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別府葉子「月虹」

 ブログに書くことというのは自分で書きたいものを書いているわけですが、それには2種類ありまして、それは「書かなければならないもの」と「書いてしまったもの」です。
 
 誰からも強制されているわけではないのですけど、「これは書かなければ」と思うことってあるんです。自分にとって大切に思っていることですね。
 しかし肝心な時に、そういうものに限って筆は止まってしまうものなのです。止まってしまう原因にもいろいろあります。優先順位が自分の中で決まらないとか、書くことが煮詰まっていないとか。そうして時が過ぎてから、ようやく手が動き出すのです。これもそのひとつです。

 昔、スコットランドを訪れた時、僕にこう言った人がいました。

 「君は何回虹を見たことがある?そのうちの何個を思い出せる?もし幸せを量るものがあるとしたら、その人が見た虹のうち、いくつを思い出せるかで量るというのも面白いかもしれない。虹は見えない点を繋ぐ架け橋だから。」

 別府葉子さんが先の東京でのコンサートで披露した曲に「月虹」(げっこう)というのがありました。別府さんがネットで見たアフリカで撮影された「夜空にかかる虹」の写真にインスパイアされ誕生したものと伺っています。

 「かつて」と言うべきなのか、「現在も」と言うべきなのか、僕にはわかりませんが、アフリカという大陸は利益を生む栽培場所として使い捨てられ、或いは、兵器や薬品の実験場となってきました。
 多くの人が社会科や世界史で学んだことをここで述べることもないのでしょうが、アフリカ大陸はヨーロッパの大航海時代という華々しい光によって闇をもたらされました。ポルトガルなどによる奴隷貿易を手始めとして、列強各国によって分断蹂躙され、その争いは今も絶えていません。
 形として列強支配からの独立を得たとはいえ、アフリカ諸国はその歴史的背景と多数の部族対立により極度の政治不信や排外主義に覆われ、諸所での内戦勃発による荒廃を招き、さらにはそこへ自然災害が襲い掛かり、二重三重の難民を生むと言う悪循環ができあがりました。二〇世紀は「難民の世紀」だと言う人があるほどに。
 別府さんはその歴史的事情と犠牲になってきた一般の人々(子供)に光をあててこの歌をお作りになられています。

 本来、歌というのは曲と歌詞を切り離してご紹介できるものではないのです。ここでは歌詞でしかご紹介できないのを歯がゆく思います。しかもその歌詞は僕が聞き取りで採取したものが大部分で間違いもあり、また作者の意図した言葉を無視して当て嵌めてしまっている恐れも多分にあります。
 ですので、「別府葉子公式ブログ~葉子通信」の9月23日の記事に曲があげられております。是非ともご自身の耳でお聴きください。

  http://yokomusette.blog31.fc2.com/page-2.html


 「月虹」 作詞・曲 別府葉子

 白い滝、水飛沫をあげ、銀色の月の光浴びて
 浅い夢、目覚める瞬間に龍の涙みたいな虹が
 夜空に霧のように悲しいきらめきを振り撒き
 この空を見上げる子供たちの瞳を照らす

 冴え渡る満月の空に浮かびあがる七色の虹
 いにしえの悲しみと君の涙で輝いているのだろうか

 Oh Luna Rainbow

 美しい人が住むという世界が交わるこの国では
 黒い目やトパーズ色の目が青い瞳とほほえみ合う
 心に同じ風を感じてきたはずなのに
 なぜ歴史は悲しみで彩られているのだろう

 冴え渡る満月の空に浮かびあがる廃墟の城が
 いにしえの戦いの傷を今も深く刻んだまま眠る
 月夜の虹を目にしたものは幸せになれると言う
 きみの瞳にいつの日かきっと平和の光が映るだろうか

 Oh Luna Rainbow

 優しい花に抱かれた少女の手を、少年はそっと握りしめてる
 紫の花びら、風に吹き上げられ高く高く舞い上がってゆく
 夜空を染めるジャカランダの花は台地に根付き枝を拡げて
 何処までも世界の果てまで
 何処までも飛んで行け、自由に

 月夜の虹を目にしたものは、幸せに、幸せになれると
 君の瞳にいつの日かきっと平和の光が映る日が来る

 ジャカランダの花は台地に根付き

 何処までも

 何処までも・・・ 
 



 蛇足ですがジャカランダの花言葉は「名誉」と「栄光」です。けれど、これはきっと間違っている。
 ジャカランダの花が見て来たものは何であったのか?見ることしかできなかったこの木は、今、何を思っているのか?「名誉と栄光」がこの木の花言葉であるとしたなら、その前には「まだ見ぬ」という言葉がつくはずです。

 この歌を初めて聴いた時、こんなことを思いました。

 「僕がこの歌を聴いている間に、どれほどの人が飢餓と銃弾で死んでいるのだろうか?僕が死ぬまでに戦争はなくなってくれるだろうか?」

 そして、最後にもうひとつ。

 ナイロビのジャカランダの木には、食べ物を得るために互いに争い、マサイの村を滅ぼしかけた二匹の大蛇が、神の力によって姿を変えたものだという伝説があるそうです。

 




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テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
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