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おしゃべりの裏側…水曜荘趣味誌「寿多袋」

 このブログの裏話というか、そんな大層なものでもないんですけどね。始まりの話をちょっとしようかと。
 以前に友人知人の勧めもあって始めたという書き方をしたのですけど、それは間違いではないのですが、少し違ったところもありまして、それがずっと引っかかっていたんですよ。
 それを今さらつらつら書いてどうなるのかとね。あくまで僕自身の問題で、読む側にはなんの関係もありませんので、いい迷惑だろうなぁとも思ってはいます。
 まぁ、立ち止まるか否かは通行人の自由で、関所よろしく足止めをするわけではありませんので、こうして書かせていただくことにしました。

 寿多袋01

 このブログ、随分と前からやっていた気がするんですが、よく見たらまだ5年なんですね。7年くらいやっていた気がしていました。けれどよくよく考えれば、あの大震災直後から始めたわけですから、僕の年月の感覚が狂っていたってことなんでしょうね。
 後輩(といっても僕の歳の半分以下)の女の子と悪友に「一緒にやるんなら気楽でしょ?」ってな感じで言われて、あまりに迫ってくるもんですから断るに断れず書き出しました。
 この「一緒に」っていうのは文字通り「一緒に」でして、本でいうなら共著ということになりますね。「誰かが書きたい時に書けばいいよ」ってなことです。
 そうそう、悪友がこうも言ってましたね。
 「俺の教え子に読めるように書いてくれよなぁ。読ませるんだから。」

 寿多袋02

 記事は未公開を含めると362件あるんです。公開されているのは353件。その全部に近いものを僕が書いたわけですが・・・。
 僕は義務感が強い方なので放置っていうのが許せなかったんですよ。たとえばネトゲでもね。
 しかし最初と話が違うでしょ?一緒に書いてないし。彼らの記事はほとんど未公開になってるしね。下書きのままとか。

 ブログの最初の記事に「リハビリがてら」って書いたのですが、あながち誇張でもなかったんです。
 あの当時ね、僕は対人恐怖症というか、対人嫌悪症になっておりまして、人と会って話すということに嫌気が差してましてね。仕事でも最小限度で用件を伝えると、あとは「うるさい。黙れ」ってな具合だったんです。こちらも沈黙、あちらも沈黙。
 それを見かねて彼らが僕を焚きつけたんです。放っておくと「また引きこもっちゃう」みたいな。
 言葉というのは使ってないと使えなくなるんですよ。外に向かって出していないと書くこともままならないんです。
 でね、彼らから言われたから動いた。それは確かにそうなんですが、もうひとつ理由があるんです。いや、挙げ始めたら一つじゃ足らないんですが細かなものは省くことにしてね。
 先に"LE PETIT PARISIEN "のオーナーの石川さんが少し「水曜荘」のお話をされていましたが、その水曜荘主人である酒井徳男さんが出していた同人誌、それが動き出す気持ちを与えてくれたんです。

 寿多袋03

 この同人誌は、趣味誌「寿多袋」と名付けられていて非売品、会員配布のみで限定300部。ガリ版刷り。手作り装丁。
 昭和42年8月に創刊号が出され、主催者の酒井徳男さんが亡くなる直前に出された昭和45年1月の「三十號記念」が最後。同年2月に出された「別冊追悼号」を含めても全31冊です。
 僕は残念ながらこの31冊の「寿多袋」以外の酒井さんの本を持ってはいません。借りて読んだものはありますけど。
 その酒井さんがこの趣味誌のなかで「好きなものを書きたいように書いて、千人の知らない人に読んでもらうより、少なくても確実に読んでくれる人の手に渡った方が良い。そこに同人誌の楽しさがある」と言われているんですよ。
 それはね、僕たちが学生時代にやっていた同人誌作りや交換日記の記憶が数えきれないほど詰まっていた言葉だった。
 もちろん「寿多袋」ほど贅を凝らしたものではありませんでしたけど。
 この酒井さんの言葉を見直した時に、「もう一度、書いてみようか」という気持ちがおきて来たのです。

