駅逓馬車

 柏木理恵。あるいは理絵だったかもしれない。
 その柏木さんが「秋の夜長にはコレッリのバイオリン・ソナタが一番素敵だと思うの」と言ったことがある。
 彼女がいう「バイオリン・ソナタ」を正しく表記するなら「バイオリンと通奏低音のためのソナタ」ということになる。
 コレッリのバイオリン曲の難度は高くはない。
 バッハのシャコンヌのように重音を駆使することもなければ、「さあ、どうです」と言わんばかりのハイポジションでヒステリックに鳴らすこともない。荘厳さもなければ前衛性も先進性もない。むしろ穏健な音運びで落ち着きすぎていると言える。
 目立たないけれどしっかりと構築された作品に、死後に未出版のものが遺作として世に出ることを嫌い、未刊行作品をすべて破棄するよう遺言をしたコレッリの音楽に対する誠実さが垣間見える気がする。
 技巧を見せつけ奇をてらう必要はない。ただ心安らぐ音を届けることに心を砕いた結果がある。コレッリの音楽は古典であるより普遍である。今の僕はそう感じることができる。
 彼女はコレッリの話をした後、南の空の地平線に近いところの星を指さした。
 「あれがね、フォーマルハウト。白い星です。そこから円を描くように星々が集まっているのがわかりますか?すぐ上にあるのが水瓶座。それに寄り添うようにしているフォーマルハウトを起点とした小さな円には南の魚座っていう名前がついています。星の光が弱すぎてよくわからないでしょう?けれどもあの星たちは弱くも儚くもないんですよ。あの星のどれをとっても太陽の数倍も大きく、明るいんです。儚いと思わせるのは、私達の眼に届くころにはその星が消滅してしまっているかもしれないという光の旅路のためかもしれないですね。私ね、今、そんなことを題材にした童話を書きたいと思っているんです。」

 彼女が童話を書き上げたかは知らない。
 彼女は僕が通り過ぎて来た道のりのごく短い区間、一部分で乗り合った乗客にすぎない。そして彼女にとっての僕も。
 人は思い出の中に都合の良い人たちだけを自分の車窓に招きたがる。
 ほんのしばらく前には、仲間外れにされたことや小さな裏切りを思い出して消えない悔しさを抱えていたのに、塗り替えようとするかのように気の合った人々だけを選び出して振り返る。
 そんな無意味なことも秋にはちょうど良いし、その弱さを自分で認めるのもこの季節には似つかわしい。
 あれほど深く香っていた金木犀も、夜毎に細っていく虫の音のように気づきもしない内に途絶えてしまう。
 思い返すのは春の花々であり、夏の生気に満ちた陽射しである。そして思いを馳せるのはこれから訪れるであろう冬の賑わいと切り立った寒さ。
 僕は思いが及びもしなかったけれど、あの時、彼女はコレッリを借りて、秋は誠実な季節であると言っていたのだ。
 明るすぎる夜空。建築物が視界の邪魔をするこの町では、見上げる秋空に「みなみのうお座」を見つけることが僕にはできない。


 「おもいで」 中村 稔

 すぎさっていった並木道の
 駅逓馬車のように またその
 石畳にのこしていつた音のように
 くる日々の乗合のいとなみのように
 
 ときとしてゆうぐれの警笛のように
 わすれられたころには野末に消え
 きえてゆく窓枠の金のふさばかりが
 まぶたにゆるやかにゆれている…

 ああ、そんなに燻んだおもいでよ
 くる日々の乗合のいとなみのように
 さまざまの似かよったひとびとをのせ
 町かどにかくれてゆくおもいでよ
 
 異国の旅行者をのせることもなく
 田舎道と田舎道とをつなぐ草ふかい道を
 昨日も今日もはしってゆく駅逓よ
 ああ、そんなに燻んだおもいでよ


 
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