銀杏、その葉の降る如く

 思い出すことというのはいつも唐突で、何一つ脈絡がありません。
 なぜ、その時にそれを思い出したのか?と訊かれたところで、その理由を答えることもできません。なにしろ、それは突然に閃くように、枯れ葉が乱れ散るように次々と頭のなかに蘇ったものですから。
 
 鶴岡八幡宮から妙隆寺へ

 「善人であるということと、人として純粋であることとは相容れないものなのよ。人の本性が悪か善かもわかりはしないのだから。」
 鶴岡八幡宮の階段を隠れ銀杏に沿うように上っている途中、彼女は不意に立ち止まって振り向いた。それから急に踵を返して下り始めてしまった。
 僕はその後を追うことしかできずに、彼女の影の行く先を見ながらついて行った。
 晩秋の日は急速に落ちてゆく。八月の頃には充分に昼の日差しが届いていた午後五時。10月も過ぎれば夕暮れの装飾がよく似合う。
 そして彼女は言う。
 「夜が来るのが早くなったからと言って、夜明けが近くなるわけではないわ。ただ夜が長くなっただけのことなのよ。それは眠る時間にも比例してはいないし、夢の長さとも関係していないのよ。ただ長くなったというだけ。その感じは、息を殺して鬼が通り過ぎるのを待つ時間が引き伸ばされたということに似ているのかもしれないわ。」
 県立美術館では聞いたこともないご当地出身の画家の回顧展が開かれていた。その看板を見送りながら参道を鎌倉駅方面に向かい、僕たちは他の人たちよりもゆっくりと歩いた。
 銀杏は葉を落とし続けている。それが風に運ばれて足もとに寄って来る。
 彼女は落ち葉をわざと踏むようにして歩いて行く。その微かな砕ける音は、乾きながら美しい音をしていた。
 降りしきる銀杏の落ち葉を「贅沢だ」と言って浴びていたのは誰だったか。僕は彼女の立てる音をひとり占めにしているこの瞬間をそれと同じように感じていた。
 鎌倉には「平和の木」と呼ばれる銀杏がある。
 昭和33年に開催された「海の平和祭」に併せて採択された「平和都市宣言」に因んで名づけられたのだと、彼女は言っていた。
 しかし、鎌倉にはさほど銀杏は多くはない。寺社の境内以外には見ることはないし、並木道といわれるものは今泉台、常盤団地など数えるほどしかない。
 若宮大路を折れて妙隆寺脇を抜ける細道に入ったところで、僕は取り繕うように役にも立たない質問をした。
 「なぜ、急に向きを変えたの?」
 ちょっと足を止めて、両手を唇の前で合わせるようにして、
 「参詣しても祈ることなんてないから。」
 こともなげにさらりと彼女はそう答えた。
 僕は安心する。
 彼女は特に不機嫌になったわけではなかったようだ。
 今度は彼女が僕に問いかけてきた。
 「ねえ、純粋な信仰ってあると思う?」
 僕はいつもと同じく答えに窮して辺りを見回す。
 気が付くと山門をくぐっていた。
 叡昌山妙隆寺。
 ここは日蓮宗に帰依した千葉胤貞によって1385年に創建され、二代目住職の日親上人がいた時分が最盛期だったらしい。
 彼は足利義教から反感をかい、焼け鍋を頭に被せられたことから「鍋かむり」という綽名を頂いている。
 その日親上人が毎日一本ずつ自分の指の爪を剥がし、流れ出た血で墨を磨って描いたという十戒の曼荼羅があり、寺宝になっているという。
 更に、その血だらけの手を熱湯に入れて湯が水になるまで読経を続け、境内にある血の池がその伝承に沿ったものだと伝えられている。
 僕はそんな伝説を思い浮かべながら全く別の言葉を発していた。
 「以和為貴、無忤為宗。人皆有黨、亦少達者。」
 彼女は少し驚いたような笑顔を見せて、こう言った。
 「そうね、信仰ってそれに近いものなのかもね。純粋に願うことが人を含めた生命にとって正しいことなら。理想と呼べばいいのかしら?」
 僕は恐らくその時の彼女の笑顔を忘れない。いつか忘れたとしても、それは理想として繰り返し繰り返し再生されるだろうと思った。
 なのに、それと同時に僕は何かを言い残した気がした。もっと別の何かを。
 彼女が期待していた言葉を、僕は多分、知っていた。そして、口に出せたはずだった。
 僕の後悔は僕ひとりの苦痛だけで終わるけれど、僕たちの後悔は終わりのない苦痛を伴い続けている。離れてしまえば、それはもっと不確かな苦痛となって胸のどこかで蟠っているのだろう。
 僕たちが交わした降りしきる落ち葉のような言葉たちを僕が憶えているように。彼女がそれらを忘れたという証がないように。
 
 
 



 
 

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