時間つぶしの散策、市ヶ谷。

 市ヶ谷の駅を出て外堀を渡る。
 息苦しい往来の排気ガスを胸いっぱいに吸い込んですこし咳き込む。
 左内坂を上り防衛省の脇を通りDNPの社屋群に挟まれた道を納戸町の方へと降りて行く。
 市ヶ谷に降り立ったのは大学を卒業して以来、恐らく初めてだろうと思う。
 この町のどこがどう変わったのか僕には分らない。街の変化が大きすぎるせいもあるだろうと思うけれど、それ以上に僕の記憶が曖昧に過ぎた。
 悪露覚えの記憶のなかにあるのは納戸町の近くにあの子が住んでいたと言うことだけだった。

 彼女とは大学のテラスで出会った。

 ランチには遅すぎ、夕食には中途半端な午後4時。
 売れ残りに近いメニューからミートソース・スパゲティを選び出し、中庭に面したテーブルでひとりクルクルとフォークに巻きつけて食べていた時、不意に声がかかった。
 「それ、おいしいですか?」
 顔をあげると、学生には相応しいくないぴっしりとした緊張感を漂わせた硬質なカットラインの萌黄色のワンピースを着た彼女が立っていた。
 「ああ、まあまあですよ。安いし、量もありますし。」
 僕はこういうケースでは無視しない程度の返答をすることにしている。たとえ自分の口に合わない時でも。
 「此処、ご一緒してよろしいですか?」
 彼女は丁寧に僕に向かってお辞儀をしながら席に着いた。
 その仕草があまりにも上品だったので、「悪いけれど、僕は高額所得者ではないので何かを買うこともできないし、宗教にも興味はありません」と機先を制したつもりで言った。
 彼女は一度坐ってからワンピースの裾を直す様にもう一度腰を浮かせて坐りなおした。
 「私、押し売りではありませんよ?そう見えますか?」
 「あっ、えーとね、勧誘以外で僕に声をかけてくる人なんていないと思ってたから。驚いただけです。失礼しました。」
 「私、ここの学校じゃないんです。今日は学習交流があってきているだけで。でも、当初の目的とは違った集まりみたいで、ちょっとの間はいたんですけどお酒を飲むのも、バカ騒ぎするのも好きではないので抜け出してきたんですよ。」
 「合コンという名前の学習会ね。僕も興味ない、っていうか、そもそも誘われる当てもないけどね。」
 「みたいですね。」
 そう言って彼女は笑った。
 「失礼な意味じゃないですよ。お見かけしたらここだけ時間が止まったみたいに周りから浮いていたので。」
 それって僕が孤独体質だって言ってるんだよね、と心で思いながら別の言葉を一歩進めた。
 「あなたは一般的に言えばモテるほうだと見受けますが、僕とここにいても良いことがあるとは思えないけど?」
 僕は人払いをする意味で含みのある言い方をした。
 「良いことですか?きっとそれは今日、交流会に出ると決めた時点で失くしてたんですよ。そして、それよりも悪いことはもう起こらないって気がします。」
 彼女は冗談めかしてそう微笑んでから、ウェイターを呼んでアメリカン・コーヒーとチーズケーキを頼んだ。
 ケーキはもちろん解凍だろう、ここでは本物なんかでてくるわけがないので。
 僕は元来外面が良いのだけれど、それは僕が人づきあいが嫌いなためだ。けれどその人見知りがほんの少し慣れてくると余計なことを付け足したがる悪い癖がある。
 「ケーキならもっとおいしいところがありますよ。ベイクトで良ければ、ね。小さなサラダランチ専門店だけれど。正真正銘の手作りです。」
 ナンパだと誤解されるのが嫌だったので手帳を胸ポケットから取り出して地図を書いて手渡した。
 彼女はそれと引き換えにするように小さなバッグから四つ折りにされたプリントを出して僕の前に広げた。
 「再来週、うちの学園祭なんです。よかったらサークルの方に来てください。」
 今の世代なら携帯番号やメアドの交換とかするのでしょうが、当時はそんなものは存在しませんので、非常に都合の良いことに口約束で相槌を打っておけば済んだ。
 市ヶ谷には、その彼女の学校と納戸町のあたりに住まいがあった。

