室生犀星「蝶」

…人の死といふことも妙齡の少女の死ほど、襟を正さしめる淸らかさを感じしめるものはない、少女は死ぬも生きるも、ともにあでやかで、人として人のすることをしないで死んでゆくといふことに、いたみつくせない美と、測り知れぬくやしさがあった。甚吉はいくたびか少女の死といふものを眼にし、またそれを聞くたびに毎時もあたらしいくやしさ、勿體なさを遥かに遠くの方に向かつて感じた。遥かに遠くの方に向かつてなどといふ空虚な言ひ廻しはありえないが、結局、さういひあらわすより外に適當な言葉のないのも、死といふものの正體だつた。…

 犀星・蝶 蝶・故山(櫻井書店、昭和16年初版)

 室生犀星の「蝶」は、娘の同級生であった「山ちん」と呼ばれていた少女の死を綴った短篇です。
 僕がこの作品を知ったのは、どこかは忘れてしまいましたが文学館で行われていた朗読会でした。
 声優か役者の玉子であったか、新人であったか、それも定かではないので申し訳ありませんが、まだ20歳そこそこに見える女性(それでも高校生の僕から見れば十分に大人の女性でした)が朗読を担当していました。
 岩波の全集を底本にしていたようです。
 歯切れよく淡々としながらも、会話の場面では情景が浮かんでくるように声音を変え抑揚をつけて「流石は本職」と思わせられたことを思い出します。
 
 犀星の自伝にもとづく小説の特徴とも言えますが、この「蝶」も感傷に溺れず客観的な描写が続きます。
 少女と死というとどうしても甘ったるいセンチメンタリズムに走りがちなイメージがありますが、ここにはそういった甘さはありません。むしろ冷たいとも感じられるかもしれません。
 けれども、その客観的な少女の死の描写が、どこか現実を離れた夢の話であるかのように、残された人々のなかに再現されている切なさを的確に伝えてきます。
 死の現実は自分の生とは無関係にさえ思われ、それは犀星が書出しで述べているように「遥かに遠くの方」に向かってその人の不存在の空虚さを呼び起こさせるものなのでしょう。
 昨日までそこにいた人はもういないという不思議さ、間隙の空しさ、そういったものなのです。

 この作品に登場する「山ちん」と呼ばれる少女は次のように描写されています。

…はじめのうち甚吉は女学生といふものはどの子もよく似てゐるやうで、誰が誰やら、その特徴をとらへるに甚だ艱難だつた。ただみんなから圖拔けて背丈の高い子がゐてその子が山ちんといふ異名がついていることを知つた。十八歳で五尺三寸かつきりあるといへば、とても眼にたつものであつた。甚吉は娘の友達とは庭からちょつと頭をさげるくらゐで、あとで今日來たのは何といふ人かとたづねるが、あれは山ちんだといつたきり山ちんとはどういふ意味があるのかわからなかつた。…

 少女たちは夏休暇を利用して犀星の別荘があった軽井沢を訪ねて一週間ほど避暑を楽しみます。
 さて、この「山ちん」という少女ですが身長が五尺三寸と書かれています。換算すれば約175cmです。
 彼女は胸を病んでいたことから痩躯であることは容易に想像できますから、五人の少女のうちでその長身痩躯は犀星の眼に一際印象的に映ったことでしょう。
 この少女は文学好きであり、流行に流されない確固たる基準を備えていたようです。数行ではありますが甚吉と彼女との会話のなかでそれが垣間見られます。

…「おぢさま、あかしかいじんの本はございません?」
 或日、山ちんはめづらしく本のことで茶の間で、お茶を飲んでいる甚吉にさうたづねた。この茶の間は四疊半しかなかつたが、庭苔と庭木が疊とすれすれに蒼さを迫らして來るやうな、そんな気持ちの落ち着きと明るさを持つ部屋だつた。
 「あかしかいじんの本とは何なの。」
 「歌をかく人。」
 「あゝ、あの明石海人かね。雑誌に出た歌ならさがして見たらあるかも知れん。山ちんは歌が好き。」
 「可哀想な人ですから讀んでみたいの。」
 「あかしかいじんの歌はみんな讀んでゐるかね。」
 「さあ、誰も讀んでいないでせう。」…

