雨の日、図書館 … 鎌倉にて

 午前1時20分頃にようやく帰宅。
 「ようやく」と言っても普段とさほど変わりのない時間。
 違っているのは、情けない僕の姿。
 近づく台風のおかげで髪もジャケットもずぶ濡れになり、まるで水溜りから摘まみあげた新聞紙のようなありさま。
 窓外を見るとやや離れた街灯に映し出される真っ白な飛沫が、映写機かなにかの投影の名残のようにも見えた。
 朝に近づくにつれて雨脚は強くなり、風もでてくるのだろう。ピークは未明頃だと天気予報が言っていた。
 あの日もこうして酷くなってゆく雨を見ていたね。
 季節は夏ではなく冬に差し掛かったころで、場所は御成小学校の路地を入った図書館だったけれど。

 僕は永井路子の「氷輪」を机に置いたまま惘然として、激しさを増す雨を眺めていた。
 館内では大雨暴風波浪警報が出されたため帰宅の注意を促す放送が流れていたが、多分をそれを聞いている来館者は、働いている職員の数より少なかったように感じられた。

 「何を見ているの?」
 君がデュルケームと数冊の関連書籍を抱えながら椅子を引いた。
 「帰れるか、不安なの?」
 「いや。そんなことはないよ。」
 「でも、電車が止まっちゃうかも」と君が笑う。
 僕は「氷輪」の表紙を開いて書き出しに目を落としながらそれに応じた。
 「横須賀線は止まらないよ。」
 「なぜ、そう思うの?」
 「理由なんかないさ。ただそう思っているだけ。」
 「でも、誰かが、戸塚で線路が崩れて止まってるよって言ったら、信じてしまいそうな勢いで降ってるわよ」と、また君が言う。
 「日本の鉄道敷設技術は信頼性が高いんだよ。よほどのことがない限り大丈夫さ。多少の遅れは出てもね。」
 「ふうん」と君は興ざめともとれる相槌を打って、「自殺論」を目の前に置いた。
 「彼がこれを書いた歳のちょうど半分くらいね、私たち。」

 僕たちの行動を規定しているルールには明確に自覚される社会通念上のものと、意識されないものとがあり、人間個人の心理行動においては後者の影響の方が大きい。特に自殺するものにとっては。デュルケームはそのことに着目して自殺を社会学上で論じた。
 人間は簡単な理由で死んでしまうものなんだ。きっとそれは誰からも理解はされない。
 僕がそんなことを思いながら君が並べた本の表紙を眺めていると、君は次々と引き上げてゆく来館者の背中を見送りながら、一遍の詩を小声で暗唱した。
 それが詩の全編だったのか、一部分であったのか、その時の僕は知らなかった。

…花よ汝は 木の間に揺れて
 日を仰ぎ 風に語りて
 きょうの日を思いもみけむ。

 生まれきて 活きて流れて
 ついに来る 別れの日には
 ついに来る 終わりの日には、
 胸を灼き 心も裂かむ
 悲しみの あるを思へや。

 水の墜ち 花の散りゆく
 相生きて 人の去りゆく
 はたまたは 己の死をぞ、
 きょうの日にとくと思いて
 相ともに 和にこそ生きん。 …(金子晋「終わりを思う」)

 「誰の詩?」
 「金子晋さん。」
 僕は横殴りの雨をみながら本心からではなく、挨拶代わりに呟いた。
 「この大雨のなか、金子さんはどうしているんだろうね?」
 君は索引を照らし合わせながら、いくつかをノートに記し、ペンをとめることなくこう答えた。
 「手ほどきの本を片手に囲碁でも打っているんじゃないの?」
 僕は少しばかり意外に思えたので、即座にそれに応じた。
 「金子さんって囲碁の趣味があったの?」
 君は二拍ほどゆっくり間を取ってから、澄まし顔で言う。
 「知らないわ。適当に言ってみただけ。」
 たぶん僕はきょとんとしていた。
 「ああ、なるほど。ちょっとびっくりしたよ。そんな話出たことがなかったから。」
 今度はきちんと関心を君に向けて答えを返すと、いらずらっぽく、そして、やや不敵な笑みを交えて君は言葉を継いだ。
 「私たち二人だけの間でも、こんな小さな嘘が通じる隙間があるのに、底辺が広がった大衆の中なら、もっと有り得ない事実が具体化して伝わりやすいとは思わない?」
 それがジンメルの社会的水準を指しているのだと頭の中から拾い出した瞬間、僕は君に完敗したことに気づいた。
 思い返せば、僕はいつでも君に驚かされてばかりだった。
 「まだ何にもしてないけど、本当に帰れなくなっちゃうと困るから、そろそろ出ましょうか。私、これの貸し出し手続き取ってくるけど、その永井路子はどうするの?」
 ふうっと力を抜くようにして僕はこう答えたと思う。
 「本屋で買うよ。新刊だしね・・・。」

 
 
 
 
 
 
 

 
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