水の無い川

 久しぶりに君宛の便りを書くことにします。

 こういう書き方をすると如何にももったいぶって聞こえますね。
 自らを主張するに充分な自信に裏打ちされているように見えます。
 けれどその実は非常に情けないことなんですけど。
 術後を甘く見て動きすぎた結果、その反動が出てしまったようです。
 体調は芳しくありません。
 「決まりを守らなければ報いを受ける」の見本のようです。
 君にすれば、またいつものこと、と呆れるかもしれませんね。
 まったくその通りなので弁解のしようもありません。
 どうも僕は直情に流される傾向が強く、思慮深さとは縁遠いようです。
 もっとも言いつけを守らないのと思慮深さとは関係ありませんけど。
 ただ単に大丈夫だと思い込んでいたんですよ。
 自分が特別なんてことはありえないのに。
 思慮の前に常識を身に着けないとね。

 ところで、一昨日の昼過ぎの雨は酷かったですね。
 君の住んでいる町はどうだったのでしょう。
 僕は、ほんの数分の出来事だったのにずぶぬれになってしまいました。
 服を脱いで絞りたかったくらい。
 雨がやんだ野原の道を、グッショリとした情けない風体で歩いていたら、普段は水の無い石ころだらけの川底が一瞬の流れを作っているのを見つけました。
 あれほどの降り方ですから水もたいそう濁っているだろうと思ったら意外にも川底が透けて見えるので少々感心してしまいました。
 そんなものに感心するというのもおかしなものですけどね。
 めったに歩くこともないその枯川沿いをぶらついてみる気になったのです。
 通常は干上がったままの川に、誰が渡したのか板切れを倒しただけの橋が朽ちてかかっており、その少し先に白い鳥らしきものが見えました。
 僕は何の鳥なのかを確認するため音をたてないように注意して近づくことにしたんです。
 真白な羽毛と小さく絞られた頭から伸びている冠羽と鋭い長い嘴。
 コサギです。
 彼は数センチしかない水の流れに視線を向けてじっとしていました。
 静止しているその姿は剥製のよう。
 魚か小海老でも待っているのでしょうか。
 時折、脚を組み替えるように動きはするものの、やはり川面を静かに見詰めていました。
 (そこには何もいないんだよ。)
 見えるのはごろた石の他には、踏みつぶされたお菓子の包み箱や空き缶、泥に汚れたレジ袋と投げ捨てられた雑誌、そんなものしかない。
 そこは川じゃないのだから。
 ずっと昔は魚も小海老も亀もいたかもしれないけど、今は何も棲んでやしない。
 彼は頭をフルフルっと震わせました。
 こんなはずじゃなかった、とでも思っているのでしょうか。
 僕はずぶぬれのカバンからカメラを取り出して撮影しようと思ったのですが、たぶん、そうしたら彼を驚かせてしまうのではないかと思ってやめました。
 そのかわりにしばらく彼と同じ時間を過ごすことにしたのです。
 辺りには彼の仲間の姿は見えず、無残に膚を曝した土にまばらに生える草、掘り返され放置されたままの岩と切り株、仮初の川の中で一羽だけが取り残されている姿。
 きっとこれは何十年後、或いは何百年後かの、ここにいるたった一羽を除いて滅びてしまった後の景色なのです。
 けれど最後の一羽になったとしても、彼はやはりこうして水を見詰めつづけているのでしょう。
 彼自身のではない記憶のうちには、無数の仲間と樹上に巣を営んだことが遺伝子の情報として微かに伝わっているかもしれないけれど。
 もし君があの鳥だったらどうしますか。
 僕が最後の人類となったら、こんなに静かに何かを見詰めてはいられない気がします。
 気が狂っているかもしれません。
 その時、僕の遺伝子はどんな映像を記憶のなかに結ぶのだろうか。
 そう考えたら、「僕はきっと彼に劣っている」と、そんな気がしました。
 自然の生き物は強いんですよ。
 食物連鎖の頂点にいると愚かにも信じて疑わない人類よりも、遥かに逞しい。
 人類が地球を破壊しつくす前に、一瞬で人間だけが滅びてしまえばいい。
 
 今日はね、君に伝えたい少し嬉しいことがありました。
 以前に書いた「冬の哲学」のことです。
 YouTube でその歌をアップしている管理者の方からご連絡をいただいたんです。
 森田つぐみさんのCD「愛のスケッチブック」が発売になったという知らせです。
 諦めていたものが唐突に手に入る時の喜びは、君も知っていると思います。
 そして何よりも膨大なネット情報のなかの片隅とも言えないほど小さな僕の日記をみつけてくださったことが有り難くて。
 昨日も今日も嫌なことがあって沈みがちだった苦い気分に、スプーンひと匙分のミルクを落としてくれたかのようです。
 こういうささやかな縁は気づいていないだけで他にもたくさんあって、僕はそれに感謝しなければいけないのです。
  
 それからね、僕はやっと気が付いたんですよ。
 僕がどんな生活をおくりたかったのか。
 贅沢な家で寝転んでいたいとか、人よりも優位なステータスを得たいとか、音楽や本や絵に囲まれた世界に住みたいとか、そんなことではなくて、僕が望んでいたのは静かな生活だったんです。
 自然が作り出す音や人が営みの中で作り出す音に包まれた争いのない静かな生活。
 便利じゃなくてもいい、速くなくてもいい、自分の足りる分だけを持っている暮らし。
 不安は日常のスパイスだと言って退ける強さを持たない僕は、世間的には負け組なんですよ。
 でも、争わないで負けるのなら、それでいいのではないかと思い始めたんです。
 そうしたら、恐らく僕もあのコサギのように静かな眼差しを持てる気がして。
 諦めとか、悲しみとか、懐古ではなく、自分の道を静観するということ。
 そんな勇気を持てる気がするのです。

 自分勝手をした僕が復調するまでにはもう少し時間がかかるようです。
 君は、僕と違ってわきまえているから同じ轍は踏まないですね。

 まだ梅雨空は続くようです。

 それでは、また。


 

 

 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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がんばっちゃったんですね・・・
お気持ちはわかりますが、心配です。
動きながら治っていく場合もあると思いますが
とりあえずは、ゆっくりご静養なすってくださいね。

枯れた川に佇む鳥の一羽、なんとも絵画的ですね。
それを「見ている」otosimonoさんの「視線」も含めて。
ベクシンスキーの絵をみているときのような気持ちになりました。

偕誠 様

> がんばっちゃったんですね・・・
> お気持ちはわかりますが、心配です。
> 動きながら治っていく場合もあると思いますが
> とりあえずは、ゆっくりご静養なすってくださいね。

ありがとうございます。
人に任せるというのも大事ですよね。
何もかもを一人で、なんて初めから無理なのですから。
これ以上、結果的に迷惑をかけないために休む時には休まないと・・・。
焦りは常にありますが。

> 枯れた川に佇む鳥の一羽、なんとも絵画的ですね。
> それを「見ている」otosimonoさんの「視線」も含めて。
> ベクシンスキーの絵をみているときのような気持ちになりました。

彼が描く廃墟の幻想は、たぶん予想図なのだと思います。
人が文明だの、科学の発展だのと空虚なものに空騒ぎをした結果、引き起こされる虚無の未来といったところでしょうか。
便利さや合理的なものを求めるあまりに命の根源を忘れて滅亡してしまうのでしょう。
ある種の警告を含んでいるのかもしれません。

僕のだらしのない長文をお読みくださりありがとうございます。
感謝申し上げます。

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otosimono

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全く役に立たない独り言です。

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