山下清とかたつむり

 千葉県ゆかりの芸術家ということで、千葉県立美術館で「山下清展」を開催しています。
 展覧会の告知をそのまま引用しますと「貼絵・油彩画・ペン画、陶器など、初期から晩年までの作品約190点を紹介するとともに、放浪日記や本人のコメントなども併せて紹介し、芸術家として一人の人間として山下清の姿を振り返る展覧会」と紹介されています。

 山下清の経歴等について、私が今更ここで書き加えることもないと思います。「長岡の花火」を代表作とする貼絵の数々や、テレビドラマ「裸の大将放浪記」(注1)などでご存じの方も多いでしょう。
 
 長岡の花火(張り絵原画)
 
 彼は知的障害を抱えてはいましたが、我々が思うより遥かに明確な知的認識を持っていました。ドラマでは知的障害の部分が必要以上に面白可笑しく強調された帰来があります。また、彼が指名手配犯のごとく逃亡するかの演出についても個人的には受け入れられない描写です。
 テレビドラマは、視聴者の山下清像にそれ以外にも様々な誤解を生じさせたことは事実です。しかし、改めて彼の作品を見直す機会を作り出したのも否定できません。

(注1)「裸の大将放浪記」…1980年から1997年にかけて『花王名人劇場』『花王ファミリースペシャル』のシリーズとして放映された芦屋雁之助が主演のドラマ(制作:東阪企画・関西テレビ、フジテレビ系列)。1980年~1983年は『裸の大将放浪記』、1984年~ 1997年は『裸の大将』と改題。

 山下清は別名「放浪の画家」などと呼ばれています。
 が、彼の後見人であった式場隆三郎によれば「彼はよく放浪の画家というふうに呼ばれるが、十数年の放浪ちゅう、スケッチ・ブックをたずさえたことは一度もない。彼の放浪の目的は放浪そのものにあった」と述べています。
 放浪については、山下清自身が回想しているように「徴兵の恐怖からの逃亡」ということもあったでしょう。しかし、彼の行動の原動力は「好奇心」に集約されていたのです。そこには悪びれた部分はまったくといって良いほどなかっただろうと思います。
 昭和36年(1961年)に出版された回想録「ヨーロッパぶらりぶらり」に次のような記述があります。
 「ぼくはいまでも、自分のいきたいところへぶらりとでかけるのは、そんなに悪いことではないような気がするのですが、世の中には放浪ということは悪いことだというきめがあって、ことに外国では、日本よりもずっと悪いことにしてあるという話なので、外国へいくのが二度もだめになり、がっかりしてしまった。」
 このように彼自身は、「見たいものがあるから出かける」というただそれだけの気持ちなのです。彼は同書で「日本はずいぶん見たのでヨーロッパが見てみたい。とくにルンペンについて見たい」とも言っています。
 渡欧については、式場隆三郎が後見人として監督責任を負うという承諾書を外務省に入れることで実現し、帰国後、同年12月に先の回想録を発表しました。
 
 この1961年の渡欧にあたっては、同年5月16日~31日まで渡欧送別展が開催されています。

 渡欧送別展案内状

 会期中、会場には、山下清、式場隆三郎も来場し、その直前に発刊された画集「日本の風物」の販売、サイン会なども行われたようです。

 日本の風物 署名

 ちょっと横道に逸れてしまいました。今回の展覧会での話を進めましょう。

 今回の展覧会の特徴は、張り絵のほか、遺作である「東海道五十三次」を含むマジックペン等で描かれたスケッチが数多く展示されていることです。
 そして、驚嘆するのは、それが放浪後の記憶に基づいたスケッチであるという事実です。

 山下清の作品を批評するにあたって「山下の作品には思想がない」という表現が多用されます。それは彼が時代の寵児であった1950年代を通じて言われ続けたことです。実際に会場でも、そのような声を耳にしました。
 しかし、本当に思想が必要なのでしょうか。また、絵画の中の思想とは哲学でなければならないのでしょうか。
 彼は作品の多くに、彼自身の姿を描きこんでいます。それは思い出に基づく自画像なのだと思います。
 赤い傘を差して歩く彼が描かれた貼絵があります。線路を歩いていて、突然の雨に見舞われた時、近くにいた女教師から彼は傘を譲り受けました。その姿は、その時の喜びを直に伝えてきます。
  また一枚の寂れた神社のスケッチが「にぎやかな町がちかくにあるとさびしいところがきれいに見える」と彼の述べる通りの共感を私たちに伝えます。
 彼が絵に添えた一文は、専門家の解説以上に感動の手助けになりますし、その一文は、彼の思想とも言えるでしょう。
 風景に描き入れられた自画像や思い出の印象を込めた風景画は、ゴッホの自画像やモネの風景画となんら変わることのない感動があるとは思えませんか。
  絵画の楽しみ方には、蘊蓄や絵解きのようなものも確かにあります。しかし、それらの大部分は後世に考察されたものであるということを忘れるべきではないでしょう。
 今から更に数年後、山下清の作品の分析が進み、心理学的な解説が強調されるかもしれません。それは興味の側面を形作るものではありますが、感動の真価には関わらないと思います。
 「何を描くか」という画家の視線そのものが思想だと私は考えています。蘊蓄は余禄のようなものです。
 感動の基本には、その作品、或いは、その芸術家が「好きか嫌いか」で十分なのではないかと思うのです。

 私の持っている山下清の存命中に編纂された最後の回想録「もうひとつの旅」に添付された短冊には、次のよう文箋が添えてありました。

 「この肉筆サインは、七月八日の夜、九日、そして十日の朝に書き記されたものです。七月十日の夜、山下さんは倒れました。七月十二日、午前十時三十五分に帰らざる旅に出られたのです。本当に絶筆となってしまいました。つたない本ではありますが、山下さんには大へん喜んでいただきました。どうかいつまでもおいつくしみください。昭和46・7・13 ニトリア書房一同」

 もうひとつの旅 直筆短冊 出版社送辞文

 この文を読んで、短冊に描かれた「かたつむり」に、特別な最後のメッセージを読み解きますか?
 それよりも、鑑識眼と知識をもたない私は、回想録の中で闊達に動く山下清という人間に感動と共感を覚えます。
 
 
   
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