
喜寿記念作品「春の女神」

高橋先生の喜寿記念画集「MACOTOPIA」の発刊記念パーティが7月23日、24日両日に渡り、出版記念展覧会会場であるヤマナシヘムスロイド表参道で行われました。
銀座での個展が終了し、関西での展覧会の準備をされている中でのイベントとなりました。
会場は画集収録作品の原画を中心として構成され、貴重な高橋先生の自画像(1952年)や高橋先生のデッサン帳、小川未明「赤い蝋燭と人魚」の挿絵、うろこひめの挿絵などが展示されていました。
また、8月に誕生日をお迎えになられる先生のバースデイパーティもひと足先に併せて開かれました。出席者にはバースデイケーキの代わりに可愛い白鳥のお菓子が供されました。

会場

白鳥のお菓子

オブジェ
私は24日のパーティに参加させていただきました。
当日は、高橋先生のトークショーがあり、先生の描く星の瞳の話をお聞きしました。
それは先生がこどもの頃にお読みになったフィンランドの童話作家・トベリウスの「星の瞳」に影響を受けたことに由来するようです。
「星の瞳」とはラップランドの不思議な少女の話です。
ラップランド人の夫婦が山深い雪道で狼に追われトナカイの橇を必死に走らせておりました。女の人の胸にはしっかりと赤ん坊が括りつけられていましたが、ふとした弾みで雪の中に落としてしまいました。橇を止めようとしましたが狼に狙われ逃げるトナカイを停めることはできず、赤ん坊はひとり取り残されてしまったのです。
しかし、狼たちは飢えているにもかかわらず赤ん坊を食べようとはしませんでした。その瞳には不思議な力があったのです。
赤ん坊はたった一人で残され星を見ていました。
星もその子を見降ろしているうちに温かな友情が生まれ、ひとりぼっちのその子を憐れんだのか星の光をその瞳に宿らせました。
神様の采配でしょうか。その子はフィンランド人の男性シモンに拾われ、その妻と3人の男の子と暮らすことになりました。
その子は養母によって「エリザベート」と名付けられましたが、洗礼をほどこした牧師は子供の目が星のように輝くのに驚き「お前は星の瞳とよばれたほうがいい」と言ったほどでした。
星の瞳は清らかな優しい子に育ちました。
その間、シモンの家は狼に襲われることもなく羊が増え、お金も入るようになり、すべてが順調になって行きました。
星の瞳が4歳になった頃のことです。養母はその子が普通ではないことに気付きました。
彼女は、人の心を見通す瞳をもっていたのです。
たとえば、難儀した旅人を泊めた時、その男が盗んだ指輪を口の中に隠し持っていたことを言い当てたことがありました。また、養母が牧師へ大小どちらの鮭をあげようか悩んでいる時に、口にも出さず胸に思っていたことを星の瞳は人形遊びのなかで言い当ててしまったりしました。
養母は星の瞳を地下の蔵の中に閉じ込めることにしました。
しかし、地下にいても星の瞳は夜空の星を眺めることができましたし、離れた階にいる人々の心を読むこともできました。
養母はラップランド人が魔法を使うと信じていましたので、星の瞳もきっとそうに違いないと一層薄気味悪く思ったのでした。
ある日、隣に住むムッラが養母に助言をしました。
「七枚の布で目を隠し、七枚の敷物で床を覆ってしまえばいい。」
養母はその通りにしました。
しかし、星の瞳にはまったく無意味だったのです。
そして、ついに夫の留守中にムッラの差し金により、星の瞳は雪山に捨てられてしまいます。
「あの子は雪の上から来たんだから雪の上に帰ったまでだ。」
ムッラはそう言って星の瞳を置き去りにしたのです。
クリスマスの朝、夫が街から帰ってきました。そして妻に話します。
「ゆうべ、夢を見た。星がひとつ、そりの毛皮に落ちてこう言ったんだ。『私を拾って大切にしてください。私はお前の家の祝福の徴なのですから』と。さあ、星の瞳はどこだい?会わせてくれないか?」
妻の代わりに3人の男の子が星の瞳が閉じ込められたことやムッラに捨てられたことを話しました。
そしてとうとう妻は困り果て、ことの次第をすべて話しました。
シモンはすぐさまムッラを連れスキーを履いて、星の瞳を捨てた場所へ案内させました。しかし、そこにはもう星の瞳はいませんでした。
長い間探しましたが見つけることができないまま帰途につく中で、ムッラは狼に襲われ引き裂かれてしまいました。シモンが助けに戻った時にはもう手遅れでした。
朝になってシモンが帰宅すると妻は、夜のうちに羊がすべて狼に襲われたことを話しました。
「神様の罰が始まったのだ。」
シモンはそう呟きました。
これが物語の大筋です。
先生は、この「星の瞳」の前に立った時に心を読まれても恥じないように生きてゆくこと、それから、描いた女の子の瞳が「星の瞳」のようにすべての人を幸福に導いてくれるようにとの思いを込めたそうです。

「星の瞳」(萬澤まき訳、1946年・初版)
先生のお話を聞き、画集「MACOTOPIA」を見ていますと、先生が思い描く幸せな世界がそこに展開します。
緑と花に溢れ、多くの動物に囲まれ、そこでは争いや差別などなく、すべてが等しく生きている世界。
高橋先生は最後に「次は米寿、それから100歳まで頑張ります。ユートピアならぬマコトピアを精いっぱい描いていきたい」とおっしゃっていました。
会場で高橋先生は「ひとりでも多くの人と話し、そこからパワーをもらっている」と言われましたが、私は先生の絵から限りない希望をいただいております。
社交辞令ではなく、心より先生のご健康をお祈りさせていただきます。
最後にトベリウスが物語に書き添えた一文をご紹介します。
「小さな星の瞳よ、私はいつかあなたに会ったことがあります。何処でとは言いません。でも、あなたは私をみて、私の考えを読み取り、私があなたを愛していることを見抜きました。誰があなたを愛さずにいられるでしょう。輝く瞳の中に星を宿している優しいこどもを!」

「MACOTOPIA」

パーティ来場記念品
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