洗剤のある風景

 郷愁とは生まれ育った風景のなかだけに感じるものではありません。
 自分とは直接は無関係な風景や何かのきっかけに対し締め付けられるような郷愁が沸き起こってくることがあるのです。
 珈琲に溶けて行くクリームの白く細い帯の渦や、焼き立てのスコーンとダージリンの香りのなかにも、道端に落ちているテニスボールの所在なさや、残照にシルエットになった子供と手を繋いでゆく母親の姿に、大都会のビルの屋上で揺れるクレーンの影や、薄暗い地下歩道の壁の染みのなかにも、それはあります。
 それが過去の自分のどこにリンクしているのかは判然としませんし、そもそもが突き詰める術もない、理由など必要ない心の動きの発現なのです。
 営みが紡いでゆく時間の先に何があるのかはわかりません。
 またなぜ故に先に進まねばならないのかの理由もわかりません。
 しかし生きて行く理由が見当たらないとしても、死ねない言い訳くらいは持っているものなのです。
 たとえばこんな風に。
 「死ぬだけの理由が見当たらないので生きています。」
 大義名分など後から見つければ好いし、見つからなければそれでも好いのです。
 とりあえずは死ねない言い訳を大事にして、逃れられない昨日を引きずりながら明日を迎えて行くということも、生きると言うことの真実に近いものだと僕は思うのです。
 そう、多分、それがどんな過去であろうとも、それらを忘れないために死ねないだけなのかもしれません。
 そして、時折感じる不可解な既視感のなかで浮かんでくる郷愁も、生きているからこその実感で、本当はそれだけで充分なのです。



 「洗剤のある風景」  石垣りん

 夕暮れの日本海は曇天の下
 目いっぱいの広がりで
 陸地へと押し寄せていた。
 列車は北へ向かって走っていた。
 ふと速度が落ち
 線路脇に建つ家の裏手をかすめる。
 台所らしい部屋のあかり
 窓際に洗剤が一本
 小さな灯台のように立っていた。
 大波が来たら家もろとも
 たちまちさらわれそうな岸辺に
 何というはるかな景色だったろう。
 ―あそこに人間の暮らしがある。
 乳白色のさびしい容器を遠目に
 私はその先の旅を続ける。



 
 石垣りん新詩集「やさしい言葉」(花神社刊、1984年初版)から抜き出しました。
 寒気が押し寄せてきます。
 今週末には天気は荒れて雪になりそうです。
 事故のないように、風邪をひかないように。
 ささやかな日常の願いごとです。
 

 
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