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「本陣殺人事件」 横溝正史

 「本陣殺人事件」(靑珠社、昭和22年初版)

 本陣殺人表紙 本陣殺人事件奥付

 岡山県のとある農村にある旧本陣の末裔・一柳家の屋敷で長男・賢蔵と元一柳家の小作の出である久保克子の結婚式が執り行われました。宴が仕舞った未明、突如として新郎新婦の寝屋である離家から悲鳴と琴をかき鳴らす音が聞こえ、異常を感じ家人が駆け付けると、きっちりと閉められていた室の中で無残な新郎新婦の死体が発見されます。警察による必死の捜査も虚しく犯人にたどり着く手がかりもなく、ついに新婦の小父である久保銀造が数年前に面倒を見た探偵業を営む一青年を呼び寄せます。彼は巻き尺も虫眼鏡も使わず、状況を整理考察し、論理的分析によって事実を浮かび上がらせていき、ついに真相を割り出すことに成功します。

 「本陣殺人事件」はこんな感じの話です。
 僕は何度もここに書いていますが、推理小説、探偵小説一般が苦手です。
 こじつけにも似たトリックと結果を引き出すための荒唐無稽な強引に筋立てられた事件など読むに堪えない。
 「推理」とは論理を駆使することであって、「推理小説」とはスリリングな心理描写と論理を楽しむものではないのかとの疑問が常にあります。はっきり言って今の探偵小説、推理小説には魅力を感じていません。

 横溝正史の代表作である「本陣殺人事件」は昭和21年2月に起稿し同年10月に脱稿しています。その点から言えば、もはや古典の域に入るかもしれませんが、この作品が僕に初めて論理を楽しめる探偵小説のあることを教えてくれました。

  本陣殺人事件角川文庫

 僕がこれを手に取ったのは作品自体に興味があったのではなく、杉本一文さんが描かれた表紙の、あの妖艶な美しさに見惚れたためです。丁度、中学にあがった年になります。

 江戸川乱歩はこの作品について「随筆 探偵小説」(淸流社、昭和22年初版)の中で詳細に述べています。ここでの解説内容については多少改稿はされていますが、「寶石 第二十巻第二號」(昭和22年)に掲載されたものとほぼ同様のものです。
 今日は、この乱歩の随筆にそって話をしてみようかと思います。

…横溝君の「本陣殺人事件」が完結したので最初から通讀して色々感想があった。これは戰後最初の推理長編小説といふだけではなく、横溝君としても處女作以來はじめての純推理ものであり、又日本探偵小説界でも二三の例外を除いて、殆んど英米風論理的小説であり、傑作か否かはしばらく別とするも、さういふ意味で大いに問題とすべき劃期的作品である。…

 第一次大戦から第二次大戦の終戦までの一時期、探偵小説を書くことが許されませんでした。探偵小説作家は題材を他に取るなり、休筆することをやむなくされ、横溝正史も例にもれることはありませんでした。
 彼は「どうしても探偵小説が書きたい。そこで当時ゆるされていた時代物の姿をかりた」と言っているように「からくり御殿」をはじめとする「人形佐七捕物帳」のシリーズを執筆します。
 しかしながら本格的探偵小説を書くには制約がありすぎ、終戦を待って漸く彼は望むように執筆を開始することができました。その最初の作が「金田一耕助」のデビューとなった「本陣殺人事件」でした。
 密室殺人を扱うことは横溝の中ではだいぶ前から決まっていたようです。けれど彼自身は密室を扱った作品についてはかなり批判的であり、それは本文中の金田一耕助の言葉にも見て取れます。

…密室の殺人を扱った探偵小説も澤山あるが、たいてい機械的なトリックで終わりへいくとがつかりさせられる。…

 そこで彼は、その機械仕立てに日本の伝統的なものを取り入れ、緊張感を持った非常に複雑な独自のトリックを考案しました。
 乱歩はこの構造トリックについて次のように批判しています。

