別府葉子「いつもあなたを想ってる」

 以前に書いたかもしれませんがブログを始めるにあたって僕がルールとして決めたことに「なかった事を書かない」というのがあります。
 事実に多少細工することはあってもその事実は事実として存在することが前提です。
 そんなことは当たり前のことなのですが、僕自身にはあまりに嘘が多くて、これを守ると言うことは僕自身の過去並びに現在の嘘と正面から向き合い鬩ぎ合うことになります。
 そして嘘を書かかないということは、肝心なことから目を背けるという結果を引き出します。
 「人体を切り開くように心を解剖し、絵に描きたい」とムンクは語りました。心の内部を解剖図のように赤裸々に描く、それが可能なのか否かは僕にはわかりません。ただ最後には、自分の思いの一端でもいいから正直な形で伝えたいとは思っています。
 
 大学を卒業する直前の冬、遺書を書いたことがあります。
 もちろん遺書ですので死を前提としたものですが、宛先は肉身でも友人でもなく全くの第三者に宛てたものでした。
 とうの昔に千切り捨ててしまったものですから内容の全文は思い出せません。でも、書きだしはおおかた次のようなものであったと記憶しています。

 「あなたが僕を見つけてしまった災難に深くお詫びを申し上げます。そして、ここがあなたにとって日課の散歩道でないことを願ってやみません。この地は僕にとって縁もゆかりもない場所で、ただ人目に付きにくいのではという勝手な思い込みから選択しました。ですから、誰かが日課でこの場所を利用しているかもという僅かな可能性を考慮にいれないことにしたのです。それほどここは人気がない場所だったものですから。
 あなたが目にする物体は、できるのなら、すでに人間としての形を留めていないことを望みます。枯れ枝のように、乾いた粘土のように。
 あなたは、人間としての形を望まない者がなぜにこのような手紙を書いたのか滑稽に思われるでしょう。それは実に簡単な理由なのです。
 僕は法学部の学生でそれなりの成績を収められる程度には真剣に勉学に励みました。ですから身元不明の死体がどれほど多くの人々の手を煩わせるのかを理解しているつもりです。また自殺、他殺、事故など死因についても同様です。ですから、この死は僕以外の外部の要因でないことと身元を明らかにするため、そして、死ぬ理由は僕自身の生命力の弱さからくるものであるということを示したかったのです… 」

 死について考えるというのは僕にとって有益だったと今では思います。死ななくて良かったという感慨は今もってありませんが、死んでいた方が良かったという思いもありません。ただ真剣に死に向かったというのは事実として価値があったと思っています。
 ですから、如何なる形式であれ自分の思いの一点だけでも伝えたいという気持ちはある程度理解できます。
 「どうせ死ぬのだから」という投げやりなことではなく、誰もしらなくても自分だけは伝えたことを知っている、という思いです。
 たとえば、届かない手紙は不運ではあるけれど不幸ではありません。
 文字にしてもらえなかった言葉こそが不幸なのです。
 伝えたいことがあった。
 言い残したことがあった。
 だから手紙に綴った。 
 結果として相手に届くか否かということは必要条件ではあるけれど、大切なのは形にできたということだと思うのです。
 
 別府葉子さんの新しいアルバムは4曲を収録したミニアルバムです。けれどその中には数十曲を要してもあらわせない「思い」がつまっています。

 いつもあなたを想ってる

 
 「百万本のバラ」 

 ラトビアの歌謡曲である「Dāvāja Māriņa」(マーラが与えた人生)が原曲で、周辺国に代わる代わる併合されてきたラトビアの受難を歌ったものです。

…子供の頃、私が泣いていると、母はそっと寄り添い慰めてくれた。
 そしていつも、ほほえみながら私にささやいた。
 「マーラは娘に生命を与えたけれど幸せを与え忘れた。」

 時は流れ、母は世を去り、私は一人で生きていく。
 母の思い出に打ちひしがれる時、母の言葉をつぶやく私がいた。
 「マーラは娘に生命を与えたけれど幸せを与え忘れた。」

 そんなことを忘れていた或る日、私は驚かされる。
 私の娘が微笑みを浮かべて、あの言葉を繰り返している。
 「マーラは娘に生命を与えたけれど幸せを与え忘れた。」  …

 祖母、母、娘という3世代に渡って自由を奪われてきたラトビアの抗えない苦難に対する涙の歌なのです。 
 ここでは松山善三さんの詩によって恋の歌として歌われています。(このアルバムでは2つのヴァージョンが収録されています。)

 「六月の雨」 

 思いを残し人は去って行きます。そして、残された人は涙を浮かべながらも日常に戻らねばなりません。日々の歩みを止めることは逝った人を悲しませることになりますから。
 思うことで忘れない。
 思うことで優しく生きていく。
 春に秋に、風に雨に姿を変えても、思い思われ続けることで人は存在し続けるのです。

 
…桜の花を揺らす風が、いつか向日葵を吹き抜けて
 色づくもみじ流れる川が、雪に凍りつく頃も
 いつもあなたを、いつも想ってる。…

 別府さんのライナーノートによれば、アルバムのタイトルはこの一節からつけられたそうです。

 「月虹」

…月夜の虹を目にしたものは、幸せに、幸せになれるよ。
 きみの瞳にいつの日かきっと、平和の光が映る日が来る。
 ジャガランダの花は大地に根付き、どこまでも、どこまでも…

 耐える者は耐えることを永遠に強いられるのでしょうか。
 望みに手が届くことはないのでしょうか。
 アフリカの子供たちを撮った写真集のなか、その目は僕よりも遥かに澄んだ瞳をしていました。
 真っ直ぐに、光を宿したその瞳はこう伝えてきます。
 希望は確かに今も存在しています、と。

 別府さんが書かれた詞は、「百万本のバラ」の原曲に通じていくものがあります。その隠された思いがこのアルバムをひとつの形に結びつけているのでしょう。

 別府さんご自身のブログにも楽曲は紹介されていますが、ぜひこのアルバムを実際に手にとってみてください。


 


 
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