雪空

 僕がホテルの一室で、漸く区切りのついた仕事に溜息を吹きかけて休もうとしていた時、不意に固定電話のベルが鳴った。
 時計を見ると午前五時になろうとしている。
 こんな時間に誰だ?と相手を訝り、受話器を取る。
 「もしもし。」
 返答がないので、もう一度呼びかけた。すると3秒ほどの長い間をおいて聞きなれた声が返ってきた。
 「ああ、俺だ。お前から着信があったから何か起きたのかと思ってかけた。」
 電話をかけた覚えのない僕は、またかよ、と少し苛つく気持ちをにじませて答える。
 「俺、かけてないよ。見間違いじゃないの?」
 「いや、確かにお前からかかってきてる。」
 父は断言する。
 二言三言無益な応酬が続き、「それじゃ、携帯確認するからちょっと待っててよ」と少し乱雑に受話器を置いて、ベッドランプの下に置いてある携帯電話を取りに向かった。
 発信履歴を確認する。
 やはり発信した形跡はない。
 黒塗りの受話器を取り上げて「もしもし、やっぱり俺、かけてないけど」と語調を強めて伝える。
 しかし返答がない。
 「もしもし、もしもし?」
 確かめるように僕は呼びかけた。
 けれど耳に当てた受話器は磨き上げられた黒曜石のように冷たく、確固たる沈黙に満ちていた。
 無駄と知っていて、もう一度呼びかけようとしたところで、ふつりと眼が覚めた。

 枕元にあるスマートフォンを取り上げて時計を見る。
 午前五時。
 夢とほぼ同じ時刻。

 僕はしばらく携帯電話を胸に伏せたまま目を閉じ、間を置いてから持ち直して日付を確認する。
 1月8日。
 もう一度心のなかで復唱するように日付を確認し、思い当たったことを声に出した。

 四十九日か。

 四十九日法要は納骨の時に併せて済ませたのだが、頭のどこかにその日付が残っていたのだろう。
 父は昨年の11月に逝去した。
 享年82歳。
 その人生が短かったのか長かったのかは僕にはわからない。
 父が如何なる生き方をしてきたのかも知らない。
 もちろん世迷言のようにぽつりぽつりと話し聞かされたエピソードはある。
 幼少時に母親と死別し、祖父に厳しく躾けられていたこと。田舎ではガキ大将で随分と無茶をやらかしたらしいこと。
 中学卒業と同時に単身で東京に出てきて工場勤めをし、20代半ばには自分で樹脂加工の工場をつくり一時期はえらく羽振りが良かったらしい。しかし、取引先に騙されて特許技術を失い、あげくは主要取引先倒産の煽りを受けて工場も自宅も失った。
 この倒産の直前に僕が生まれた。そして一家は僕が保育園に上がる前に離散した。

 文庫本のカバーに書かれてある極めて簡単な粗筋のようなものしか持ち合わせてない僕は父のなにものをも記すことができない。
 僕が知る断片をいくら集めてきても一枚のタペストリーになり得ない。纏め上げるだけの端切れも糸も、縫い合わせるための針さえ持ち合わせてはいないのだから。
 父と共に暮らした時間は短く、印象もさほど残ってはいない。ここにきてやっと、子供の頃に親と過ごすことの大切さをほんの少し分かりかけた気がする。

 父の通夜の席で親戚がこんな話をしていた。

 「誰にも看取られずに孤死する老人や独り暮らしで自殺する老人が多いなかで、最後に息子と娘に看取られるなんていうのは幸せだよね…。」

 それはしんみりとして、どこかつくりものめいていた。

 独り暮らしで自殺する高齢者が多い。

 僕はその言葉を繰り返し、彼女に問い返すべき言葉を思っていた。

 「高齢者の自殺における割合で、独り暮らしは全体の5%に満たないのですよ。ご存知ですか?自殺者の大部分は家族があったり、施設などで共同生活者がいたんです。独り暮らしの高齢者に自殺者が多いなどというのはあなた方の思い上がりなんですよ。」
 
 そう言おうとして、やめた。

 その日のことを思い出し、今さらながらに、もう二か月も経とうとしている時間を考えた。
 そして素直に僕は自分の姿を見つける。

 そうか、僕は父に話したいことがあった。
 あの死の瞬間に伝えたかったことではなく、今、話したいことがある。
 話したがっているのは、僕だ。

 日の出まではまだ時間がある。
 開けた窓から冷気が吹き込む。
 夜の名残を纏った一月の未明の空には、僅かに、気のせいであるかのような細かな雪が粗く散らばっていた。




 
 
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