レディ・ジェーン・グレイの肖像

 私が初めてひとりでロンドンを訪れたのは1980年初め頃だったと思う。
 当時のパスポートでも保存してあれば確認することもできるのだが、とうの昔に紛失してそれきりになっている。
 その頃、恥じ以外の何物でもないが、家族とうまく馴染めず高校在学中から、ひとり家を離れて生活していた私は、進路と言われても特に進むべき道の希望も、その気も持ち合わせてはいなかった。
 将来と結び付くものではないが、唯一の希望的指針といえば「ロンドンへ行く」、ただそれだけだった。
 私にはどうしても見ておかなければならない一枚の絵があった。
 ―レディ・ジェーン・グレイの処刑―
 1833年にポール・ドラローシュが描いた絵である。
 ドラローシュについては語るべきことは大してない。
  本名はイッポリト・ドラローシュ。1797年7月17日 パリで生まれ、歴史画家グロに師事して絵画を学び、後にウジェーヌ・ドラクロワやテオドール・ジェリコーに共感しロマン派に参画、1856年11月4日に没している。
 画風は端正で題材を史実から取ることが多かった。代表作である「死せるエリザベス1世」「棺の蓋を開け、チャールズ1世の遺体を眺めるクロムウェル」などに見られるように衝撃的な場面を主に扱い、題材以外は全く史実を再現してはいない。そういう意味で彼は純粋な歴史画家ではない。
 ドラローシュの絵は大衆受けしやすく描かれ、誇張された演劇の一場面的な、もっと悪しざまに表現すれば、写真週刊誌のスクープ的な絵画であった。
 怖いものみたさや芸能スキャンダルと言った大衆的好奇心をそそるために演出された絵画である。
 絵画において詩的表現を達成するために苦しみ続けた前記の二者とは大きく異なる。
 「レディ・ジェーン・グレイの処刑」もその一枚である。
 しかし、この一枚をどうしても見ておきたかった。
 私は図書館で何気なく手にとった「英国王室史」の中で、たった8ページほどの彼女に関する記事を読んだ。その時、この絵の存在を知り、どうしても実物を見たかったのである。

 レディ・ジェーン・グレイ。
 ヘンリー8世の妹・メアリー・テューダーの孫、ヘンリー7世の曾孫にあたる系図に位置する。
 英国テューダー朝の第4代女王。
 ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの娘、メアリー1世との王位継承争いに巻き込まれ命を落とした女王。
 王位継承者として正当なる血筋を持ちながらノーサンバランド公 ジョン・ダドリーの浅はかな政略のために逆賊として捕らわれ、1554年2月12日、ロンドン塔で斬首された女性である。
 在位期間は1553年7月10日–~19日、わずか9日間であった。

 メアリー1世はこう問うた。
 「レディ・グレイ、カソリックに改宗するならばその命を助けましょう。」
 レディ・グレイは答える。
 「神に与えられた教えをどうして違えることができましょう。」

 ドラローシュの絵はあくまでもロマンティシズムに溢れ、悲劇的にその斬首の場面を描いている。
 描かれた場面は嘘である。
 ジェーン・グレイが処刑されたのは室内ではなく、ロンドン塔グリーンタワーの屋外である。
 他の斬首の例と同じく、髪は首を斬るのに妨げにならぬよう短くされていたであろうし、体の自由も奪われ、身なりも質素で下着に近かったはず。
 しかし、この絵は他のドラローシュにはない真実を伝えている。
 それはレディ・ジェーン・グレイが、読書好きの内気で誠実な女性であり、およそ女王の座などを進んで狙う野心を持たず、神の僕として生を全うすることに忠実に生きようとし、悲劇は彼女の罪に帰すものではないということである。
 周囲の人間も彼女を救おうとはした。でも不可能であった。謀略の犠牲となった悲運の女性。それを我々に伝えるだけでこの絵は充分に価値がある。
 レディ・ジェーン・グレイを知らない人も皆、この絵の前で足を止める。
 そして、そのうちの何人かは自ら知ろうとするのかもしれない、「9日間女王」のことを。
 閉館時刻に近いロンドン・ナショナル・ギャラリーでこの絵をじっと見ていた時、通りがかった学芸員が解説をしてくれた。
 解説の終わりに彼女はこう付け加えた。
 「事実と異なる風景が真実を我々に残してくれたのです。それは画家が意図したものではないでしょう。ここに宿っているのは、神がジェーン・グレイの誠実な犠牲を後世に伝えようとした、その憐れみなのです。」
 そして私は彼女の許可をもらって一枚だけ写真に収めた。

 ナショナル・ギャラリーに隣接するポートレイト・ギャラリーには、かつて唯一の「レディ・グレイの肖像」とされる絵があった。しかし、その後の検証の結果、別人であることが判明した。
 レディ・ジェーン・グレイは、彼女の死の280年後に描かれたこのドラローシュの一枚の絵を除いては、その姿を伝えるものを何も残してはいない。
 
 レディ・ジェーン・グレイの処刑

 

 
 
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