御降り

 3日の明け方近く、窓下の花柚子の葉をさらさらと打つ音に気付いて息を白くしながら窓を開けると、ほんのりと霞むように雨が降っていました。
 正月の三が日に降る雨や雪のことを「御降り」と呼びますが、この程度の雨ではそうは呼ばないのかもしれません。

 芥川龍之介は随筆・小品集「梅馬鶯」のなかで御降りの日に家うちで突いた追羽根のことを小品1の中に書いています。

…御降りの座敷に、姉や妹の友達と、羽根をついて遊んだことがある。その仲間には私の外にも私より幾つか年上の、おとなしい少年が交つてゐた。彼は其處にいた少女たちと、悉仲好しの間がらだった。だから羽根をつき落としたものは、羽子板を譲る規則があったが、自然と誰でも私より、彼へ羽子板を渡し易かった。所がその内にどう云ふ拍子か、彼のついた金羽根が、長押しの溝におちこんでしまつた。彼は早速勝手から、大きな踏み臺を運んで來た。さうしてその上に乗りながら、長押しの金羽根を取り出そうとした。その時私は背の低い彼が、踏み臺の上に立つたのを見ると、いきなり彼の足の下から、踏み臺を側へ外してしまつた。…

 少年は龍之介たちの目の前で長押しに手をかけたまま宙ぶらりんになり、それを見た少女たちは踏み台を取り戻そうと龍之介を叱ったり賺したりしたのですが、結局渡さず、ついに少年はぶら下がったまま泣きだしてしまったというのです。
 周りの少女たちから親しくされ人気のあった少年に対する嫉妬心が、龍之介にこうした直截な行動をおこさせたのでしょう。

 自分が今でいう「ぼっち」であったことに疑いを持たない僕は、似たような場面を何度も目の当たりにしましたし、その気持ちもよくわかります。
 ですが僕には龍之介のような意地の強さもきっかけもなかったのでしょう。報復までには至った記憶がありません。根には持ち続けていましたが、場合によっては今でも。
 しかしひょっとしたらその逆恨みを僕が忘れているだけということもあります、都合の悪いことは忘れる質なので。
 そして逆恨みをかった被害者は、不図したことでそのことを苦々しく思い出し、僕を恨んでいるのかもしれません。

 お正月に降る雨ひとつでも思い起こさせるものはあります。
 そういうものは決まって他愛ないもので、自分以外は忘れてしまっているようなことなのでしょう。
 その他愛なさは、時に面白可笑しく、時に嫌悪する記憶として、その度ごとに新鮮な感覚を伴って呼び覚まされるのです。
 そうして、その残酷さをも含めて、思い出という愁のなかに埋めてしまえるのが時の流れなのでしょう。
 つくづく時の流れって不思議に思います。
 感覚は思い出すごとに上書きされていくのに、どんなに望んでも決して現実には手を触れることはできないのですから。
 いっそ嫌なことだけを忘れてしまえれば良いのにとも思います。ご都合主義と笑われるでしょう、きっと。

 「忘れる」で、ひとつ思い出しました。

 「嫌なことを人がすべて忘れてしまったら、心の痛みがわからない人たちばかりの不幸な世界になってしまうでしょう。優しさは痛みから生まれてくるものだから。」

 彼女は確か僕にそう言ったのです。












 
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