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 「逃げてはいけない」なんて誰が決めたのですか?

…泣けば気持ちもおさまり、そこからまたあきらめも生まれてきましたし、自分たちの生き方の上にも新たな決意も湧いてくるのでした。…(壺井栄「窓」)

 「逃げてはいけない」なんて誰が決めたのですか?
 立ち向かうためには確かに勇気は必要でしょうし、その姿は雄々しくも見えましょうね。けれど、時として逃げるためには戦うよりも大きな勇気を必要とすることもありますし、そうすることでしか答えを得られない場合もあるのです。
 立ち向かうことは勢いだけでもできますし、窮鼠猫を噛むごときもあります。しかしそれは勇気とは別のものなのです。
 僕は戦わない勇気があっても良いと思います。
 「戦わずして勝つ」といった戦略的なことではないのです。逃げてほしいと思っているのです。
 優しすぎる人たちは、自分に害悪を及ぼすとわかっている相手でさえ傷つけることができず、また助けを呼ぶこともできないのです。
 誰にも迷惑をかけてはいけない。これは自分だけの問題なのだと。そう障壁を立てて自分だけで迷路に分け入っていきます。「助けてください」ということができないまま。
 それを口にすることの不安と恐れがあります。何も変わらないという先入観もあります。そして、それ以上に、不器用にできているのです。

 諦めが生じてくるほど本気で泣いたことはありますか?
 泣くこともできないほど追い詰められたことはありますか?
 
 優しすぎる人たちを弱者と呼ばないでください。
 本当に弱い人たちは、自分たちの優位性に胡坐をかいて他人を傷つける人たちなのです。
 命を捨てる覚悟もできず、ただ環境に依存してのうのうと時間を消費している者たちのほうがよほど卑屈で弱い。

 僕は高校2年で家を飛び出しました。どうやって生活をすればよいのかも考えずに。
 最初にやったことはアルバイトを探すことでした。寝食の場所を確保するよりも先に金銭的なものを優先したのです。
 高校生を飛び込みの面接だけで雇ってもらえる場所を探して何日も何十件も歩き回り、漸くビル清掃と飲食店のゴミ収集の仕事を手にしました。
 職を探している間(また、お金が入るまでの間)、僕が寝泊まりしていたのは児童公園の遊戯ドームの中であったり、神社やお寺、雑居ビルの階段であったりしました。最初の給料がでるまで、確か14~5日あったと思います。
 サボることが多かったとしても(誤解のないように言っておきますが、そのサボリは仕事のためではありません)、高校へは通ってはいました。
 幸いにして父親は意固地が硬質炭素膜で覆われた強鎧を纏ったような人間だったので、「勘当」を宣した通りに高校まで連れ戻しにくることもありませんでしたし、母も父に絶対服従の古いタイプだったので僕に干渉することを許されてはいなかったのです。それは僕にとって幸いだったのかもしれません。
 連れ戻されていたのなら暴力に逃れていたかもしれない。僕にはその下卑た素質がありますから。
 それから10年以上も実家とは不縁の状態が続きました。

 学校生活においても僕は優等とか模範とかとは縁遠い生徒でした。
 都立の二次募集で滑り込んだ中の下程度の高校は、僕が望んでいたレベルより遥かに低く、それが諦めと同時に僕に奢りを植え付け、結局はドロップアウトさせていったのです。
 今から思えば、あれは諦めなんて恰好の良いものではなく、ただ怠惰なだけ。懈怠ですね。やりたくなかっただけのことです。僕は弱かったのです。
 現実を受け止めることも、自ら努力することも、過ちを認めることも、頭を下げて助けを乞うこともできませんでした。
 それは弱さではなく、卑怯にかわりない。
 だから自分よりも力を持たないものを卑下し傷つけました。それらは確固とした理由を持たない仕返しか、退屈しのぎ、或いは、八つ当たりのようなものだったのでしょう。

 僕はね、学校という狭い境遇の中でさえ格段の差が存在することを知らなかったのです。全員が全員、平均的な境遇にあると思い込み疑っていなかったのです。
 その境遇に耐えて羽ばたく力を蓄えようとしている人たちがいることに気づいていなかった。僕は思いあがっていたのです。僕だけが特別な境遇にあると。
 家を出たことなど、一人で生活することなど、そんなものは特別でもなんでもない。我儘が押しとおった分だけ僕は恵まれていたと言うべきでしょう。それが許されたのだから。

 優しすぎる人たちは、抗うことも、逃げることも、受け入れることもできずに、自らを閉ざす選択をするのだと教えられるまで、僕は甘えていたのです。
 彼らの迷路に踏み込むまでそれを認めずにいたのです。僕は僕のことではなく、彼らに巻き込まれることでそれを教えられました。
 
 今年ほど暴風雨に曝された年もありません。
 知人が殺人事件の被害者になったり、また別の知人が殺人未遂を犯したり、仕事で大きな負債を抱えたり、僕自身の余命について医師から話がありました。
 それでも僕は生きているし、時間が来るまで生き続けていくでしょう。死ぬための理由も、それに使うための力も持たないので。

 正直な話、僕があと30年働き続けたとしても、今抱えている負債は返済できそうにもありません。自殺の理由の多くを占めるのが経済的理由であるのなら、十分にそれに該当する金額です。
 だからこそ馬鹿馬鹿しい。金銭的理由で死ぬなんて下らないことです。もっと窮地に追い込まれた理由をもつ人々に言い訳が立ちません。
 しかし、いずれにしてもどんなことが原因であれ命を捨てる理由になりはしないと僕は思います。自殺の理由の正当性を問うことも無意味です。

 逃げ出しても、投げ出しても良いのです。
 今が全てではありません。
 この瞬間は絶対無二だけれども、将来の結果において取り返しがつかないというものではないのです。
 
 閉ざされた物語がその先に無限の選択肢を残したように、「今」にもそれは等しく広げられているのです。
 諦めて死ぬくらいなら、諦めて生きてゆくことを選んで欲しいと思います。
 その場所でしか生きられないと思わないでください。

 だから、優しすぎる人たちへ、
 死なないでください。

 

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テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

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