かたつむり

 雨あがりの、湿度の高い息苦しい風のなかに海の匂いがしました。
 僕の住んでいる町からは海は見えません。なのに夏になると時折その匂いだけが運ばれてくるのです。
 地図を開けばそれほど離れていないことはわかります。波濤の音もしなければ、海面のきらめきもない、全く実感のわかない、歩いて行くには遠すぎる距離の「近さ」です。
 けれども掴めない齟齬のある距離感はこの海の匂いに限ったことではないでしょう。
 人の距離も似たようなものです。

 夜になって気温は急激に下がりますね。過ごしやすいといえばそうですが、窓を開け放したまま眠ってしまうと風邪をひいてしまうので気を付けないと。
 
 昨日のことになりますが、庭のフェンスにカタツムリを見つけました。
 のんびりと外敵を気にすることもないかのように、進むとも進まぬとも言えない速さで動いていました。
 殻に閉じこもってしまえば生死の見分けもつきかねる生き物ですね。
 
 「或る夏の或る雨の日のかたつむり みじかき生(しょう)を無駄に動かず」(小笠原和幸)

 生き物は自分の生きるべき速さを知っています。決して無理はしないし、それ以上を望みません。
 どうせ死ぬのだから急いでも仕方がないということなのでしょうか。
 短い時間でどれほどの軌跡を残したかではなく、自分の生きる場所をしっかりと見極めているということですね。
 では、僕は、僕たちはどうなのでしょうね。
 
 君は、旅行などで初めて訪れた町で過ごす一日がともて長いと感じたことはありませんか。
 最初の2、3日間が一週間にも感じられるほどに。
 なのに何日か滞在していると同じ一日を短く感じてくるような経験をしたことはありませんか。
 実際の一日の長短が変わることはありません。
 昨日の閏秒のような特別な便宜を図る以外には。
 体感時間の長短は脳が処理する情報量によって決まって来るそうです。
 見なれない場所にくると目に飛び込んでくる景色すべてを処理しようと脳が活発に動きます。それが時間を長く感じさせるというのです。
 見なれることによって情報処理のショートカットが行われ、不要な処理は排除されてゆく、その結果、時間を短く感じるらしいですね。
 子供の頃は時間が遅く、大人になると時間が経つのが早いというのは、いかに大人たちが楽をして周囲の情報を処理しているかということなのです。
 つまりね、僕たちが散漫な時間をすごしていることの証明にもなっているのです。

 万華鏡が美しいのは同じ紋様を描かないからだというのであれば、同じ瞬間が存在しない僕たちの一日も美しいものであるはずです。
 でもね、残念なことにそうは感じないですよね。
 それは恐らく鏡筒に差す光の差なのです。
 月明かりで見るのも、白昼の強い日差しの中で見るのも万華鏡の文様は美しい。
 僕たちはその光の機微を欠いているのです。
 もちろんそれは無いわけではありません。気づいていないだけです。
 僕たちの生活はあまりにも忙しいので、処理をするものをはしょらないとやっていけないので。
 見逃したものに、切り捨ててしまったものに大切なことが混じっていたのにね。
 過去がすべて、思い出のすべてが美しいわけではないし、恵まれた時間でなかったことは君も知る通りです。
 過ぎ去った時代が「良かった」と思えるのは僕たちがその過ちを認めるからなのですよ。
 僕たちの万華鏡は取り返しのつかない過去だけを紋様に映し出すものですから。
 だから、憧れてしまうのです。
 戻れない、二度と手に入らない、そして、それを知ってしまったから。

 「いま」の文様を美しいと思える当たり前の生き方がしたかった。
 考えていることも、迷っていることも、悩み苦しんでいることも、嬉しいことも、誰かを好きになることも、全部を素直に受け入れる生き方がしてみたかった。
 僕にはもう直すことは出来ないので。

 月並みですが、人の一生は上り坂を歩くようなものですね。
 痛もうが、疲れようが、上り続けるしかない坂道です。
 転んでも倒れても来た道を戻ることはありません。
 時間に制約されている以上、坂の下に戻ることはないのです。
 なのに転んだ傷、落ちた痛み、疲れた体の重さ、その分の苦痛をいつでも伴うのです。
 落下してもいないのに叩きつけられる痛みだけを押し付けてくる。
 物理法則を無視した理不尽な坂道ですね。
 いっそのこと歩いてきた坂道の分を転げ落ちてしまえれば楽なのに。
 もう一度坂の下から歩きはじめられる。
 その甘えをこの坂道は許してくれないのです。
 
 かたつむりのように自分の歩く場所を確かめながら生きていきたい。
 もう既にそんな時代ではないことは知っていますけど。
 
 「いとまなき苦労のはてに老いて死ぬ 生のいのちをかなしむべしや」

 先ほどと同じく、小笠原和幸の句です。

 それでは、また。




             
 

 
 
 
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No title

・・・考えさせられます。
今日は雨で仕事がないので
仕方なく家の中でのんびり過ごしていました。
時間はたんたんとすみやかに通り過ぎていき
ぼくはかたつむりの心を感じます。

頭のなかの万華鏡をみると
ぼくの時間は止まります。
世界の時間はとまらないわけだから
気づけばもうこんな時間となるのですが
それは仕事をしている日にはなりません。
受容体が感じる世界はマンネリになっても
頭のなかの万華鏡はそれこそ千変万化です。
それがすこしでも長く続けばいいなと思っています。

Re: No title

> ・・・考えさせられます。
> 今日は雨で仕事がないので
> 仕方なく家の中でのんびり過ごしていました。
> 時間はたんたんとすみやかに通り過ぎていき
> ぼくはかたつむりの心を感じます。

 雨の日の静かさは毛布のようです。
 何もしなくていいんだよと、そう言ってくれている気がします。
 だから余計なことも思い出させるのでしょう。

> 頭のなかの万華鏡をみると
> ぼくの時間は止まります。
> 世界の時間はとまらないわけだから
> 気づけばもうこんな時間となるのですが
> それは仕事をしている日にはなりません。
> 受容体が感じる世界はマンネリになっても
> 頭のなかの万華鏡はそれこそ千変万化です。
> それがすこしでも長く続けばいいなと思っています。

 生きていることは苦しくてどうしようもないのだけれど、それでも恐らく毎日は不思議に満ちていて、その不思議さを奇跡だと受け止められるのなら自ら死を選ぶことはないのでしょう。
 偶然を必然に結びつけるのが思考なら、そのすべてを奇跡に変えてしまえるのも思考なのです。
 考える葦は弱いがゆえに「思考」を身につけたというのは詭弁ですか。
 
 偕誠さんの万華鏡は詩という姿でめくりめくります。
 止まることの無い輪舞を待っている人のためにも休息を大切にしてください。
 
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