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朝刊

 2014年11月12日の、つまりは今日の朝日新聞の朝刊を広げる。

 一面の見出しには「首相、解散を検討」の文字。
 ステータスと私益を求めて国事に携わることを政治とは本来言わないのだろうな。権力を持った私人の集まりは誰にもどうすることもできないと諦めたフリをする。
 オピニオンには解散の大義を問う声が寄せられている。けれどそれも曖昧模糊の文字列。本音を書けばもっと面白くなるだろうにと。

 解散を占う記事のその下に「米中協力、世界の利益に」と書かれてある。
 彼等の言うところの「世界」とはどこまでの範囲を指すのだろうか。そんなことを思いながらほうじ茶を淹れる。

 天声人語ではミヒャエル・エンデが取り上げられ、「誰も気づかないだけで私たちは第3次世界大戦のまっただなかにいる」という書出しから始まっている。
 今、世界は武力衝突の危機とともに、利益獲得のための衝突の中にある。
 「国境を超える」というのは希望が射す表現であるはずなのに併合と侵犯とが先に立っていく。国境のない世界とは、僕の勘違いでなければ無法地帯の拡大ではなかったはず。
 そういったところで無法者の言い分、我らは大航海時代にある。
 ところで僕が初めてエンデを手に取ったのは高校の時で、現国教師に勧められたから。それが「モモ」。

 一面をぐるっと読んだところで、冷蔵庫にサンドイッチを取りに行く。昨夜の売切り品。赤い値引きシール。

 ロシアではウクライナ危機に端を発した経済制裁からルーブルが急落し、変動相場制へと移行したという。自国経済を支え切れなければ、やはり結果として国土の外に利益を求める方向になるのかもしれない。
 今年は第一次世界大戦から丁度100年。
 世界は複雑に関係し、経済的な協力体制が重要な位置を占めているため戦争にはならないと当時の大多数の見解。けれど大戦はその後2度に渡って開かれた。

 日本経済は円安のため輸出利益が嵩上げされ、逆に庶民には負担増の起因となる。好調に利益をプールする大企業、螺子か紙のように使い捨てられる労働者。そのギャップは開くばかり。そして今は、トーストに塗るためのバターが手に入らないのが悩み。マーガリンは嫌いなので。

 スポーツ面では大相撲の高安が大関への足掛かりを固める健闘、テニスのファイナル・ツアーでは錦織vsフェデラーに注目。どちらも僕には興味がない。

 懐かしい「ニック・メイスン」の名前をみつける。プログレッシブ・ロックの旗手と言われたピンクフロイドが20年ぶりに新譜の録音に臨んだらしい。彼も既に70歳を超えた。小さな写真に老人を見。他人の老いるをみて自分の年を思う。彼だけが老いたわけではない。同じだけ時間は過ぎている。

 囲碁は全くわからない。将棋の棋譜に少しだけ目を止めて横に流す。ラジオの番組表。ラジオはいい。ただ流しておくには音楽よりもずっといい。風みたいだ。手を休めた時、吹いている風に気づくのと似ている。

 「いま、子どもたちは」の特集には「見守られ 叱られ 育つ」と大きく書かれている。そういえば子供の頃、知らない大人から怒られたことがあった。僕が悪いこともあったし、彼らの誤解から理不尽な叱責をうけたこともあった。思い出すのは苦々しくも後者の方が多い。そしてそれは、事実の原因の数に比例しない個人的感情の数。
 他人が他人を注意することが出来なくなったのは関心がなくなったからではないだろう。殺されるのが嫌なのだ。今はどこから凶器がでてくるかわからないから。

 国民投票実現へ、改憲派動き活発の文字を読み飛ばして、「昆虫の起源が4.8億年前に遡った」という記事に興味を惹かれる。昆虫は登場した瞬間から昆虫であった。進化の元はわかっていない。登場時期が遡ったに過ぎないが、それでも大きな進歩だと思う。だって、このままでは「昆虫は隕石にのって宇宙から飛来してきた」という説に一票を投じてしまいそうになる。

 エボラ出血熱に初の承認薬が出るらしい。患者にはこの上ない朗報。富士フィルムの株価がまた上がる。

 拘束介護の事実、韓国旅客船沈没の判決、スマホ詐欺や殺人事件。

 片隅に集団的自衛権に反対し焼身自殺をした男性の記事。首相などへの抗議文もあったという。
 この記事を読んで突然にフランシーヌ・ルコントを思い出す。
 1969年3月30日、パリの路上でひとりの女性がシンナーを被って焼身自殺をした。その女性の名がフランシーヌ・ルコント。
 彼女はベトナム戦争、ナイジェリア内戦に心を痛め、戦争や飢餓を放置する世界に抗議するため自殺したと言われている。この時、彼女が手にしていたのはビアフラの飢餓を訴えた新聞記事であったという。
 新谷のり子が歌った「フランシーヌの場合」はこの事件を題材としたもの。

 復刻した漱石「三四郎」の連載第29回。
 三四郎が級友の与次郎に、最近の大学の講義が面白くないとぼやく。与次郎はそれをうけて次のように答える。
 「講義が面白い訳がない。君は田舎者だから、今に偉い事になると思って、今日まで辛抱して聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。失望したって仕方ない。」

 僕は多少でも失望する程、期待していた何かはあっただろうか。探ってみたところでせいぜい年末ジャンボか、有馬記念か。
 思い当たったことがひとつ。
 「大外からレッツゴーターキン!」の声に耳を疑った、第106回天皇賞(秋)。
 あの日、トウカイテイオウにちょっとではないくらい落胆したのは覚えてる。中央競馬ダイジェストのVTRもみたくない程に。だって経済的な個人的損失が大きかったんだもの。

 そんなこんなでサンドイッチの最後の一切れを飲み込みながら、PCのキーを打ち終わったところで、朝刊を閉じた。




 
 
 
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