坂道

 北へ向かうのはどうしても気が進ままなかった。だからと言って昨年と同じく長崎に居るということは僕にとって必然というわけでもなく、気が付いたらそこに着いていたというだけのことだった。
 前の年と決定的に違うのは、僕は卒業を控えていて、夢の時間はもう終わりに近づいていたってこと。
 どこをどう歩いたのか地図を持たない僕には自分が立っている位置さえ正確に把握していず、幾つかの細い階段を上り、教会と墓地の間を抜けて、住宅地の隙間から覗える海を眺めては風の匂いを嗅いだ。さらに坂道を上り続けると右手側に錆び付いた鉄門扉があり小振りながらも洒落た洋館があった。その荒れた庭は無人を表しているかのように見えたけれど、そこが確かに廃屋なのかは判断つきかね、表札をみると剥がれかけた塗装は朧げに「S・AMADA」と読め、その名からは邦人か外国人なのかもわからなかった。門に少し手を掛けて押すと不機嫌な音を軋ませながらも予想外に軽く動いた。そのまま入ることは容易だったのだけれど僕は思い留まった。
 君の声が聞こえた気がした。
 「小さな恋人たちが探しあてた洋館はこんな感じかも知れないわね。ここなら誰にもみつからないって。私たちも入ってみる?赤面するような落書きを見つけて出て来る羽目になるかもしれないけど。」
 そして、きっとこんな風にも言ったかもしれない。
 「あなたは花をみれば全部薔薇だと思うほどにはロマンチストではないでしょうね。」
 確かにそうだね。
 僕は残念なことに野薔薇と蛇苺を間違えるようなことはしない。どちらもバラ科の植物だと言うかもしれないけれど。

 門扉についていた郵便受けを覗きたい衝動にかられた。もしかしたらここにも君は手紙を残してくれているかもしれない。そんな有り得ない期待というよりも妄想が頭に浮かんだ。
 そして僕は笑いだす。君に少しだけ反論したい気分になったから。

 緩めに開きかけた門を元に戻して僕は歩き始めた。長崎の坂は先が見えなくて、このままどこまでも続いていそうに思えた。
 何度目かのカーブを曲がり、滑り台とブランコが一基ずつ置いてある児童公園の脇にでた。僕はベンチを見つけて腰をかける。
 そこで君の手紙を開いた。
 列車の中、喫茶店の窓際、ここに来るまで何度それを読み返したろう。短い手紙は既に覚えきってしまった。僕が目で追うのは文章の内容などではなく、君の名残そのものだった。

 「何にも言わなくてごめんね。でも、あなたはきっとこの手紙を見つけてくれると確信しています。転居先を伝えないのは、それを伝えるためには転居の理由も言わなくてはならないからだと思ってください。あなたが好奇心からそれを私に尋ねるとは思わないけど、理由を口にできない私がその重さに耐えられないと思うの。だからお伽噺をします。

 少女がまだ闇であった頃、彼女はなんとしても陽当たりの場所が欲しかったのです。
 光る瞳は風景を掻き分けて気弱な陽炎を射竦めます。
 少女の周囲には衣服のような言葉がありました。
 その衣服のいくつかは彼女を醜くしました。
 なぜなら、それらは陥穽に満ちた生活を時折少女に強いたから。
 それらは彼女の細い両肩の真上に落ちてこようとする、翻弄された日常の小道具でした。
 ある朝、少女は生命の波打つ脈理の中に忍んでいったのです。
 暗闇の廻廊を幾度も曲がり、音叉さざめく陽当たりの部屋に踏み入りました。
 安ものの平たい臥所のあたりに、ひからびて無機的なむくろの女を見つけました。
 少女は大人にはなりませんでした。むしろそれを拒否したのです。
 彼女はただ無限に長い旅にでようと考えただけでした。
 
 これはなぞなぞです。
 あなたはどれくらいの時間をかけて見つけてくれるかしら。
 思わぬ早さであなたが答えを探し出せたら、私たちはどこかで会えるかもしれないわね。
 こんなところで何をしてるの?私の顔、忘れちゃった?って。
 だから、それまで楽しみにしています。
 プレゼントは箱にあるままの方が夢があるでしょう?
 リボンは解かないほうがいいのよ。

 あなたは風邪をひき易いから気をつけて。
 それから私からのリクエストです。
 鎌倉を嫌いにならないでね。」

 どこにも、さよならはなくて、続きを期待させるものもない。
 僕はこの手紙を失くさない。
 けれど僕は、君の最後のリクエストに応えられず、その春を最後に鎌倉を訪れなくなった。
 再びその地を踏んだのは15年以上たってからのことであり、君が投げたなぞなぞの答えをみつけるのは、さらにそこから10年ほど経った後のこと。
 「鏡面感覚」を見つけたのは本当に偶然だった。
 鎌倉という町は僕にとって姿見のようなもので、君はその中に不意に映るかつてあった幻影。
 そして、それを恐らく君は初めから知っていたんだと思う。
 やっと見つけ出せたけれど、僕には難しすぎたよ。
 こんなに歳をとってしまった。
 坂の下の風景は、もう既に僕の視界には入らない。
 君にとってこの時間は早かったのだろうか、遅かったのだろうか。
 できるなら尋ねてみたい。

 「砕け散ってしまった瑠璃の欠片も、もとはひとつの形をしていた。その記憶を人はどのくらい保てるのかしら。」

 いつか行った横浜の県立博物館で君はこう言っていたね。

 僕は、保てていますか?


 





 
 
 
 
 
 
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涙がでました

偕誠 様

> 涙がでました

僕は彼女との話を小説のようには書きたくなかったのです。小説に仕立ててしまうと全てが嘘になってしまうので。
ここまでの話は出来るだけ当時の日記に基づいて綴るようにし、他の方が読むにあたって分かり辛いところを補足するのみに留めました。
しかしながら何分にも十代半ばのことであり、感情的に滅裂になっている部分も多くありましたが、それは寧ろそのままにするようにしました。

偕誠さん、いつもありがとうございます。
もうすこしだけお付き合い願えれば幸いです。
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otosimono

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全く役に立たない独り言です。

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