 犀星は少女の最後の夏を思い浮かべ筆をすすめて行きます。
 「山ちん」と呼ばれた大人しい長身の少女に対し、娘の他の友達の女学生とも、また巷の多くの女性とも異なった香気をもつ独特の存在を確信しながら、その穢れ無き生の終りを美しく華やかな音楽に譬え、また現実という実感のなかで薄れてゆく死の不確かさをも美としてとらえます。 

 その少女と過ごした最後の夏に立ち寄った軽井沢の自然石を扱う土産物屋でのできごとを死の予感ともとれる感懐を交え、夏の夜に買い物を楽しむ少女たちの華やかさをわずかな行数で綴っています。

…山ちんと君子は今夜も寶石のある店先に立つて、あれかこれかと、眼を美しい石のあひだに遊ばせてゐた。本物の材料をほんの少しつかつた、高級なおみやげものを商ふ店だつた。
 「どうしても買ふわ。」
 甚吉はその聲音の強いのに驚いた。碧い玉と、珊瑚色の玉とをならべて、山ちんは決心したしたやうに言つた。
 「おぢさまにえらんでいただくわ。」
 甚吉はそばに寄つて二種類ある指輪のそのどちらかの玉をえらばなければならなかつた。
 「この碧いやつがいい。」
 「けど、さんご色してゐるのもいいわ。」
 「ぢゃ、兩方にしたらどう?」
 「そんなにお金ないわ。」
 山ちんはさきの細れたやうな興奮をまぜた聲で云った。
 「ではやはり珊瑚色か。」
 山ちんは物を購ふときにする物悲しい顔付きに變えた。
 「この次に購ふことにしてもいいわ。」
 「山ちんはね、お父様。もうぴいぴいなのよ、氷菓(こおん)ばかり食べてゐるから、少しかしてあげてよ。」
 「貸すよ。」
 君子は山ちんとくしゃくしゃと何かを話しあふと、山ちんはうんうんと肯いて先刻の物悲しい顔付をどこかにしまひ込んで、眼だけを甚吉の方に向けて顔は君子とむかひ合ひにしたまま、實に美しい眼をして何をいつているかお分かりになると云つた。甚吉は笑つて紙入を君子に渡し、山ちんはさんご色の少女の好きそうな指輪を一箇購つた。…
   
 僕がこの作品に吸い寄せられるのはいくつもの要因があるのですが、その中のひとつに、残された少女たちが抱く親友の死に感じ取る恐怖心があります。

 通夜の終りに礼儀として最後に顔をみて行くのかどうかを甚吉は君子たちに問いかけました。

…それだけのことで皆の顔は緊張してかたくなつて行つた。物怖ぢと、気の毒さとで、彼女らは死んだ友人の顔を見ないのも悪いし、見るのは怖いし、どうしていいやら迷つてゐるふうだつた。甚吉はいつそ黙つていればよかつたと思つた。 「見なくとも悪いことはないのだよ。みんなにさうお言ひ。」…

 結局、少女たちは顔を見ずに帰ることを選択します。
 友人に限らず死者の顔がもたらす怖さと言うものは、単にオカルト的なものではありません。近しい人ほど「そこに現れるのではないか」と言った、一種の「連れ去り」の不安に似た怖さを与えます。
 自分を迎えにくるのではないか、何かを訴えにくるのではないかと言う、明かりを消したその夜の怖さなのです。
 
 この「蝶」という作品は、いずれ誰かに壊されてしまう少女と言う危うい瞬間の美しさを描いたものです。
 そして、壊されることなく逝った一人の少女に永遠の美を送ったのです。

 犀星は終りに少女たちの夏を振り返ります。

…川のなかはやつと靑いひとすじの水が、せせらぎをつくつてゐるばかりだつた。河原の石もまぶしいくらゐ日に輝いてゐるし、みんなのスカートも眼に痛いくらゐの反射をひらめかしてゐた。彼女らは高い石垣の上に腰かけ、みな一様の白いスカートを帆のやうに立ててゐた。人といふよりも遠くからは白い蝶のやうに見える程、スカートの純白さがあざやかだつた。…




 
 

 
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