ロベール・クートラス「僕の夜」

…人間の生を負いつづけねばならぬか──そして運命を避けながら 運命を憧れわたるのか?…(リルケ「ドゥイノの悲歌」第九の悲歌より抜粋)

 先週の金曜日に松濤美術館を訪れるまで「ロベール・クートラス」という名前も作品も知らなかった。
 当然の話だが今も「知っている」とは言い難い。
 「知った」という取っ掛かりを得たに過ぎない。
 彼の作品に大作はない。かつてはあったのかもしれないが、現在、見られるもので形状的な大作はない。
 時に物理的な大作はその豊富な色彩と大きさで観る者を圧倒し感心させるが、どれほど広大で立派な美術館の壁面を支配していようと、より大きな空間に出た途端に印象は薄れてしまう。
 クートラスの作品の大半は小さい。
 カルト(手札、カード)と彼が呼んだように、それはタロットカードほどの大きさしかなく、人物面と紋様面とを表裏に分けていることからも、まさしくカルトなのだろう。
 そして彼はそれらの作品を「僕の夜」と名付け、6千枚ものカルトを残した。
 イコンを連想させるクートラスの作品は、彼の名に含まれている"couteau"(短剣)のように胸に刺さる。
 それはその場所を離れても痛みを忘れさせてはくれない。

 クートラス01

 クートラスは1930年3月17日、パリのポール・ロワイヤルでジョルジュ・クートラスとリュシイ・レイノの第2子として生まれた。
 父は職人であったが片足を失っており、母親は美しかったが浮気性であったという。2歳年長の兄もいたが幼くして亡くなっている。そして、クートラス自身の父親は母親の浮気が原因で誰かも判らないと彼自身は後に語っていたらしい。
 3歳になる頃、両親が離婚し小学校に上がるまで地方の農家に里子に出されていたという。母親がレオン・エンスミンガーと再婚しパリ13区に住まうようになるのが8歳。
 クートラスが9歳の時、第二次世界大戦が勃発(1939年)、1940年6月にドイツ軍の侵攻によりフランスは敗北し、継父が対独協力強制労働の徴用を受けチェコに移住。そこで彼は継父とともに工場で働くことになる。
 クートラスはヴィシー政府の対独協力統治とレジスタンス運動の混沌の中で少年時代を送った。
 15歳の時に終戦を迎えパリに戻ってくる。紡績工場で働く傍ら、時間を見つけては鋳物や木彫を独学で身に着け作品を作るようになった。しかし、芸術家になるという彼の夢は継父の反対に合い、それまでの作品を廃棄され、彼は自殺未遂を起す。
 この事件を受けて、結局は継父が折れてクートラスはアーティストの道を目指すことになる。
 工場で働きながら夜は美術学校へ通うと言う形をとるが、21歳の頃、中世の彫像に深く関心を寄せていたことから石工に転向。
 28歳頃から数々のコンクールに出品し優秀な賞歴を得て、画廊と契約し「現代のユトリロ」と呼ばれる。
 しかし、クートラスはカルトを「僕の夜」、グアッシュなどで描かれた肖像を「僕のご先祖さま」と呼んでいたように、その作品は彼自身の魂の分身であった。
 故に魂を分売する痛みに彼は耐えられなかったのだと思う。
 それが商業画廊と決別する理由となった。
 商業的な職業画家には成りきれない弱さと、自己の矜持を固持した強さとが、晩年の彼を経済的にも精神的にも追いつめてゆくことになる。

 クートラスは亡くなるまで約17年間、拾い集めてきたボール紙に油彩で下塗りをし、乾いたその上に絵を描くというカルト画(縦12cm×横6cm)の制作に没頭した。
 それは確かに貧困という環境が影響したことは事実だろうが「貧しいから」というだけでは無かった気がする。
 小さな切れ端を集めて大きなキャンバス仕立てにすることも可能であったし、描くこともできた。それをしなかった理由が必ずある。
 カルトを眺めているとパリのアパルトマンの小さな窓内で暮らす人々が見えてくるようだ。そこには一人暮らしの貧しさと気軽さ、孤独と狂気があり、人間は「所詮、個々でしか生きられない」と言う厳しさと寂しさの縮図があるように思う。
 手札にすることにより、彼は描かれた人(自分を含めた)の人生を掌に乗せることができた。
 彼が残した作品は物質ではなく、彼の残留思念そのものである。
 それらを見ていると、今もパリの小路にあるアパルトマンの灯のともる窓を覗いて歩くクートラスがいるように感じる。

 クートラス02

 渋谷駅前のスクランブル交差点を斜めに渡りきるのに僕は直線を選べない。足を止め、速度を緩め、或いは早めて人を躱してゆく。ジグザグに刻まれたその煩わしさは、生計のためにその時間の大半を消費しなければならない苛立ちそのものだ。
 けれども、人の往来、干渉が激しい日常は陽と共に暮れて行き、訪れた夜は自分だけの世界を想像させる。深夜ともなれば携帯電話の呼び出しもなければ、メールの着信も気にせずに済む。
 夜は自由の象徴だと思わせてくれる。

…僕は絵描きだ。描かなければ生きて行けない。紙が無ければ地下鉄の切符にだって、それがなければ道路に、壁に、どこにだって描くさ。…

 クートラスはその死の十日ほど前に一枚の絵を燃やしている。

…あれは僕なんだ、自分に冷酷なぐらい厳しくなかったら生きてこられなかった。…

 その絵は、怖い顔をした年配の男が目つきの悪い猫を膝に抱いて睨みつけている肖像だったと言う。
 
 
 「ひとりになりたい。僕には孤独が必要なんだ」と叫んだクートラスは、自分のルーツである「人」への憧れを愛情と嘲笑を以て描き出した。
 彼が描いたネズミの優しい眼は、裏切られることの無い友情への、本能が生み出す愛情と信頼という理想への眼差しだったと思う。

 クートラスは「夜」を通して自分の運命と向き合い続けた画家である。
 「埋葬された墓の中で目を覚ましたら恐ろしいし、虫に食べられるのも嫌だから火葬にしてほしい」と願ったこの芸術家はペール・ラシェーズに眠っている。 

 岸真理子さんは「クートラスの思い出」という著書の中でリルケの「ドゥイノの悲歌」を彼の生涯に重ねている。僕もそれに倣って引用させていただいた。

  
…運命とはこういうことだ、向きあっていること、それ以外のなにものでもない、いつもただ向きあっていること…(リルケ「ドゥイノの悲歌」第八の悲歌より抜粋)

 クートラス03

 クートラスの作品が、その遺産を管理している岸真理子さんと共に明後日(3月1日)のNHK「日曜美術館」で取り上げられます。お時間があればチャンネルを合わせてみてください。

「1930-1985 没後30年 ロベール・クートラス展 」
 場   所: 松濤美術館
        〒150-0046 東京都渋谷区松濤2-14-14 
        TEL. 03-3465-9421 FAX 03-3460-6366
 会   期: 前期・2月8日(日)~22日(日)
         後期・2月28日(土)~3月15日(日)
 開館時間: 午前9時~午後5時(最終入館は閉館30分前まで)




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