鉛の塀

 雨音に耳を澄ましていると誰かの話し声のようなものが聞えてきます。
 それは知己の者たちの声のようであり、見知らぬ人の声のようでもあります。
 何を話しているのか。
 僕に覚えがある会話の断片が谺のように、或いは会話とは言えない奇妙な単語の羅列のようであったりします。
 それらは言葉でさえない、ただの記号なのかもしれません。
 僕はあるはずのない声を聞いてしまう。
 ソ・ラ・ミ・ミ。
 そんな声はどこにもなく、僕の記憶がそれを思い起こさせているだけなのです。
 僕は幻聴に期待しているのです。
 存在しないはずの声でもいい、僕はきっと僕が訊きたかった答えを探している。

 君は知っているのでしょうか。
 言葉ってなんなのですか。
 僕は言葉を操っているのか、それとも操られているのか。
 そもそも心は言葉でできているのでしょうか。
 言葉=心という等式は成り立つのですか。
 僕には、わかりません。
 ただ後悔しているのです。
 言葉を覚えてしまった事を。
 それに頼ることを知ってしまった事を。

 
 「鉛の塀」  川崎 洋
 
 言葉は
 言葉に生まれてこなければよかった
 と
 言葉で思っている
 そそりたつ鉛の塀に生まれたかった
 と思っている
 そして
 そのあとで
 言葉でない溜息を一つする


 以前に紹介した川崎さんの詩集のなかの一篇です。

 自分の言葉は苦痛なのです。
 他人の言葉であれば尚更に。
 言葉で知ることは痛みを伴う。
 笑顔と泣き顔とすまし顔だけで充分だと思っているのに、僕はどんどんと言葉を覚え、言葉で知ってきてしまった。
 言葉は知識であり、期待であり、愛情でもあります。
 そして言葉はそれらを伝えると同時に、僕を裏切り、僕に裏切りを働かせるのです。
 「鉛の塀」に思いが募ります。
 僕の心を晒すことの無い要塞があればと。
 僕の言葉の一切を遮断してしまえる壁があればと。
 誰の言葉も届かない部屋に住めたならよかったと。
 或いは、もっと望むことを許されるならば、身は漂白に委ねるとも、ゆるぎない存在として在りたかった。

 言葉があるから知りたいという欲望が生まれ、知ってもらいたいという希望が生まれる。
 本当は言葉に罪をなすりつけたくはないのです。

 終りの無い耳打ちのように、今も雨のなかで言葉が繰り返されています。
 雨に混じって聞こえて来るひそひそ話は、僕が知りたくなかった答えを繰り返すのです。
 
 僕はずっと前からその「答え」を知っている。

 眠りにつく前に、僕は最後に言葉でない溜息をひとつ落とすでしょう。
 連続しないよう今日にピリオドを打とうとして。
 それが言葉でないことに安心したいのです。

 雨は明日も続くのでしょうか。
 突然の雨に君が濡れないよう、小さくても良いので傘を忘れずに持って行ってください。

 それでは、また。

 


 
 
 
 
 
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