吉村昭「少女架刑」

…火の色は、華やかで美しかった。
 初めは単純であった炎の色が、私の体に火がつくと、にわかに多彩な紋様を描きはじめた。脂肪が燃えるのか、眩いほど明るい黄味を帯びた炎が立ち、時々弾けるような音がして、その都度金粉のような小さな炎があたりに散った。
 炎の色はさまざまだった。骨からは、ひどく透明な青い炎が微かな音を立ててゆらめき、なにが燃えるのか、緑、赤、青、黄と、美麗な色の炎が、私の周囲をきらめきながら渦巻き、乱れ合っていた。
 私は、色光と色光とが互いに映え合い交差しているのを、飽かずにじっと見惚れていた。それは、一刻の休みもない目まぐるしい変化のある紋様であった。(第5章より抜粋)…

 少女架刑 (南北社、昭和38年初版)

 吉村昭が「少女架刑」を発表したのは昭和34年10月の「文学者」誌上でした。
 献体として解剖される16歳の少女の目を通して、その周囲の状況が語られるという手法がとられています。
 あたかも生きているかのように振る舞う少女の精神は、時に羞恥に晒され、劣等感を抱き、ごく普通の少女として悩み、そして、命ある者と死した者との確固たる差異を語って行くのです。
 その語り口に物悲しさはなく、徹底して冷静であり続けます。
 その冷静さは、死体となった後に標本として皮膚を剥ぎ取られ、臓器を摘出され、ついには研修生の教材として骨髄までバラバラにされて行く少女がその将来に抱く不安やゆらぎと言ったものを淡々と伝えてくるのです。

…今の私は、茶色い肉塊と、薄汚れた骨片の集積でしかなかった。あの背の曲がった老人の手にかかれば、目の前にある美しい骨標本が私で、これからかなりの年月、医学部の教室で立ち尽くしていなければならないはずであった。
 私は、その人骨より自分の方がまだ恵まれていると思った。危うく老人の手を逃れた私の体は、すでに分解されつくしてこれ以上人間の役に立とうとうは思われない。
 自分の体の使命は、漸く終りに近づいているらしい。
 役割が完全に終われば、私にも、漸く死者としての安息がもたらされるだろう。深い静寂に包まれた安らぎが ― (第4章より抜粋)…

 ここに示されているのは死者のそれではありません。
 帯文にある通りに、生きている者が抱いている生の不安そのものだという気がします。
 彼が書こうした現代を生きる人々が持つ病的とも言える葛藤と不安。
 少女の「死から生への眼差し」は、社会という理不尽な力に晒され続けている一般の人々の姿そのものです。
 それを取り巻く環境は、穏やかな海と天空に浮いた巨石に立つ城を描いたルネ・マグリットの「ピレネーの城」のように、或いは、橋上で耳を塞ぎ慄いているエドワルド・ムンクの「叫び」のように、いつ崩れてもおかしくない、紙一重のバランスを保っている状態と同じものではないでしょうか。
 
 吉村昭は学習院旧制高等科一年の時、結核菌に犯されて胸部の手術を受けています。
 当時は結核治療が内科的治療から外科的治療に移ったばかりの頃で、手術の精度自体も不安定なものでした。
 その時のことを彼は随筆の中で次のように述べています。

…まだ手術も試験的に行われていた頃で、私は八十三人目の患者であったが、すでに手術をうけた八十二人のうち、手術中に死亡してしまった者が三人もいた。
 手術は六時間近くかかった。予定より長くかかったためと、局部麻酔だけ(その頃はまだ麻酔薬がひどく不足していたので…)であったため、私は手術の経過を正確に知っていた。妙に明るい白布の中で、冷たい氷の流れるようなメスの感触も一筋一筋はっきりとはっきりと知覚していた。
 骨を切断される時、私は体半分に無数の夥しい針を一斉に射込まれたような激痛で、ベッドの上ではずんだ。
 一本、二本、三本、私はどれほど最後の五本目の激痛を待ったことか。が、そうした痛みの中でも、私は時々自分が屠殺される牛か豚のように思えて、何の抵抗もできずに骨を切られて行く自分の不甲斐無さに滑稽感を覚えた。…

 虚構の世界で展開される少女の独白が持つリアリティは、こうした彼自身の経験から生じていることを否定できないと思います。
 寧ろ実体験があったからこそ虚構の感覚を描ききることができたのではないでしょうか。
 空想だけを根源とする虚構は共感を生まないと言い切るのは乱暴かもしれませんが、やはり現実と言う下地があってはじめて虚構の世界が作り出せるのだと思うのです。

 最終章は焼骨となった少女が両親から受け取りを拒否され、無縁納骨堂に納められる様子を描いています。

…堂の中は、静寂そのものだった。ただ、白い骨壺の列が、ほの白い帯のように幾重にも流れているのが見えるだけであった。
 私の骨は、音のない静寂に包まれていた。
 これが、死の静けさとでもいうことなのか。私は、漸くにして安らぎの中に身を置いている自分を感じた。…

 しかし少女はその静寂の中である音を耳にします。
 その音は古びた棚に並ぶ骨壺の中から確かに聞こえてきているのです。

…ぎしッ、ぎしッ、ぎしッ、その音は次第次第に数を増した。
 私は漸く納得できた。その音はあきらかに古い骨壺のなかからきこえている。・・・・・古い骨が、壺の中で骨の形を保つことができずに崩れている・・・。
 音は、堂の中、いたる所でしていた。それは間断ない音の連続であった。そして、時折、一つの骨体が崩れることによって、骨壺の中の均衡が乱れ、突然粉に化すらしい凄まじい音がきこえることもあった。
 堂の中に静寂はなかった。それは音の充満した世界であった。
 骨のくずれる音が互いに鳴響しあっている、音だけの空間であった。
 私の骨は、その凄まじい音響の中で、白々と身を置いていた。…

 実際には、骨は崩れるときに音を立てはしないでしょう。
 しかしそれを承知の上で、吉村昭は「音」を作り出したのです。
 その音は、ひょっとすると均衡を保てなくなった現代人の心が立てる崩壊の音かもしれません。
 死者の目を通した諷刺は、現実における生の不安そのものに振り回されている僕たちの姿なのです。
 


 







 
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