スイッチ

 時として人は無駄な買い物をしてしまうものです。
 一見すると全く役に立たないものを、考え抜いた末に買ってしまったりします。
 ですが、無駄遣いと言うことなかれ、深奥に問いかければ意味もまた生まれ来るものなり、です。

 今回は「スイッチ」の話です。

 スイッチ

 上の写真のスイッチはボタン式のものが出回る前に普及していた一般的な真鍮製のレバー式スイッチです。最も使われていたのは、年代でいうと1920年頃から1960年くらいでしょうか。1950年代後半からはボタン式のものが出回り、合成樹脂製品の普及と共に徐々に消えて行きました。
 上のスイッチですがアンティークではなく純然たるジャンクです。もちろん、使えません。注意書きにも「実際のスイッチとしての使用はできません」と明記されています。
 大きさにすると直径約6センチ、重さ約300グラム、高さはスイッチ・レバーの上部まで約6センチ。販売価格は2000円です。

 これ、高いと思いますか?

 スイッチとは元来、オンとオフを切り替えるものです。それが既に「実用できない」状態でありますから、このスイッチに残されているものは「スイッチ」という名前と物体としての形状と重さのみです。

 このスイッチをあえて彼と呼びましょう。

 彼はすでに本来の機能を失っているわけですから名と実において被さるものがありません。オブジェとして使うか、文鎮替りにメモ用紙の上にでも置くかしかないのです。
 丸いものは飽きがこないとはいってもオブジェとしてはあまりに凡庸な性格で、初めて見る人の目には新鮮に見えても、毎日見ていて興味が尽きないというものでもありません。
 たとえば、このスイッチがかつてヨーロッパのどこかのアパートで使われていて、その一室に起居していた人々の愛と死に想像の翼を広げたところで、果てしないロマンが香り立つというものでもないでしょう。
 「えー、どっかのボロアパートの階段かなんかについてたんじゃないの?」と言われてしまえば、その方が説得力がありますし、事実にかなっているかもしれません。
 なにしろ彼は単なるスイッチですから、伽羅のごとく優美な夢を漂わせろと言う方が無理です。

 では、彼は全くの役立たずなのかと言いますとそうではありません。
 レバーを押し上げるにはやや力が要りますし、その切り替えるための力の重さとカチっと音をたてるそのバラスが絶妙なのです。
 スイッチのレバーの重さなんてみんな同じと思っていませんか?厳格な製造基準を満たした現代の製品においてはそうかもしれません。しかし、彼が誕生した頃というのはまだまだ第2次産業革命という名残が随所にある、厳密な製品規格などと縁の浅い時代なのです。
 まして時を経てくれば部品の摩耗度はそれぞれによって大きく異なります。途中で修理にだされたものもあれば、丈夫さが災いして廃棄されるまでこき使われたものもあるでしょう。
 彼がどちらに属するかはわかりませんが、このやや指に力を入れないと切り替わらない頑固さが、彼の生きざまを語っているのです。
 そして大切なのは、彼が「ジャンク」であるということです。乱暴にカチカチと際限なくやっていれば壊れてしまいます。ですから扱う人には優しさと節度が要求されるのです。小学校の道徳の授業が思いこされるようです(懐かしき友よ、今は何処…)。
 
 次に、スイッチにおいてはオンとオフの境目は明確でなければならないのです。いつのまにか切り替わってしまうような軟弱なものではいけないのです。そんな優柔不断なものはスイッチの風上のもけないと彼は今も主張し続けている気がします。役目を果たしていることを明確な実働で示しているのです。
 ああ、これこそがスイッチにかけるロマンではないでしょうか?この実直一筋な生き様が今の世界に失われかけている労働に対する誠実さを訴えてはいないでしょうか?
 
 「壊れとるんやったら、そんなん実際の役にたたへんやないの」とおっしゃる方もいましょう。

 しかし、日々、人間の生活に必要なのは精神活動におけるオンとオフの切り替えだということをお忘れではないでしょうか?
 世には宗教というものがあります。それらが精神活動において重きをなしているのは承知しています。が、それらがまた歴史のいたるところで争議紛争の元となってきたのも事実です。
 哲学によらない精神の切り替えの象徴の一つとして彼はまさに存在しているのです。
 朝起きて彼のレバーを入れる。すると自分の中で一日の活動のスイッチが物理的な行動を通して実感できます。寝る前には「おやすみ」と言って照明を落とした後、彼をオフにする。静と動を繋ぐ象徴として彼は生まれ変わったのです。
 気分が欝な時もあるでしょう。いつまでも失敗を反省し、くよくよしていることもあるでしょう。そんな時は「暗い自分はオフ!」といってスイッチを切り替えてごらんなさい。実際の感触を通して行動を変えていくきっかけをあたえてくれるかもしれません。

 また日記をつける習慣の無い方や記録をつけることが苦手な方。そんな人々のためにも彼は一肌脱いでくれます。
 一日の勤めを終えてデスクに向かい、自分に対して「ごくろうさま」とつぶやいて彼のスイッチを切る。その瞬間にその人は束縛から解放され、真っ白な空白の頁に、心穏やかに胸中を綴る契機を与えてくれることも可能なのです。
 
 今一度、写真をじっと見てください。彼が今、オンなのか、オフなのか、おわかりになられますでしょうか?
 もし、お分かりになる方がいらっしゃいましたら、貴方は神です。スイッチの神様。
 普通の方には判断はつきません。それもそのはず彼にはオン・オフの機能はそなわっていても、実際には何も起こり得ていないのですから判別のしようもないのです。しかし、ここが大切です。
 切り替わりを自分で決めることができるのです。誰からの制約も干渉も受けることの無い、自分ルールを敷くことができるのです。

 一月一日の午前に0時に彼のレバーを押します。その時点がオンだとします。それから何回、彼のレバーを倒したのか。数年経ったある日のこと、彼を見つめて物思いにふけることがあるかもしれません。彼は貴方とともに人生を歩んできたのです。伴走者として生き抜いてきた実感が生まれます。

 そして何よりも肝心なのは、スイッチを切り忘れても電気代が一切かかりません。
 円安の影響で原価があがろうか、原発のつけを消費者に上乗せしようが、全く関係ないのです。何というお財布に優しいスイッチではないでしょうか?
 彼は寡黙ではありますが、心のなかにはそんな優しい気遣いを秘めているのです。妬ましくも男らしい存在であると言わざるを得ません。

 ウエストミンスターの鐘のごとく始まりと終わりを、その切り替わり告げるのです。それもたった一人の貴方のために。貴方が決めたルールの世界において。
 そして、苦労の多い世間を渡る中で「気分を変えよう」と常に寄り添っていてくれる、そんな彼をどうして「役立たず」と言えましょう。
 彼は「スイッチである」という、そのものの意味において、今、ここに存在しているのです。それは同時に「あなたが人であるという、ただそれだけで充分なのですよ」と語りかけ励ましていてくれる気がします。

 彼は、こんなにも深い愛情と誠実さの象徴としての魅力に満ち溢れているのです。

 






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