書斎 ~鎌倉にて

 僕が17歳の秋を迎えた頃のこと、彼女の新しい家が鎌倉山にできたというので招かれた。
 バスが急坂の途中にある停留所でとまり、喫茶店の角を曲がり、また急な坂を上っていく。簡単な手書きの地図は縮尺がわからず、大まかな目印の絵文字を辿りながら歩いた。坂が緩やかな下りとなり、また上りとなる。それを何度か繰り返していると住宅地ではあるけれど確かに山だな、と思う。
 10月の風に吹かれながらも汗はとめどなく流れ、ハンカチを出す。秋だというのになぜこんなに暑いのか、と少し腹立たしくなる。ようやく彼女の自宅マークらしい家が見えて来る。臙脂色の瓦屋根と白い壁、煉瓦で組まれた土台。神戸だったか、長崎だったかでこんな洋館をみたことがあった。
 息を整えてから呼び鈴を押すと家の奥で鈴が転がるような音がした。
 彼女の両親にはまだお会いしたことがない。僕が知っているのは彼女の2歳上のお姉さんだけだった。
 「どちらさまですか。」
 初めて聞く声に体が強張る。
 「麻衣さんに招かれましたTと申します。麻衣さんはご在宅でしょうか。」
 少しうわずった。
 迎えにでてきたのは彼女ではなく母親らしき女性だった。
 「いらっしゃいませ。今、麻衣は琴のお稽古にいっておりますが、お話はお聴きしておりますのでどうぞ中へ。小一時間ほどでもどりますから。」
 居ないと聞いてわずかに後ずさりした僕を見て女性がそう促した。
 僕は応接間ではなく、真直ぐに書斎に通された。真新しい書斎は明るく清潔感に溢れていた。緊張が手伝ったこともあるが、目がチカチカするほど。蔵書も豊富で背表紙を目で追うこともすぐにはできなかった。
 「あの子が応接ではなくここでお待ちいただくようとに言っておりまして。それからこれをお読みになってお待ちくださいとのことでした。」
 そういって一冊の本を僕の前に置いて、紅茶でもおもちしましょう、と言ってドアを閉めた。
 僕はちょっと気後れし本を手に取る気にもならなかったが、緊張をほぐす意味でも開いたほうがいいのだろうと思った。函から出してみるとメモが見返しに挟まれており、191頁から読むこと、と書いてあったので僕は指示通りに開いた。

…悲しい物語である。…

 小説はそう始まっていた。一頁も読まないうちに彼女の母親は銀のトレーをもって戻ってきた。たぶんお茶の用意は予めしてあったのだと思う。彼女が僕の行動予測をし時間など細かく指示していったのだろう。
 フィナンシェとダージリンが出された。僕は出されたものをしばし眺めて、無駄なことを訊かない母親だな、と思った。冷淡とか無関心というのではなく、恐らく本人のいないところでの話を避けたのだとその行動は感じさせた。
 僕は本を読んで待った。その物語は木賊にまつわるものであった。
 木賊は砥草とも書き、字のとおりに櫛や漆器の木地磨きに使われ、木管楽器のリードを微調整するためにも用いられる。空気が乾燥している時期には木賊同士が擦れ合い山火事を発生させるとも言われていたが真偽のほどを僕は知らない。
 蓼科の寒村に住む「馬吉」と「おろく」という貧しい小作となり果てている兄妹がいた。かつては庄屋よりも羽振りの良い家であったが、株で一躍長者となった父が満州戦役に駆りだされている間、後妻に資産を持ち逃げされ没落し小作に落ちる。その村では秋になると木賊刈りをすることになっていた。しかし父親はその義務を放棄し木賊を刈らなかった。そのため彼が担当すべき範囲から山火事が発生し、その責を問われ村から追い出されてしまう。物語は木賊と村の掟に翻弄される兄と妹の姿を書き出している。
 読むのにそう時間はかからなかった。作者の正木不如丘は探偵小説黎明期を支えた作家である。これは探偵小説ではないけれども、構成も織り込まれているエピソードも無理がなく読みやすい、所謂そつのない短編に仕上がっていた。
 読み終えても彼女は帰宅しなかった。
 僕はソファーから立ち上がって本棚を見回した。ある詩集を探したのだ。ここには必ずそれがある。僕は疑っていず、几帳面に分類された書棚から果たしてそれは簡単に見つかった。背表紙に指を掛けて引き抜き、「青空と宿命」という一遍を開いた。

…一人の父親が
 はじめて子供を野原へ連れて行つた。
 靑く晴れた空とあたらしい芝生のなかで、
 子供はゴム毬のやうに軽く弾んだが、
 遠い樫の木の根方に歩み寄つて行くその後姿を見て
 父親はそつくり幼い自分が歩いて行くやうな気がした。
 どんな人生がそこに封じられてあるのだらう?
 しかしそれさえも父親は、
 自分と同じものがそこに延びて行きそうに思へた。
 靑い空と自由な野放しの空氣のなかで、
 一人の父親が重い不愉快な宿命を感じた。 …

 百田宗治の「冬花帖」に収めれらている短い詩が連想されたのは、そう不自然なことではなかったろう。「木賊の秋」はまさにこの詩の通りの物語だった。
 立ったままその詩を読んでいたら玄関の開く音がして、ただいま、という声が聞こえた。それからよく聞き取れなかったけれど短い会話があって、彼女は書斎のドアを開いて入ってきた。僕が持っていた本を一目見た。
 「やっぱりみつけたね。私と同じ。」
 彼女は微笑んで、こう言った。
 「越えられないものってあるよね。逆らっても同じような道を辿ってしまうことも。釈迦的に言えば業って言うのかな。しかもそういうのって決まって悪い予感がつきまとっているの。確信は持てなくても、何となく心の何処かに蟠っている感じ。それが、やっぱりって言うことになる。予兆とか予感とか虫の知らせとか、ね。でもそれって偶然じゃないよね。もしかしたらね、そういった予感みたいなものが結果を引き寄せているのかもしれない。自分で引き起こしているって思えなくもないでしょう。悪い予感がした時点で手を打つことはできるはずなんだけど、人ってそのことを軽くみるっていうか、結果が起こってしまうのが怖いから目を背けるっていうのか、結局何も行動を起こさない。起きてしまってからそれが運命だって恨むのよね。自分のせいだとは心から認められないのよ。時のせいにしてしまいたいの。抗えなかったんだってね。」
 僕は彼女がどうかしてしまったのかと思った。一気呵成に話す姿は普段通りの彼女ではなかった。でも僕には彼女が喜んでいることは伝わってきた。だからそれを嬉しいとも思った。
 重なっている時間が少しだけずれていることなんて、その時間を過ごしているものに自覚されるはずはなく、呼び合うものが本当の意味で出会えるというものでもないことを遅れてから知ることになる。
 そして、何かをしておけばよかった、という悔いは常に居場所を確保している。
 



 

 



 
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