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鎌倉、始まりの夏(2)

  ここで7月1日の話をしよう。
 災難は通学途上の電車の中から始まった。
 特にその日だけ特別というようなラッシュ・アワーではない。息苦しいのも不愉快なのも毎日のことでそれが僕にケチをつけるということもない。
 僕は習慣的なその不快な時間を目的地まで耐え忍んでいればいいだけだ。
 一番好いのは吊革にぶらさがって目を閉じること。現実から離れた自分が作る闇と思考で時間をつぶすこと。
 たった2時間たらずのことだ、どうってことない。
 その日もそのはずだった。
 けれども、僕の自由は僕だけでは守り切れないし、許されない時はどうしたって逃れる術もなく、突拍子もない現実と他人からの害意に付き合わされるはめになる。
 僕は痴漢に間違われたのだ。
 「変なところさわらないで!」
 ヒステリックな自己顕示欲に満ち、極めて悪意を込めた声が車内に響き、それが僕に向けられて浴びせられたことを理解するのに数秒もかからなかった。
 車内がざわつき、皆の目が僕に集まる。
 こういう時、どうするかって?
 僕は冷静に反論できるほど大人ではないし、そもそも相手の見栄えが悪すぎた。その容姿は痴漢がどうとか言う次元を遥かに下回っていた。僕の主観的美意識において。
 「誰に向かって言っているんですか?僕ですか?いい加減にしてくださいよ。僕は両肩にバッグを提げて、両手を吊革に止めていたんだ。触れるわけがないでしょう?」
 「だって私、見たもの。あなたの手に間違いなかった。絶対に痴漢されました」と彼女は言い張る。
 声を上げてしまった手前、引っ込みがつかないのかと思いきやそうでもないらしかった。
 彼女の目はまっすぐに僕を見、そこには軽蔑と怒りが満ちて、逃がさないよと言った気迫が込められていた。
 僕は元来、気が短い、口も悪い。こういった状況下で気弱に丁寧語で反論するなどと小器用なスキルは持ち合わせてはいなかった。
 「ふざけるなよ。僕がどうやったのか説明してみろよ。今、お前が見ているこの状態を、吊革につかまったままの姿勢でずっといたんだ。貴様の目は腐った魚よりも質が悪いのか!何を思いこんでいるのか知らないけど自意識過剰もいい加減にしろよ。」
 その時、僕の前に座っていたOLさんがヘルプに入ってくれた。
 「この学生さん、ずっと吊革につかまっていましたよ。私が証言してもいいです。何かの間違いではありませんか?」
 何て良い人なんだろうか。事実を見ていたとしても証言してくれる人などめったにあるものではない。僕は身中がペパーミントで満たされたようにすっきりした。
 しかし、それでも被害者を気取る女は自分の主張を曲げようとはしなかった。
 そう今思えば、それきり無視していれば善かったのだ。そうしていれば、その場は女が愚痴を言い続けるだけで済んだのだ。既に僕の無実は証明されていたも同然だったのだから、それで済ますべきだった。
 けれども喉元まで出かけた罵詈雑言を飲み下して無かったことにすることなど僕に出来ようはずもない。
 堰き止め湖が崩壊するように、濁流となった言葉が僕の管理下を外れた。
 「お前、痴漢騒ぎを口をする前に自分の顔と体型を自覚してるのかよ。ラードでこりかためたマトリョーシカしかみたいな人外のスタイルで、豚猫がひと晩泣きはらしたような不細工ツラしやがって、よくもそんな被害者ぶりを気取れるな?人に罪をなすりつける前にもっと自覚すべきことがあるんじゃねえのか?お前なんか触って警察に行くよりもツマヨウジで銀行強盗をやらかして笑われたほうがましなんだよ。お前とじゃ、割に合わねえよ。間違っても触るような価値なんかお前には微塵もないし、触ったりしたら手が骨の髄まで腐っちまうんだよ。ふざけるな!」
 (ああ、しまった)と思った時にはもう遅い。
 今でこそ相手を面罵したい気持ちを自制して毒舌に留めることができるようコントロールしているが、当時は若すぎた。
 それまで味方ムードだったOLさんまでも(何もそこまで言わなくても)と言った表情になり、周囲も「間違ったのは悪いけど、そこまで罵倒しなくても」との声が囁かれ始めた。
 豚猫の薄気味悪い啜り泣きを横に聴きながら、僕は下車予定の駅まで非常に気まずい時間を過ごすことになった。
 この瞬間、僕は間違いなく悪だった。
 ドアが開き、人がどっと流れだすのに身を躍らせて僕はさっさと外へ出た。
 (俺が悪いのか?悪いのはあっちだろう)と煮え切らない憤懣を抱き、切符をクシャクシャに握りしめ、改札台に叩きつける様にして通り過ぎた。
 そう、改札を通り抜けたはずだった。
 晴天の霹靂とは一度綻びたら立て続けに起こるものなのか。それとも先ほどの罵詈雑言の報いなのか。いきなり駅員に腕をつかまれた。
 「待て、お前。今、キセルをしたろう。こっちへこい。」
  僕は抗いはしたが結局は駅務室に連行され、そこで弁明を繰り返すハメになった。
 「お前、定期を見せてみろ。」
 「定期は期限が切れているので、今日は切符を買いました。」
 「嘘をつけ。期限切れの定期で改札を通り抜けただろうが?ええっ?」
 「違います。切符を置きました。」
 若い毬栗頭の駅員はまるで正義の保安官が小悪党を捕らえたような得意顔でにじり寄る。
 上司と思われる年配の駅員が仲に立ち、「一応、定期券をみせてもらえるかな?」と言った。
 僕は素直に定期を差出した。
 毬栗頭の知能指数が低そうな駅員は、動かぬ証拠とばかりに声を張り上げた。
 「どうです、不正使用の証拠がでましたよ。どうです?」
 僕が目の前に置いてあった改札鋏で奴の唇に穴を開けなかったのは、ほんの少しばかりの自制心と話せば分かるという甘い気持ちが残っていたからだ。
 僕はクシャクシャに握りつぶした切符の話をし、探して欲しいと頼んだが、固より彼らにそんな手間をかけるつもりなどはなかった。
 今ならはっきりと断言できる。
 次に同じことがあったら全力で振り切って逃げる。もともと話合いの余地は無い。官憲は悪を作りたがる。
 生徒手帳を出せと言われ、学校に連絡され、「生活指導の先生が来るから待ってろ」と言われた。
 これは僕にとって渡りに船だった。生活指導の先生は、MK先生も、SN先生も僕の人となりを良く知っている。全力で弁護をしてくれるはずだ。僕は極一部の、ほんの少数の教師を除いてウケが好かったのだ。
 しかし思惑とは崩れるように出来ているものだと痛感することになる。小半時ほどで僕の期待と正当性は消滅し、敗戦が決まった。やってきたのは先の両教諭ではなく、こともあろうに担任のIだった。
 この男、生徒の顔色を見るのに非常に機敏で人気取りを最優先にしている教師であり、年齢も生徒とそう変わりがなかったのと、坊っちゃんタイプの容姿とが相まって生徒から人気があった。
 だが、その実、この男の頭の中は保身ばかりがつまっていて、都合が悪くなると即座に生徒を裏切るのだ。僕は生徒会の役員をやっていたのでそう言う側面を何度も見てきた。
 ここでも僕は案の定あっさりと見捨てられた。
 とどのつまり、九千八百何十円かの課徴金を払わされたのだ。
 彼は僕の弁護などひと言もしてはくれなかったのである。
 この時、僕は誓った。
 いつかこの九千八百何十円かをキセルで取り返してみせると。

