七月の終り

 朝、薄日が差し始め、眼を覚ました時、「ここはどこなのだろう」と一瞬、自分の居場所を見失ったような経験はありませんか?
 君はしっかりしているから、そういうことはないかもしれないですね。

 未明に雨が降りました。
 その雨音を聞きながら仕事をしているうちに僕は眠ってしまったようです。
 不自然な寝方が痛みを伴い僕を揺り起こしたのです。

 僕は、僕の町に雨が降ると、やはり君の町も雨になったろうかと思います。
 それは不確かなもので、それでも僕と君を辛うじて繋ぎ止めているであろうから。

 まだ完全には明けない朝を迎えるために窓を開け、雨の名残の湿った空気を吸い込みます。
 「おはようございます。」
 そう言いたげにか、それとも迷惑気味にか、花柚子に集まった鳥たちが囀り、やがて飛び立ちます。
 こんなにも朝が早いのにどこかの家で水を撒く音がしています。雨が降ったばかりだというのに習慣なのでしょうか。それは遠慮がちで、サーサーっと霧雨が葉を叩くような音を立てていました。
 もしかしたらその音は、僕の耳のなかでだけ鳴っていたのかもしれませんが。

 風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける

 「新古今和歌集」の編者である藤原家隆の歌です。小倉百人一首にもおさめられているのでご存知でしょう。
 ここにいう「ならの小川」とは上賀茂神社の境内をゆく御手洗川を指しています。六月晦日に大祓が行われ、それをもって夏の終りとしていました。
 旧暦ではね、六月までが、今の暦では七月までが夏なのです。四月ごろからの凡そ3か月の夏。
 この七月が明けてしまえばもう秋の始まりなのですよ。
 実際にはまだまだ日差しは強く、熱中症の虞はあるので警戒しなければなりませんけれど。

 縫った後の傷が鈍く痛み、抗生物質と鎮痛剤を飲むためにダイニングに向かいます。本来ならそれらは点滴で補うはずのものですが僕が身勝手をしたばかりに、こういう羽目に陥っています。
 冷蔵庫から食パンを取り出し、卵と、生クリームがないので牛乳を代替にして、それと砂糖。
 パン一枚を置ける程度のフライパンにほんの少し油をひいて温めます。熱し過ぎるとパンを置いた瞬間に焦がしてしまうので注意しないと。
 今朝はフレンチトーストにしました。6枚切りのパンの一枚分。
 紅茶は冷たくしたレディ・グレイ、それとアップルビネガーを微量加えたコールスローサラダです。
 朝食はこれで十分。ちょっと多すぎるくらいでしょうか。
 
 そう、先ほどの家隆の歌ですが、「風が楢の間を抜けてそよ吹き、小川の流れる様は涼しく、既に秋を思わせます。けれど大祓の禊が行われいるのが、まだ夏であるということの徴なのです」という内容です。
 晦日の一日、いえ、半日だけの夏を惜しむ歌なのです。
 これを季節の歌として括るのはあまりにも当然なのですが、まだ心に燻る恋心として取るのもありかもしれません。
 去るには早すぎる心残りの歌ですね。
 もう一日、あと半日、とね。

 残すところ6日で七月が終わります。
 旧暦の夏の終りは僕たちの夏の始まりです。
 君に惜しむものはありますか?
 これからの夏、そういうものに君が出逢えるよう祈っています。

 それでは、また。
 

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