 寿多袋04

 創刊号の執筆者は、水曜荘主人(酒井徳男)、八木福次郎、蘭繁之、岩佐東一郎、酒井秀夫。版画を宮本匡四郎、蘭繁之。カットを酒井秀夫。次号以下では、田中冬二なども参加しています。
 しかも、冊子中に実物見本が貼られています。古銭、メンコ、鉄道乗車券、観劇割引券、写真等が印刷ではなく、実物です。
 会員の中には「いつ実物見本がつきるのかが楽しみ」などという人もいたとか。何しろ300冊分の実物見本を毎月用意するわけですからね。そう容易いことではないです。

 寿多袋10

 第参號にこんな前書きがあります。

 「夏よ、さようなら」 酒井徳男

 とうとう念願の素浪人になることができた。昭和十六年に国民新聞社に入社。軍艦マーチ華やかなりしころ、都新聞と統合、東京新聞となった。ここでちょっぴり人生の悲哀を感じたが、その次には、兵隊で、こんどはなンと大日本帝国の敗戦だ。それから二十年たったら、東京新聞と中日新聞の業務提携という名の吸収合併。
 いうなれば敗け、敗け、敗けの連続だが、この敗けが人生の味だ。白虎隊も、彰義隊も、新選組も、勝ちどうしだったらロマンにもならぬ。敗けの味が人生の味、人生の味が浪人の味で、こんなことでもなければ、念願を果たすこともできなかったはずだ。
 おう、東京新聞よ、グッド・バイ。 …

 寿多袋05

 酒井さんはこの趣味誌を出す前年、大病を患い死の淵を彷徨い、余命宣言を受けました。「寿多袋」を立ち上げて僅か2年半足らずで世を去ります。決して万全ではなかったはずなのに、このエネルギーの充実は何なのでしょう。そこに趣味人としての生き様を見たというには、あまりに凄まじい道楽人生です。
 水曜荘文庫での最後の著書「らくがき古書道楽」にはそうした彼の粋が詰め込まれています。酒井徳男という人の人生を思うとき、この本を読むと感動がこみ上げてきます。
 僕にはこんな超越した道楽の道は歩めはしないけれど、何もしないで終わることのないようにしたいとの気持ちは少しくらいはあります。
 そこで、やはり酒井徳男さんの言葉を創刊号からお借りします。

…生きている限りは、何かしてみたい。何もしたくない人も、むろんいる。私は何かしてみたいの部類に属する人間で、何かする、とは、私にとっては何かを書く、ということでもある。以後、水曜荘主人の個人趣味誌として、好き勝手なことを草して行こうと思う。何も彼も自由なようにみえて、真実、自由なものは、実は何一つない。自由とは心の中にのみある、と言った人もある。心の中でのみ自由をうたっても、それが声にも歌にも文章にもならなかったら、何にもなりはせぬ。自由は心の中にのみある、とは、自由はない、というのと同じではないか。
 私は、かねがね、好き勝手放題な文章を草し、それを書物のかたちにしてみたいと考えていた。これは、できそうで、なかなか実行困難なことであった。そういう志を持ってから二十数年が無為に過ぎてしまったのを以ってしても、いかに難事であるかがわかる。…

 そう、自由というのは伝えることができて初めて「自由」と言えるんです。誰かに伝えなくとも、自分に実感を与えられるものを自由と言うんです。
 僕はあの当時、きっと周りから見て不自由に見えていたのだろうと思うんです。だから、背中を、ド突かれた。
 そうして、つけてもらった勢いは時折減速してしまうけれど、止まるまでにはもう少しだけ時間がかかると思います。ですから、もうちょっとだけお付き合いしていただけるなら嬉しいです。

 ところで、先日ね、鎌倉に打ち合わせに行きまして、ついでに長らく不義理をしていた恩師の墓参をしてきました。その折、恩師の書庫から数冊、譲りうけたものがありますので、近いうちにご紹介します。



 
 
 
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