鵠沼、日記から ~鎌倉にて

 いつものことだが僕の読書量は到底彼女のそれには及ばない。スタート地点の出遅れを考慮すればあまりにも当然であるし、彼女と違って僕は根底において読書家ではない。彼女との会話に不可欠な知識をお粗末ながらでも身に着けようとするのは、幼児が気に入られようとする甲斐甲斐しい努力のようであるし、僕にそのような純粋な努力は一等似合わない気がする。だがそのおかげで僕は図書館や本屋をうろうろ彷徨うこともなく、効率的に意味のある蔵書を増やすことができている。彼女から出される宿題は学校のものよりよほど面白い。もちろん読書は時に大きな苦痛であることも事実。だがその苦痛は学校のものよりも遥かに楽しめる。そしてそれが多分僕と彼女の絆になっているはずだから。今回もいくつか初耳の作家や作品が出た。追々読んでいくことにする。

 網野菊「海邊」、小山内薫「病友」、川端康成「反橋」(連作)、徳富蘆花「寄生木」を読む。「海邊」については初読。

 壺井栄「紙一重」、ポール・ギャリコ「ジェニィ」、倉橋由美子「暗い旅」、立原えりか「木馬がのった白い船」、堀辰雄「かげろふの日記」、尾崎一雄「蜜蜂が降る」、あと誰だったか思い出せない。今回は宿題が多い。

 文学少女の傍に居たいと願うための平均以下男子の努力は半端ではない。今さらか。
 
 一昨々日は鵠沼に行った。彼女が突然そう言い出したので。鵠沼まではどういうわけかバスを乗り継いで行った。なぜそんな面倒な経路を使いたかったのか理由はわからない。彼女は時間が欲しかったのかもしれない。鵠沼に着くまで彼女は頻りに川端の「住吉」の話をしていた。僕は彼女ほど記憶が鮮明ではなかったし、特に好きな作品でもなかったので正直印象が希薄だった。
 鵠沼から帰って再読してみた(三日間の日記が抜けているのはそのためである)が古典の引用が多く読み難い。「反橋」で提起された生立の問題は川端康成が抱えていた自身が孤児であるという認識のもとに進められている。「しぐれ」「住吉」「隅田川」においてもそれは一貫している。特に「住吉」において引用されている「住吉物語」の一節は娘姫から父に宛てられた手紙であり、漂泊の身の悲しさを訴えるものである。「隅田川」で冒頭紹介されている同名の能はその漂泊の結末が悲劇的事実を突き付けている。狂女物としては極めて珍しい。川端が抱えていた旅の終りは茫漠とした孤独に満ちた浅茅ヶ原であったのか。再会は決して望めないという不変の残酷な現実がそこにはある。
 自身の言葉で説かずに古典を引用する方式は川端に珍しいものではないが、この連作においては心情そのものを語らせるために使われているという点で特筆されると思う。僕は川端の大ファンではない。だから断定して論じる根拠はない。

 なぜ彼女が川端康成に拘り、「住吉」に拘ったのかを考えてみた。それほどまでに共感する共通点があるのか否か。そこで僕は一つの推論に至った。以前、彼女が荏柄天神で見たという真昼の幽霊の話を思い出したからだ。当日の日記を読み返していたら疑問の形がすんなり納得のいく形に解けた気がした。もちろん僕にそれを確かめる勇気はない。だがしかし彼女は間接的に僕に告白していた事実はこうなのではないだろうかと思った。

 彼女は養女である。

 198X年8月2日 記


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