雨の幾日がつづき雀と見てゐる
人気のない図書室は今日も雨音がよく伝わってくる。
止みそうもない雨。明日はほうずき市。恐らく雨模様は変わらない。
そう思いながらぼんやりと校庭を眺めていた。
水溜りは鈍色に眠たげに光っている。それが外の光の色なのだと言うのを何となく不思議に感じた。
図書室のドアが開いて女生徒が入ってきた。
音につられてそちらを見た僕と眼が合うと、その子は迷いもなく近づいてきて、こう言う。
「またひとりでいるんだね。」
腕章を着けていたので彼女が図書委員であることはすぐに理解できた。
そして、図書委員をしている、、、えっと委員をしている、、、。
名前が浮かんでこない。
「ん?どうしたの?」「私、何か変?」「もしかして邪魔をしちゃったかな?」「考えごとでもしてた?」
彼女の口から続いて出てくる言葉に反応を示す隙はなく、僕はちょっと迷惑顔をしていたと思う。
確かに昨年のクラスメイトだった。顔は覚えている。けれど名前が深い靄のなかに沈んだようにでてこない。その靄は恐らく空気ではなく、コールタールのように重い。
「何を読んでるの?見ていい?」
彼女は本を覗き込む。
「詩集?誰の?」
一息入れる感じで僕は答えた。
「俳句。尾崎放哉の。」
「ふぅん。」
彼女は幾つか俯瞰するように目を通したようだった。
「わかり難いのか、わかり易いのか、なんかそれが掴めない句だね。この人の作品、好きなの?」
「とんぼの尾をつかみそこねたって句を読んでいたらね。何となく思い当たることがあるような気がして外を見てただけ。放哉にはそういうところがあるんだよ。」
僕は彼女の「好きか?」という質問には答えなかった。
放哉は金融の最前線に立っていた謂わばエリートだった。それがある時、その地位を捨てて托鉢の生活に入り、みすぼらしい寺男として働き、ついに小豆島に渡り、日記のような句を詠んで暮らし、そこで生涯を閉じた。
落ちぶれたと蔑む人もあっただろうし、狂人と決めつけ関りを避けた人もあったかもしれない。経済的利益をすべて放棄し、日暮に身をやつすことに彼はどんな夢を見たのだろうか。
「そうだね。わかるようでわからないよね。僕は放哉を理解はできないけど羨ましく感じているんだよ。身を軽くすれば自分自身を理解することができて、生きていることが身近に感じられるんじゃないかって。僕には絶対にできないことなんだけどね。」
「出来ないのは怖いから?」
彼女はそう尋ねてきたきたけれど、やはり僕はそれには答えなかった。
両手をいれものにして木の實をもらふ
事實といふ事話あつてる柿がころがつてゐる
曇り日の落ち葉掃ききれぬ一人である
水たまりが光るひよろりと夕風
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
彼女が僕の隣で同じページを読んでいる。僕と同じ速さで次に進む。
見知らぬ人ではないけれど、こうしている時間は恐らく不自然そのものなのだろう。僕らを知っている生徒がみかけたら、さぞかし奇異に映る光景。
「何となくだけど、寂しくないなんて嘘で、ひとりはたまらなく寂しい、けれど人間は絶対にひとりでいるしかないって言ってる気がするね。強い人だね。受け入れることを覚悟した人なんだね。」
僕は彼女の感想を黙って聞いていた。特に相槌も打たなかったし、自説も言葉にしなかった。
「今度、私もじっくりと読んでみるね。図書室にこんな本があるなんて気が付かなかった。どうもありがとう。」
彼女はそう言って僕の傍らを離れ、管理棚の引き出しからファイルを抜き出すと図書室から出て行った。
図書室はまた振り出しに戻る。
梅雨は直に明けて夏になる。
その夏空を見上げて僕はこんな風に感じることができるだろうか。
大空のました帽子かぶらず
やはり放哉を羨ましく思った。
そして僕はずっと彼女の名前を思い出せない。
☆ ☆ 「俳句集 大空」 尾崎放哉 ☆ ☆

初版
初版は大正15年6月20日、春秋社からの出版。放哉の死後に萩原井泉水が編纂した句集である。
放哉は技巧にすぐれた俳人であったが、生活の変化とともに自分の姿を直視した句を詠んでいるうち17文字という形式を捨てた。
彼の郷里の人々は彼を変人扱いし、彼も郷里を嫌った。
友人も少なく、音信も途絶えがちになり、亡き母への思慕を抱き、故郷を離れ流浪し、一島の小村に庵居して生涯を終えた。
戒名は「大空放哉居士」である。
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