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奇妙な夢

 近未来、拡張された仮想空間というものが存在し、人間が五感でそれを体験することができ、かつ、あらゆる理想を反映できるようになったとしたら、果たして人はその世界から戻ってくる気になるだろうか。
 もちろんそれらが廉価的なサービスではなく、ある特定の階級、或いは、それを継続して得るために自己資金以上をつぎ込むことになるうちは、一定のガイドラインを保つであろうことは想像がつく。
 短時間であれば現実との分別はそう難しいことではない。
 ゲームセンターでのお遊戯のようなものだ。精神的な疲れをとるためのメンテナンス・ヒーリングの延長のようなものに留まる。
 けれど、マイ・スペースでのネット・サーフィンのように、もしくは、ソーシャル・ゲームのように無制限にアクセスすることが可能な状態を維持できる経済力と普及性があったとしたら、それは現実からの乖離を促進する悪性の嗜好となりはしないだろうか。
 理由は説明するまでもない。「現実」は常に僕たちを失望させる材料に不足してはいないから。
 拡張された仮想世界の愉悦を維持するために自らを植物人間化することも躊躇わない、つまり現実的な活動をすべて放棄し、あちらの世界に生命を沈めるという人が現れても不思議ではない。
 現実における肉体が生命維持機能を低下させ、死の直前に迫っても、人が快楽的な想像をうみだすことができるのかはわからない。ただその死を意識することさえできれば、仮想世界では死に方さえもコントロールできるのかもしれない。英雄的に、悲劇的に。
 そしてそれらの極端な話をすれば、肉体を放棄して精神だけで生き続ける、その技術を創り上げることが仮想世界の最も完成された形ではないだろうか。
 自分にとって都合の良い夢の中で生き続けることができれば、何も現実の自分を認識させる必要はないのだから。生も死も。

 一時的にすべての収入をつぎ込んで、できうる最大限の仮想世界を味わった後に現実に戻ることは、老いた者が若かりし幸福な夢から目覚めた朝に鏡に向かうのと同様に、否、さらに質の悪い、より現実的な絶望の裏付けとなりうる。そこに映る自分の姿はほんの少し前まで五感を支配していた理想の片鱗もなく、人によってはその絶望的悲嘆が手段を問わない狂気衝動の源となる。

 劇中劇ならぬ夢の中の夢。
 仮想世界から目覚めた僕は、鏡に映った自分の顔をナイフで削ぎ落としたのだ。不思議と痛みは感じなかった。むしろ恍惚感さえあったかもしれない。
 そして僕はもうひとつの現実に気づく。僕は拡張された仮想世界を維持できるほど裕福ではなかったということ。ここでの「現実社会」も富裕と貧困とに大別されていたことに。

 たまにこんな奇妙な夢をみることがある。
 



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テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

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