曖昧屋

 「曖昧屋」、「曖昧茶屋」などと呼ばれた商売がありました。いつ頃の話かといいますと明治初期の時代です。場所は、東京・銀座。
 何を商っていたかと言いますと、どうやら私娼宿だったようですね。
 なぜ「曖昧屋」なのかですが、店の外見上の取扱い商品が定まっていなかったことから名前がついたとのこと。表向きは、料理屋、居酒屋、茶屋、宿屋などを装って営業していました。しかも名前にたがわず何でも商う。食べ物、飲み物、嗜好品、小物小道具、騙りまで、それこそ虚実問わずの品揃え。何でもござれの店構え、と言うのは、ちょっと大袈裟に過ぎますか。

 今でこそ銀座は高級ブランドが立ち並ぶ、セレブな商業地帯ではありますけれど、当時は店を出すものがなく、空店だらけのゴーストタウンだったみたいですね。

 この銀座の成り立ちに大きく関わる事件がありました。
 明治5年4月3日午後3時ごろ、和田倉御門会津屋敷を出所とする火は、瞬く間に銀座築地までを焦土と化す大火事となりました。
 この大火に学んで政府は、「東京市中の家屋を全て石造りにし不燃化都市とする」という方針を打ち出しまして、由利公正を登用し耐火建築による新橋銀座界隈の再開発に乗り出したわけです。
 由利公正はイギリスの煉瓦建築を手本にした地域開発に取り掛かりました。計画は、焼け野原となった銀座一帯の家屋を総煉瓦建築とし、大通りの道幅は15間(27メートル)、歩道と車道を分け、街路樹を植えるというもので、御雇外国人フロランの意見を採用、土木技師ウォートルスが指導し、明治7年に完成しました。
 その結果、パリ、ロンドンを真似たお洒落な街並みが出来上がったのですが、この家屋は、問題山積、欠陥だらけだったようです。
 まずは家賃がべらぼうに高い、畳がないと駄目とか、煉瓦造りのため湿気がこもる、煉瓦建築に熟達していなかったため雨漏りが酷いなど、クレームの嵐。果ては「煉瓦の家に住むと青膨れになって、命を落とす」などと巷間で噂される始末。当時の大蔵卿であった大隈重信が、地主一同からの家賃補填の陳情の対応に苦慮したとの記録もあるみたいですね。
 ということで、せっかく再開発したのですから捨て置くわけにも行かず、仕方なしに、怪しげな商売にも黙許して店を埋めることにしたようです。それで一時隆盛を誇ったのが「曖昧屋」です。
 江戸消えやらずの明治日本で、文明開化の象徴ともなった銀座の煉瓦街ですが、その実態は、店子のごとく「曖昧」だったわけです。

 篠田鑛造氏によれば、「近頃、物価が高価ゆえ淫売婦の数が大層増し銀座通歩くと淫売女と引手の中を押し分けて行くほどだが、一昨夜京橋分署の所轄内にて三十余人が拘引となった」と言う記事が、明治十三年の読売新聞に出たそうです。
 お目こぼしに預かっていたのを良いことに、図に乗った結果と言うことでしょうか。いつの世も、似たようなものかも…。

 現代の日本。「曖昧屋」の呼び名を冠するのは、国会に潜む方々なのでしょうかね。何をしているのだか、したいのだか、欲に取りつかれた面々を見るのも嫌と言った今日この頃。
 誰か一斉に彼らを検挙していただけませんか?叩けば基準値を上回る汚染された埃も出ましょうというもの。



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