蟋蟀の鳴音

 窓下で鳴いていた蟋蟀の声が聞こえない。
 ふたつの台風が通り過ぎて行った時にもあれほど鳴いていたのに、ひっそりと静まっている。
 窓を開けて耳を澄ます。
 夜気は冷たい。風呂上がりの息が白く変わる。
 いつもとは違う場所で微かな音がする、ディィ、ディィと。

 あいつの音ではない。

 先日の台風が来るちょっと前から、その音にノイズが加わり、音が広がらなくなっていたのには気づいてはいた。それを聞きながら「いずれ死ぬのだな」と当たり前の事を感じ、そして今は途絶えている。

 けれど、前にも一度、そう思った日があった。鳴きだすのが遅い日が。
 ついに死んだか、と思っていた矢先に、唐突にいつもの場所から音が流れ出した。それを耳にした途端、僕は小さく笑った。それは滑稽なことに、確かに僕を安心させたものだから。

 たかが蟋蟀ごときに。
 
 また別の日、弱くなる羽擦りの音に、こうも思ったことがある。
 いつも窓下で鳴く一匹を残して他の声が響いてこなかった夜のこと。
 「お前の歌を必要とする仲間は既に死に絶えたかもしれない。それでもまだ貧相になった羽を擦り合わせて鳴くしかないのか。お前は取り残されたことにも気づきもせず、最後の一匹という自覚もないまま歌うのか。」

 本能としてその小さな体の力が尽きるまで羽を合わせているだけなのだろう。そこに個の幸福感など所詮は存在しない。擬人化して思うなど僕のほうが馬鹿げている。

 蟋蟀の幸不幸など僕は知らない。自分の子を残せぬことの不運はあるかもしれぬ。けれど、あいつはその「嘆き」を知らない。ただ種の作用に従っているにすぎず、愚かにも鳴き続けるだけが宿命なのだから。

 ついに今夜は音が絶えた。

 それでも、ふとこんな気もする。

 あいつはまだ生きている。
 床下の、あれほどの雨にも安全な場所で、短くなり過ぎて音の出せなくなった羽を擦り合せて仲間を呼んでいる。自分の羽が役に立たなくなっていることも、すべての認識を無として、ただ命に従うまま無い羽を擦り合わせている。

 気を集中すればその微かな絶え絶えが聞こえるはずなのだ。

 じっと耳を澄ます。息を飲んで、目を閉じて、真剣に耳を澄ます。
 すると、どこか遠くか、弱弱しくか、聞きなれたあいつの音がする。

 それが幻聴であるとに気づくまでに、たいして時間を必要とはしなかった。
 僕は僕の願う音を耳の奥に聞いたに過ぎない。あまりにも当然なこととして。

 今夜は、自分の意思とは無関係に宿命として為すべきことを成して命を終われるあいつに、「人間とは違うのだ」と言う妬ましさを覚えた。

 間もなく、研ぎ澄まされた冬が来る。
 


 
 
 
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