蛇苺

 高校の図書室で読む気もなく本を開いて字面を追っていた。
 季節は春に向かおうとしていて、それは僕に最上級生への進級を示唆するとともに、先輩たちが出て行く必然を示していた。
 僕はそれを頭に浮かべながらこう思っていた。

 面倒くさいことが増えるんだろうな。

 風が僕の代わりに頁を捲った。

 「先輩、何を読んでるんですか?」
 後輩のKさんが声をかけてきた。
 僕は返答する代わりに本を畳んで見せた。
 「漱石ですか?随分と普通なものを読んでますね。先輩らしくないというか」と笑う。
 「僕だって漱石くらい読むよ。嫌いじゃないし。」
 「でも先輩ってもっとこう変わった人の、たとえば岩野泡鳴とか、宇野浩二とか読んでそうじゃないですか?」
 「そういう作家が口をついて出てくる君のほうが奇特だよ。で、君はどうしてここにいるの?調べもの?」
 「違いますよ。今週は私のクラスが図書室の掃除当番なんですよ。」
 「掃除してるようには見えないけど?」
 「いやだなぁ、これからするに決まってるじゃないですか。ねぇ?」と彼女は図書カウンターの傍でかたまっていた一群に声をかけた。「なんであいつがここにいるんだ」と摘まみ出すような視線が僕に集まる。
 「そっか、じゃあ、邪魔になるから出て行くよ。」
 僕がそう言って席を立つと、10分くらいで掃除が終わるから通用口で待っていてくれと言う。
 この図書室をどうしたら10分程度で掃除が済むのか、その掃除方法が直感的に浮かんだだけに呆れて僕は生返事をしてそこを離れた。
 ここから通用口に向かうまでに5分はかかるだろう。10分なんていったら待たないのも同じじゃないか。
 僕はいつものように廊下をスタスタと歩く。不思議と知った人間に出会わないのはどういったことだろう。単なるタイミングの問題なのか。そんなことを思いながら下駄箱で靴を履き替えようとしていたら「お待たせしました」と声が届いた。
 早すぎる登場に図書室が少し可哀想に思えてきて、朝一番にいつも通りに箒と塵取りを手にしている担当のO先生が浮かんだ。明日くらいは僕も手伝ってみようか、そんな気さえも起きた。

 「新しくできたサーティワンに行ってみませんか?アイスの種類が多いんですよ。」
 「アイス?」
 それを聞いて手にコーンをもってアイスをなめている間抜けな自分の姿が頭に浮かんだ。
 「遠慮します。」
 「えー、いいじゃないですか。たまには。」
 「そういうのは友達といくところだよ。」
 「じゃあ、大丈夫ですね。先輩は友達だし!」
 僕の前に立ちふさがるな、そして、当然のような顔をしてニッコリするな、と思いはしたが諦めた。
 アイスを買って近くのベンチに彼女は腰を掛け、僕はその傍で立ったままアイスを口にした。これもいつも通りといえばいつも通り。
 「先輩に聞きたいことがあったんですよ。金魚鉢をぐるぐるかき回して金魚を殺しちゃう盲目のお婆さんの話ってなんでしたっけ?」
 それだけを聞くとまるでホラーのようだが、断じて違う。
 「いろいろと省かれてはいるけど、鈴木三重吉の蛇苺のことかな?」
 「そんなタイトルでしたっけ?」と彼女は腑に落ちない顔をした。
 
 「蛇苺」は写実主義的手法を試した短編で「桑の実」の巻末に併録されている。
 老いて目が不自由になった母がその死の少しまえに金魚が欲しいと言い出す。主人公は湯からの帰りに5匹ほどの稚魚を買って帰り、その母の枕元に置いた。しかし金魚はしばらくもしないうちに1匹2匹と死んでしまい、その原因は彼女の所作にあった。妻によれば、母は箸箱の蓋で金魚をかき回すのでそれで死なせてしまうのだという。
 その理由は「じっとして動かんから」だった。

 「僕も誰かにかき回されて死んじゃうのかな。」
 思いがけずぽつりと言葉がこぼれ出た。
 するとKさんはさも面白い冗談を得たかのように朗るく笑った。
 「かき回すのは先輩のほうですよ。しおらしいこと言わないで下さいよ。」

 ☆ ☆「桑の實」鈴木三重吉 ☆ ☆ 

 桑の實 初版

  「桑の實」は、大正3年1月1日に春陽堂から発刊。装丁は津田青楓。
 縮刷版は大正5年2月10日発行。背題字を夏目漱石、装丁は元版と同じく津田青楓、木版を伊上凡骨、象嵌を久保庭瀧之助が請負っています。
 元版には「桑の實」「蛇苺」を収録。縮刷版には「蛇苺」は収録されていません。
 「桑の實」は洋画家のもとに臨時に遣わされるお手伝いさんの話です。
 読んでいるとアサミ・マートの「木造迷宮」のヤイさんがイメージされてきますが、小説中の「くみ」はもっと家事に手馴れていない女性です。共通するのは誠意をもって人に対する点でしょうか。母性の象徴として描かれています。
 特に大がかりな事件はおきません。
 少し複雑な家庭事情を持つ父子家庭を舞台にした日常の出来事を綴っています。小説の筋の回収として足りない部分も多々ありますが、淡々とした寂寥を嫋やかに表現した秀作で、僕はその静かさが気に入っています。
 ラストは読者に委ねられるかたちで締めくくられる大人向けの童話といった作品。

 桑の實・縮刷 縮刷版



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