用的な書き方を良く知っているからである。」
 ヨハネス・フーザーは公私のコレクションの中から利用しうる全てのメモ、論文、著書を収集照査し、その出典を明らかにすべく生涯を費やしました。その労力の甲斐あって、かなり正確に分別していると評価され、以後のパラケルススの研究における功績は特筆すべきものがあるでしょう。
 
 わが国でパラケルススが神秘主義者の最右翼と認識されるようになったのは種村季弘氏の著書による影響が大きいと見られます。
 これが間違っていると非難否定するものではありません。
 興味を抱く分野は多岐に亘るべきですし、こういった余裕というか、ある種の「ゆとり」として解釈を楽しむのも良いのではないかと思います。
 視点を変えることで理解のありかたや創作的発想が見えることもあるでしょう。(「ダンタリアンの書架」や「鋼の錬金術師」のように作品構想の端緒、材料ともなります。)
 しかし、ただ面白いからと言って一説に傾倒し、一方向的、盲信的な知識で捕えると事実の認識には偏りが生じ、思考そのものが閉塞する危険性があります。それは常に僕自身においても肝に銘じておく必要はあると思っています。

(あ~、長かった…。こんなになるつもりはなかったのに…。読んでくださった方、お疲れさまでした。ありがとうございます。)


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