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蝉の声の途絶えること

 10月4日を最後に、つくつく法師の鳴き声を聴かなくなりました。気温が30度を超える日がまだあるという異常な季節に「秋らしくない」と思う僕と関わりなく、自然の中の命たちは自分たちの季節を終え、そして迎えようとしています。

 ここ数日、決算処理と契約に関する訴訟の準備に追われ殺伐とした日々が続いています。殺伐としているのは今に始まったことではなく、もっと前からそうなのでしょうけど、目の前にことが起こればその印象しか抱けなくなってしまいます。

 僕は例外にもれず生活のために仕事をしているわけなのですが、その過程では、お金を稼ぐことに執心して齷齪したり(いつもですけど…)、地位や実績をあげて「俺様状態」で肩で風を切って歩いたり、ちやほやされ天狗になっていた時もありました。
 しかし最近は他人に褒められたいとも思わなくなってきましたし、名刺の肩書も邪魔にさえ思えてくることがあります。
 もとより僕は人間不信が強い方で、それを表に出さないように感情を抑えて生きてきました。
 「ポーカーフェイスの・・さん」などと呼ばれ、「能面男」「感情が見えない昆虫のような人」と言われてもきました。かといって「笑わない」とか、「怒らない」というわけではありません。しかし、それが素直に出せない、出てこない、出さないようにして来た結果、常に「つくり笑い」「計算づく」の域を超えない感情表現に留まってしまうのです。それは意識的にそうしてきましたから当然かもしれませんけど。

 そうして今になって「俺ってどうやって笑ってたんだっけ?」「友達って誰のこと?」とか思うようになりました。僕がどこかで忘れてしまったもの、落としてきてしまったものですね。

 僕は出かけるのが好きです。一人で部屋にいるのも大好きですけどね。
 出かける時は、遠く近くに限らず、日帰りでも泊りがけでも、突然の行動にでます。もちろん仕事に穴をあけるわけにはまいりませんので、それなりの準備はしなければなりませんが。
 
 僕はどうして出かけようとするのだろう?見たいものがある?
 確かに、興味があるものはあります。趣味的に、或いは、学術的に。しかし、それがすべてではありませんよね、誰だって。
 僕は自分が望んでいるものをその望むとおりに見たいだけなのです。自分のイメージする空間や存在をその場所に探しているだけです。
 考えれば何と傲慢で無意味なことなのでしょうね。そんなものはどこにもありはしないのにね。

 かつての友人が僕にこう言いました。

 「人には勝者も敗者もない。そこにあるのは弱者と強者だけだ。成功者が強者であるということもなければ、不成功者が弱者であるわけではない。成功は時の悪戯のようなもので趨勢には逆らえないし、何より生きる時代を選べない。
 君は何を必要としている?今欲しいものではなく、求め続けているものがあるはずだ。逃げ続けているものと言ってもいいのかもしれない。その逃げる先に求めるものも同じであろうから。
 君はどちらだ?」

 人間としての側面や内包されたコンプレックス、経済的事情や社会的地位、そのほか様々な要因があげられるでしょう。そして総合的に判断すれば一般論でいう弱者と強者は分別されます。けれど、それは本当ではない。
 自分がどちらに属するのかを、人は一生をかけて理解していきます。

 酒井雄哉師が次のようなことを話してくれたことがありました。

 「今、あなたが生きているのは生き残っているのではなく、仏によって生き残されているんだよ。神様によってのほうがいいかな。
 人はいろんな悪いことをする。しない人なんてないんだよね。悪さに大きいか小さいかはあるけどね。それはね、償わなくちゃいけない。どこかでね。
 だから、生き残されている人は苦しまなくちゃいけないんだな。やるべきことがあるからやらなくちゃいけない。『お前はもっと生きて、もっと苦しんで、もっとやることをやらなくちゃいけない』と、そう神様に言われているんだな。
 死んでいった人たちは『お前たちはよく頑張った。もう苦しまなくっていい。こっちへ来なさい』と呼ばれたんだよ。事故や病気で死んだ人も、戦争で死んだ人もね。
 だってね、自殺したいって思ってもそう簡単に成功するものじゃないの。変な言い方だけど自殺するための気力も必要だし、何より運が必要なんだよね。死にたくても死ねない人っているでしょ。あれは死ねないんじゃなく、死ぬことが許されていないんだな。『もう人のために、自分のために苦しまなくていい』って言う許可がおりてないんだよ。
 だから大事なことは、何もしていないから無意味なんじゃない。才能がなくて、貧乏だから無意味なんじゃない。生きていること、生き残されていること自体に意味があるんだよ。そう思ったらすこしはやる気みたいのが出てくる気がしないかな。」

 生きていることが生き残されていることであり、思い出すことが死の準備であるなら、僕の毎日はそう無意味なものではないのかもしれません。そう思うことで何かに頼っている自分は、やはり弱者に属するのでしょう。そしてそれは卑下すべき恥でも、無能でもありません。人とは本来がそういうものなのです、恐らくは。

 書出しの話題に戻りますが、ひょっとしたら狭いとはいえ、自分の足で歩き尽くすには広すぎるこの場所のどこかで、まだ、つくつく法師は鳴いているのかもしれません。「途絶えた」と確信をもって断言できるほど僕が知覚できる空間は広くはないので。
 だから、そのために出歩くのです。そして出歩くこと自体にも、僕が知らないだけで、いつか役にたつ時が来るのかもしれません。





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テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
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