明治33年のライトノベル

 台風が去った後、川の淀みに小さな白い花が敷物のように散り広がっていました。
 「水面の花を恋に譬えた物語があったような…」とそれを見ながら考えていましたが、一向に思い出せません。
 思い出せないというのは気持ちが悪いものです。まるで風邪薬のカプセルが上部食道括約筋あたりでつっかえている少し焼けるような異物感。或いは、内臓が痒い気がして掻いてみるものの筋肉越しでは効果がないような、そんな感じ。
 一度、思い出そうとしたものをそのまま放置するというのは難しいもので、頭からつかず離れずで、ちょっとした合間にも「思い出せないものか」と探ってみたりするものです。
 帰宅後に本棚や床に置き去られた本の背表紙を眺めまわして「どれだっけかな?」と当てにならない記憶を頼りに手探り。
 午前2時をまわったところで、ようやく記憶違いに気付き、当該書籍を発見して一件落着、スッキリとしました。
 それは物語そのものではなく、江見水蔭(忠功)の小説集「戀」の序文に引用された一節だったのです。

 「花はみな藤も櫻も山吹も かへらぬ水の上にちりつつ
  朧夜の花のもとにて夢みてん むかしの戀のかげや見ゆると」(田山花袋)
 
 この「戀」は、恋愛に纏わる短編を集めたものです。
 ほろりとさせられる純愛もの、コミカルな失恋もの、ちょっと蔭残な話まで様々に取りそろえた恋愛のオムニバス。
 恋愛小説など、うけない、売れない、くだらないと言われた硬派な明治文学隆盛の時分に、水蔭が強いて発表した大衆向け娯楽小説集です。
 結果としては売れました。特に若い方に支持されたみたいです。
 言うなれば、明治33年に発行されたライトノベルですね。

 戀(表紙) 表紙 戀(扉)戀(奥付) 奥付

 水蔭はこの小説集の中で「恋は人に限らず」という姿勢をもって臨んでいます。人に限らずといっても相手が物の怪というわけではありません。
 この集中に「花守の戀」という短編があります。粗筋を簡単に述べれば次のとおりです。
 
 ある良家の庭には、良く手入れされた目にも美しき撫子が一面に咲き、中央にはベンチと大理石の獅子の彫像が置かれていました。
 その家には十四、五になる令嬢がひとり。
 ある日、彼女が艶やかに着飾った姿でベンチに掛けようか、掛けまいかを思案している最中、突然に物陰から躍り出たものがありました。それは花守をしている男だったのですが、彼女は獅子に似た醜男が現れたことに驚き、大層憤慨して彼を責めます。
 驚かすつもりはなかったと平身低頭して謝る男に「お前が急に現れて驚いたので熱が出てきた。琴の稽古を休む」と言いがかりをつけ、父に申し出て男を庭に入れないようにすると言うのです。
 男は「自分は花守だから庭に入れないということは放逐されるということなので困る」と泣いて許しを懇願します。
 しかし、彼女は「私はお前が大嫌い。お前のような汚い男がここにいると恥ずかしくて友達も呼べない。お前がいないほうが花園は綺麗だ」と追い打ちをかけ、更に「先の持ち主の令嬢はお前を可愛がったか知らないが、私はお前が大嫌い」と言い捨てて立ち去ろうとします。
 それを引きとめようと男は彼女の手を取りますが誤って二人とも植え込みに倒れ伏してしまい、彼女は男に襲われたと大声をあげ、それを聞きつけてきた召使に取り押さえられ、結果、放逐されることとなりました。
 明くる日、家人が庭で目にしたものは無残にも狼藉の限りに蹂躙された撫子の花。そして、彫像の下には花鋏で喉を掻き切った男の死骸。その血は獅子の像に飛び散り、泉の水を鮮血に変えていました。
 水蔭はこの物語を次の一文で締めくくります。
 「物凄き此死状に、一点の美を留めたは、折れぬ撫子の花一輪、死しては誰一人手向ける者の無いを悟ってか、斃れたる前に立ててあった。」

 恋とは「するもの」ではなく、もっと不可抗力的な「してしまうもの」なのかもしれないですね。「恋に落ちる」とはよく言い当てたものだと思います。
 心を奪うものは何も人に限らないのです。気づいたら絵の中の少女や花や蝶、時には思い出にさえ本気で恋焦がれてしまう。
 古典で「愛しい」を「かなしい」と読むように、純粋に美しすぎるものは哀しいのです。
 愛を満たす心の器には許容量のようなものがあり、それに収まりきらず溢れだした思いは憎悪にさえ変わります。受け止められなかったのは自分なのか、相手なのか、それは永遠にわかりません。
 愛と欲とは同義語だと言う人もいますが、愛の同義語は憎であり、反意後が欲なのだと言う人もあります。どちらなのかは果てまで落ちてみなければわからないことです。
   
 

 


 
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