 二十年以上も前には木造やモルタル造りの戸建家屋が並んでいた界隈も、現在は鉄筋の集合住宅が競うようにして立ち、狭く感じていた道は更に肩身を狭くして縮こまっているように見えた。
 見覚えのあるところはないかと探して歩くがどこにも覚えがない。
 納戸町公園で足をとめる。
 ここは明治のことではあるが、青山みつが居住していた地ということになっている。
 みつは、オーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として東京に赴任してきたハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーと国際結婚をし東京で二児をもうけるが、当時の偏見により実家から勘当され、夫について欧州に渡った。
 彼女の生涯は常に偏見と差別とともにあり、それが彼女を鬼にしたのだろうと思う。強くなければ生きていかれなかった。
 デング熱が話題になっている中、やぶ蚊に気を配りながら、新宿区が設置したクーデンホーフ光子の説明板に目を通す。
 行きがけに買ったフリスクを2つ3つ口に投げ込み、残暑を紛らわすようにしてからまた歩きだした。
 そして、宮城道雄記念館の前まで来て、彼女の家があった辺りを通り過ぎてしまったことに気付いた。
 記念館横にある佐藤春夫の献辞による石碑を読む。
 宮城道雄は8歳で失明し、以後の生涯を生田流箏曲に投じた人物である。
 14歳で最初の作品である箏曲「水の変態」を書き上げた。
 その後も「春の海」、筝二面と十七弦による「さくら変奏曲」などを世に出し、その才を讃えられたが、昭和31年6月25日未明、「越天楽変奏曲」の演奏のため大阪へ向かう途中、東海道線刈谷駅付近で急行「銀河」から転落し轢死体となって発見された。
 そして、僕は来た道を戻り、今度は左内町へは戻らず浄瑠璃坂を下りルーテル市ヶ谷教会に向かった。
 途中、船橋屋で激辛カレー入りのどら焼き「インドラ」とアールグレーの茶葉を使った「紅茶まん」を買った。
 その2軒ほど先には駄菓子屋があり、小さな店内の桝目棚に置かれた色取り取りのお菓子に子供たちが集まっていた。僕も好きだったなぁ、と幼い頃に住んでいた田端の駄菓子屋を思い出す。
 坂を下りきり大通りに出てからまだ時間があったので駅方面に向かい、ソニーミュージック本社脇の「定火消発祥の地」の標識に目をとめる。
 1657年の江戸大火の翌年、江戸幕府は「大名火消」「武家火消」「町火消」を設置し、消防と火事の警戒にあたらせた。そのうちのひとつ、火消屋敷を与えられた旗本四家による武家火消が「定火消」であった。
 その説明を読んだ後、また踵を返してルーテル方向に。
 大日本印刷のインフォメーションセンターである「コミュニケーションプラザ ドットDNP」では、今月19日まで「江戸川乱歩賞60周年記念」として、江戸川乱歩の「黄金仮面」の直筆原稿が展示されている。
 入館料は無料。受付で氏名を記入し入館する。
 乱歩の悪筆は聞いていたけれど、まあ読めないこともない文字だが、細かい部分では編集者泣かせではあったに違いないと思う。
 そして、鞄のなかにある携帯電話を取り出して時間を確かめる。
 開場時間にあと5分。
 ルーテル市ヶ谷へ行くにはちょうど良い距離。
 空をみると日本文芸社の社屋の上に月がかかっていた。
 二時間に満たない彷徨は、僕に名残のひとつも見つけ出させはしなかったけれど、やはりここを歩いて良かったと思えた。


 
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