梅雨の音

 雨をかいくぐって栗の花のぬるっとした甘い香りがしてきます。
 もうそろそろ梅雨入りなんですね。
 君は何をまちますか。
 夏ですか。
 新しい水着を用意して海に出かける予定を立てているのでしょうか。

 先だっての手術は無事と言うか、あまり効果なく終わりました。
 痛みを取り除くと言うことには一応の結果はだしてくれたので、それで良しとするほかないですね。
 頃合いをみてもう一度やらなくてはいけないようです。

 数日前、平岡淳子さんから「クリップ」の75号が送られてきました。
 巻頭の詩が季節をとても優しく伝えてくれます。
 こんな詩です。

  「手 紙」  平岡淳子

  鳥の声をきいていたら
  きれいな文字が書けそうで
 
  長年使っているペンと
  引き出しから無地の便箋を

  みえないはずのものが
  みえるような五月も終わり

  紫陽花はほわんほわん
  薄く色づいて雨をまってる

 「クリップ」は平岡さんが自主発行している小冊子です。
 もうだいぶ以前に発行された詩集の作品と新しいものを比べてみると、根底は変わっていないのですが、その冷静な視点と言葉選び、そして、自分というフィルターを通してより簡潔に抒情を伝えるという手法が研ぎ澄まされてきた感じです。
 感情に流されずに淡々とした詩の世界をつくる、そこにはルナールの目があるような気がします。
 7月14日から19日まで北青山のギャラリー・ダズルで " Poetry vol.4 -詩によりそうー"という展覧会が開催されます。
 平岡さんの詩に6人のイラストレーターが絵をつけてゆくというものです。
 君も時間があったら覗いてみてください。
 
 そういえば雨については思い出すことが殊の外多いのですけど、先日、病院帰りのタクシー待ちで夜寒の雨に打たれていたらレイン・コートの幽霊のことが浮かんできました。
 もちろん実際の話ではなく芥川龍之介の「歯車」の話ですよ。
 鏡花の雀のごとく、どこに場を移しても追ってくるようにそこにあるレイン・コート。
 そして、芥川の眼のなかで回り続ける半透明の歯車。それに伴って起こる頭痛。
 どちらも死の予兆として描写されています。
 幻覚については、症例でいえば閃輝暗点ということになるようですけど。
 これに 「フラッシング・ダーク・グラビティ」とか出鱈目なルビを振るとどこぞのラノベにでも出てきそうですね。

 「歯車」は最晩年の作品で遺稿のなかにあったものです。
 僕は彼の研究家ではありませんから、この作品が晩年の実生活をどれほど忠実に再現しているのか知りません。
 ただ死の予兆として訪れる歯車を見続けていた彼の心理状態には非常に興味深いものがあります。
  
…僕はもうこの先書きつづける力を持つてゐない。かう云う気持ちの中で生きてゐるのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠つているうちにそつと絞め殺してくれるものはないか。…(歯車)

 死の三か月前と言うこともあって、最後の一文は同じ年に書かれた「闇中問答」の結びと重なるようにして僕の心に妙な引っ掛かりを残しました。

…お前は風に吹かれてゐる葦だ。空模様はいつ何時變わるかも知れない。唯しつかり踏ん張つてゐろ。それはお前自身のためだ。同時に又お前の子供たちの為だ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。…(闇中問答)

 君の眼はきちんとものを映していますか。
 僕の眼はそろそろ歪んできたかもしれません。いえ、もともと歪んだものしか映さなかったのかもしれないのです。
 見ることに疲弊しきった結果、世界が歪むのか。それとも、見飽きた世界から逃避するためにそうなるのか。
 本よりどちらが正しいのかを知る術は僕にはなく、第三者の診療に頼るほかないのだけれど、いずれにしろその結果は僕を推測することはできても真実を割り出すことはできません。
 僕にも君にもね。
 本当の理由なんて誰にもわからないのだから。

 ところで、君も知っての通り水は非常に防音効果(伝搬減衰効果)が高いのです。
 水のカーテンに遮られていると、もう向こう側の声は聞こえません。
 雨音に遮られるのと、水自身の防音効果とが相俟って、きっとこの梅雨の時期は一年を通して最も静かな夜が迎えられるのかもしれませんね。
 場所を選びはしますけど。
 それから雨には人を引き留めるという効果もあるようですよ。
 急に降りだした雨をしのぐために雨宿りしたり、あがるまで発つの遅らせたりね。
 だから、こんな歌も生まれたのでしょう。

…鳴る神の少し響(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ…(万葉集巻の十一)

 「雷でも鳴って雲が出てきて雨でも降れば、あなたをここに引き留めることができるのに」という意味です。
 これには「雨なんて降らなくても君が望むならずっとここにいるよ」という返し歌があります。
 ロマンティックというより、このノロケは何時まで続くんだ?という感じの甘さが痛い、怖い、耐えられない、です。
 実際に目の前で繰り広げらていたら、僕はツクツクボウシのごとく電柱に抱きつき「雨に歌えば」でも大声で叫びそう。
 空気が読めないふりをして邪魔をするのは、僕の煩悩技でもっともポピュラーなもののひとつですから。
 でも、羨ましいですね。まあ、所詮は妬みですよ、僕の。
 雨は物語を運んできやすいんです。
 七夕近くに降る雨も、考えようによっては素敵な歌がつくれるのですから。

…この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも…(万葉集巻の十)

 七夕に間に合わせようと必死に舟を漕ぐ彦星を見ていたら「頑張れ!彦星っ!織姫は君をまっている!」というエールさえかけたくなります。
 恋に努力する人たちはコミカルで可愛くて、かつ、美しいものです。
 
 雨はいろいろな意味を持っていますね。
 人の世に起こることの比喩としてもよく使われます。

…夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか…(万葉集巻の八)

 「夏が来て花開いたハネズは、雨に打たれて色あせてしまわないでしょうか」との移ろいやすい心の暗喩です。
 ハネズは唐棣花と書き、その花弁はとても鮮やかな朱色をしています。
 因みに「ひさかたの」は、天、雨、月、雲、光などに関わる枕詞です。
 また「はねず」或いは「はねずいろ」は「うつろふ」「うつろひやすし」に掛かる枕詞です。
 万葉集に「思はじと言ひてしものをはねずいろの移ろひやすき吾が心かも」という歌があります。
 はねずで染めた布は木灰を入れた水で洗うと色落ちがします。そういうところから「うつろいやすい」というイメージがきているのでしょうね。
 花言葉は「尊い思い出」です。

 雨はまた恨み辛み、惜しむ心も含んでいます。

…雨障(あまつつ)み常する君はひさかたの昨夜(きぞ)の夜の雨に懲りにけむかも…(万葉集巻の四)

 「常日頃、雨が降ると出不精になるあなたは、昨日の雨に懲りてしまってやはりお出かけにならなかったようですね」みたいな感じの歌です。
 待つ身と待たせる身とどちらが辛いのでしょうか。引き留めるも、引き留められるも、残す心はどこかにあるのでしょう。そして、恐らく何かにそのどうしようもない訳を求めているのです。

 僕も万葉人に負けないくらいこの鬱陶しい梅雨をロマンティックに乗り切りたいですね。
 気が付けば四万六千日みたいな、ね。

 体調を崩しやすい時期でもあります。
 不摂生は控えめにしてくださいね。
 すこし先の話ですが、ほうずき市で君に会えたらいいですね。

 それでは、また。
 

 
 
 
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