 痴漢にキセル、惨憺たる一日のスタート。
 しかもその上、Iに連れられて教室に入った僕を憤慨させることが更に準備されていた。
 Iの奴は、ご丁寧に僕がキセルで捕まったので身柄を引き取りに行くのだとクラスの連中に公言していたのだ。
 馬鹿馬鹿しいを通り越して、全てが投げやりになった。
 そうして僕はその翌日、つまりは7月2日、鎌倉にいる。
 ひとつ言わせてもらうが、僕は不登校などではない。
 ただ単に怨憎会苦に耐えるだけのメンタル面のタフさを持ち合わせていなかっただけだ。

 彼女は僕の話を黙って聞いていた。
 特にコメントをするでもなく、「ふぅん」と言ったきり表情もあっさりしたものだった。
 彼女の最初の質問は「平日なのになぜ鎌倉にいるのか?」で、それに対する僕の返答は上記の通り。
 そして次の質問が、彼女にとっては最重要事項であった。
 「事情は理解できるものがあるわね。共感を得るだけの説得力はあるかもしれない。それでは次は、もっと大事なことです。私は誰でしょう?」
 彼女の目は真剣に詰問していた。
 僕に誤魔化しは許されなかったのだ。
 故に素直に謝した。

 「…すみません、お名前を忘れました。」

 これが沢渡麻衣との三度目の邂逅であり、僕が彼女の名前を刻みつけた瞬間だった。
 こうして最初の夏が始まった。



 
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