初蜩

 この夏、初めて蝉の鳴き声に気が付いたのが6日前。
 その時は微かに聞こえる一匹であろうその声の主の行方を、立ち止まり耳を澄まして見極めようとした。
 昨日は同じように蝉が鳴いていたのだけれど、すでに耳を欹ててその方向を探ることが愚かなことのように、鳴き声は四方に満ちていた。
 そして、台風が九州に接近しようという今日の夕昏に、最初の蜩の声を聴いた。
 夏は確実に辺りに満ち、かつ、懐に忍ばせた終わりの予鈴を密かに打ち振っている。
 暗殺者の呟きのようにひっそりと。

 花の咲き終わった蔓ブルームーンが目に留まった。
 面白味の無い、アルミのフェンスに絡みついて、狭い庭から這い出そうとしているかのような。

 平岡あみの短歌。

…垣根あれば乗り越えたくなるものでわたしだってあの薔薇だって  …

 学生時代、随分と壁を乗り越えたなと思う。
 精進や艱難辛苦の話ではなくて、建築物としての壁のこと。
 学校の壁。
 空家の壁。
 廃工場の壁。
 貯水池のフェンス。
 ああ、そういえば倉庫に忍び込んで閉じ込められたこともあったっけ。
 あの時は鉄骨の柱を登り、スラブに取りついて窓から逃げ出したんだよね。
 友達が着地をしくじってアキレス腱を切った。
 そいつは大泣きしながらも僕の肩に捕まって歩いて帰り、その夜、自宅から救急車で運ばれ手術を受けた。
 数日が過ぎても僕らが倉庫に忍び込んだことは誰にも知られずに済み、僕は、彼に助けられたことを知る。

 生徒会の役員をやっている時、後輩から告白されたことがある。
 僕はそれに返事をするかわりに荒れていった。
 その子に対して、その他の人々に対して。
 言動を粗野にして、答えをはぐらかして、逃げ回って。
 好きとか、嫌いではなく、それまでにあった良好な先輩後輩としての関係を、友人関係を壊されたようで。
 それに対して僕は苛立っていた。
 変化が怖かった。
 卑怯と言えば「本当」に近付く。
 彼女はひとつの壁を超えるために勇気を出し、僕は壁で囲った世界を守るために有刺鉄線を張った。

 自由が欲しくて教師の目を盗んでは何度も乗り越えて抜け出した学校の壁。
 「あの向こう」を求め続けた僕。
 自分の壁には手を掛けようとはしなかった。
 それが僕の青春。
 欲っしていたあの向こうとは何だったのか。
 馬鹿だな、と笑う。

 今もずっと馬鹿なままだ。

 僕はその子にまだ返事をしていない。
 彼女はどうしているのだろう。
 きっと当人はそんな些細な事を忘れてしまっているに違いない。

 僕の夏はとうの昔に過ぎて秋から冬へと降りて行く。

 西脇順三郎の詩。

…むさし野に秋が來ると
 雑木林は戀人の幽霊の音がする
 欅(くぬぎ)がふしくれだった枝をまげて
 淋しい
 古さびた黄金に色づき
 あの大きなギザギザのある
 長い葉がかさかさ音を出す   …

 こんなにも淋しくしてしまったのは僕自身だ。

 四万六千日が近づくといつもきまって思い出す。
 ほおずきの紅と吊り忍の脆さ。

 日が変わったので今日がその日。

 平岡あみの短歌は、歌集「ともだちは実はひとりだけなんです」(ビリケンブックス、2011年)から。
 西脇順三郎の詩は、「旅人かへらず」(東京出版、昭和22年)から。
 
 藤原定家の歌。

…かへりこむ月日かぞふるあさぢふも今は末なるひぐらしの声  …

 朝は無垢な白露の児、昼は馬鹿騒ぎの酔人となるも、夕べには静かな音色を好み、夜には笑まいの賢者となる。
 そんなことを誰かが言ってたね。
 なのに夕暮れが近づいても僕はずっと馬鹿のままで、少しも賢くなりはしない。
 馬鹿の度合いは増すばかり。

 マザーグースにそんなような歌があった。

…幼いころ私は知恵をもっていた。
 だけど齢をとるたび、増えるたび、だんだん馬鹿になってゆく。 …

 だからこれはきっと夢だ。
 そう思うことにした。


 


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

sidetitleプロフィールsidetitle

otosimono

Author:otosimono
全く役に立たない独り言です。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleFC2カウンターsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR