三木卓「はるかな町」

…二十年前のこと、二十五年前のこと・・・・。それらは本当にあったことなのだろうか。わからない。ただ自分でそう思っているだけだ。過去の記憶がなくなったら、おそろしくて生きていられない。だから、自分でこれが自分の記憶なのだと、思い込むことをつくり出して信じているのかもしれない。これが自分のでてきたところなのだと・・・・。…

 tmk0595.jpg (集英社、1975年初版)

 記憶はセーブデータとは違い、正確な経過記録を示してはいません。時とともに色が添えられたり、取り違えが起きていたり、そしてそれらは自然発生的に、或いは、自発的に変更がなされてしまうものなのです。
 日記で一日を振り返るにしても綴るためには起きた事象をデフォルメすることを余儀なくされてしまいます。すべてを言葉に置き換えることなど不可能なのだから。
 変化して行く記憶こそが生きて来たと言う足跡であり、そこにしか頼るものがないという弱々しさが付きまといます。だから形に残るものをと人は願うのでしょうか。記憶と嘘との区別がつかなくなってしまうから。
 本物の記憶などというものは存在しているのでしょうか。
 ピンスポットでしかない記憶を寄せ集めてくれば人生が語れるなどとは思いませんが、残したいことだけを伝えることは出来ます。
 三木卓の「はるかな町」はそんな本です。

…「あそのこの講堂の裏に、ポプラの木が三本立っていたのです。」…
 
 プロローグはここから始まります。
 思い出話を事実として話す自分の記憶は、等しく同じ記憶を持つ者がいなければその根拠を容易く失ってしまいます。本当はそんなものはなく、自分が作り上げてしまった虚構の風景であり、そう認めてしまうと現在の自分さえも喪失してしまいそうな危うさを打ち消すために、同意をつくり出そうとして殊更事実のように言葉にしているのかもしれないのです。
 あこがれについても同様に、偶像にする必要性があるのでしょう。

…それはたしかに青春期にさしかかった少年の夢だった。だがわたしの場合、自分が決して少女たちから愛してもらえない存在である、と早くから確信していためであったろう。そういう少女たちを憎むよりは、自分より一段高いものとして、自分の手のとどかないようなすばらしいものにしてしまった方が心が楽だったのか。…

 貶めて憎むよりは美しいものにしておいた方が遥かに気が楽であると思います。
 例えば、気の合う友人であったはずの少女に恋を告げてしまうことで、その日常をも失ってしまうとしたら、失ってしまったとしたら、打ち明けずに綺麗な思い出のままにしておいた方が良い(良かった)と、そう思えてしまうのです。
 残る後悔を自己嫌悪にしないための方便なのでしょうけれど。

 この本の中に「おもどりさん」という章があります。
 
…老婆は急用があって急いでいる、という風情だった。下駄は前歯と板の前だけを使い、後ろの歯は宙に浮いているように思われた。その姿は遠ざかりつつあった。
 <なんだ>わたしは思った。<ただの婆さんじゃないか。なにがおかしい。>
 眼を離して行ってしまおう、としたとき、うしろ姿がなにかにつまずきでもしたかのように、がくっとなるのが見えた。どうしたのだろうかと思って見ていると、彼女はくるりと向き直り、わたしたちの方へ戻ってくるのだった。…

 老婆は脳のどこかに障害があるのか、それとも精神に障りがあるのかはわかりません。けれど彼女はある程度進むと何かに妨げられ、来た道を戻ってしまうのです。直線上を五十歩進んでは二十歩後戻りするように、時には数直線を負の位置にまで。
 けれど彼女には確かに行かなければならない用事があるらしいのです。それが何かは誰もわかりはしないのだけれど。
 家を出て用事を済ませ、家に帰る。その当たり前のことが彼女には難しい。
 シーシュポスに与えられた神罰ではないけれど、老婆は徒労を繰り返しているように見えます。けれどその奇妙な光景を誰が笑うことができるのでしょう。
 完成しない仕事を完成させるとういう無限の目的を持つことをある種の幸福であると言うのなら、辿りつけないまでも必死に一歩を踏み出すその姿こそ羨むべきものが存在するのではないか。全身全霊をかけた一歩を踏み出した経験のない者が待つ幸福が老婆にはあるのではないか。

 三木卓は言います。
 
…どこへ行くのかはわからないが、この人は必死なのだ、と思った。目的地にたどりつくということは、わたしたちとちがって、彼女にとっては大変なことなのだ。いったん門を出れば、目的地にたどりつくまでは血みどろの苦しみなのだった。いくら心は、はやっても、思うようにはならないのだ。それでも彼女は出掛けなければならない。おもどりさんは、たたかっているのだ、と思った。…

 物理的な歩行の話ではないけれど、僕の毎日も「おもどりさん」と大して違いはないのです。逡巡し、困惑し、波風が立たないように、切り抜けるために、観覧車のように辺りを見回しながら同じ低さと同じ高さを繰り返して廻り続けています。地に届くこともなければ、天に触れることもありません。
 そして僕には彼女ほどの必死さが、戦うものが無い。だから嘲笑の的になります。その嗤い声を抑止する資格は僕には、恐らくありません。何故なら僕自身が変えなければならないものが確かに存在しているのですから。

 この本のなかには様々な思い出の情景が描かれています。回想することで何かを残したいと作者は願いました。記憶を確実なものにするために。けれどそうするためには、決してそこへは戻れないのだと残酷な現実を知る必要もあるのです。

…ふりかえる。緑のトンネルにさえぎられて、もう若い恋人たちは見えない。わたしはかれらを見出すために、まったく正反対の方角へ歩き出す。…

 tmkG0596.jpg



 

  
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