…凶器を屋外に運ぶトリック・メカニズムが一讀直ちには納得出來ない點である。水車、琴糸、琴柱、石灯籠、節抜きの竹などの道具は、純日本風で面白くはあるけれども、そのメカニズムが複雑すぎるために、讀者をして「そんなにうまい具合にいくものなのか」と感じさせる點にある。…

 確かに、作中のトリックが完全に動作するにはかなり微妙な力学的な調整や建物の配置が必要であり、もっとも重要なのは水車の位置と言えます。しかし、設計図的には物理的に十分実現可能なトリック・メカニズムになっているところが作者の苦心の賜物でしょう。あれは現実に稼働させることができるトリックです。但し、作品中の準備期間において可能であったかは甚だ疑問ではあります。
 乱歩は殺人事件の動機についても次のように言及しています。

…私の今求めるものは近代文學が提唱する所の最高のリアリティではなくて、犯罪動機等に於ける性格と心理の必然性或いは蓋然性に過ぎない。それは二千数百年の昔、アリストテレスがギリシア悲劇に對してなした丁度あの要求にすぎないのである。…

 アリストテレスがした要求とは、「詩人は實在可能だが到底信じられない出來事よりも、寧ろ實在不可能だが本當にありさうな出來事の方を選ぶべきである」、「たとへ詩が模倣せんとする實際の人物が矛盾ある人間であつて、そして斯様な性格として描かれるのであつても、やはりその矛盾が矛盾なく描かれねばならない」、「萬一詩人が非蓋然的な筋を描き、そして、人をして作者はその筋をもつと蓋然的な形式に書けば書けたであろうにと、明らかに思わせるならば、その作者は藝術上の過失のみならず背理の罪を追ふものである」というものです。

 事件を引き起こす動機は現実世界においては、小説に描かれるほど理に適ってはいません。実際の事件は理不尽と理解不能な心理によって引き起こされていますから。
 しかし、現実と小説とは違います。小説は娯楽を目的としたものであって、読者を楽しませるという点を見逃してはなりません。乱歩はこの作品について、そこが一番納得いかなかったのだと思います。
 事件が犯人の性格によって生じたとするならば、その性格を物語の進行に沿って書けたはずであり、最後になってそれを詳細に語り事件に結び付けようと持ち出すというのは読者に対して不親切だと言っているのです。

 さらに乱歩は、探偵小説とは犯人と探偵とが知力を尽くして戦うのが醍醐味であって、その過程に生じる焦燥、諦観、高揚などを描くものであると主張します。

…探偵小説は、殊に長編のそれは、なぜ例外なく殺人事件を扱ふのであるか。それは探偵小説が謂ふが如く單なるパヅルの文學ではないからである。謎と推理のみが唯一の條件なれば、殺人や犯罪を素材とする必要は少しもない。それにもかかわらず始祖ポー以來探偵小説には犯罪殊に殺人がつきもののやうになつてゐるのはなぜであるか。その理由は、探偵小説の魅力の半ば或いは半ば以上が、殺人のスリルと、犯罪者の悪念から生まれた絶望的な知力と、そして、世人が経験することを極度に怖れながら、しかも下意識に於いては却ってその経験を願望してゐるところの、犯罪者の戦慄すべき孤独感等に在るからである。…

 横溝正史自身も、この作品が論理に傾注し淡々とした性格を有し、スリル、恐怖、怪奇と言った要素に弱い点は認めています。特に事件の動機については出版されるにあたり大いに加筆し、犯人の性格を解いています。
 乱歩の言うようにそれは「後出し」的なもので不親切なのかもしれません。
 僕は本道の探偵小説がどういうものか分かりませんが、僕に向いている探偵小説もあるのだと教えてくれた貴重な作品です。
 この後、同じ横溝作品である「獄門島」「八つ墓村」「夜歩く」「悪魔が来たりて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」と読み進むことになります。

 本陣殺人事件蔵書票 蔵書票・杉本一文

 

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