桜、花、物狂い … 櫻の森の満開の下

 二十二、三歳の頃だったと思う。飛騨の高山に住む友人の叔父を彼と一緒に訪ねたことがあった。僕にとっては物見遊山のちょいとした旅行だったが、友人にはのっぴきならない事情が介在していたようだった。それは彼が僕に「ちょっと高山までの遣いにいくことになった。つきあってくれ」と言ってきたことから何となく察しられた。
 彼の叔父というのは非常に気の置けない人物で初見の僕をも手厚く歓待してくれた。またその家の三人の娘も気さくで感じの良い姉妹だった。
 友人の叔父は話好きなというとかなり遠慮した言い方になるが、その長話の尽きないところは一芸とも思えた。しかし不思議なことに僕はそれをさほど苦痛には感じなかったし、注がれるビールと話の洪水をぐいぐいと飲み干しているのが楽しくも感じられたのを覚えている。
 高山では、祭屋台会館で一台きりしか展示されていない祭屋台に少し失望を覚えたが、清峯寺、千光寺などを訪ね円空仏を見て歩いて溜飲を下げ、景観保存地区では御幣餅やみたらし団子を食べ歩いては酒屋で試飲を重ねた。
 3日目の朝だったか、前日に「明日は朝市へいくか」と彼の叔父が誘ってくれてはいたものの、当日夜更けまでのビールの歓待のおかげで僕が目覚めたのは太陽が天頂に近づきつつある時刻だった。僕は起き抜けに窓の障子を開けて外を眺めた。改めて見ているとここは随分と見晴らしの良い位置にあるらしいことがわかった。不図背後から襖越しに声がかかった。その家の次女が様子を見に来たらしい。
 「どうぞ」と言うとゆっくりと襖が開いた。
 「起きましたか?ご飯にしますか、それとも少し出ていらっしゃいます?」
 「あいつはどうしましたか?」
 「かっちゃんなら、父と素玄寺の墓所に行きましたけど」
 「そうですか」
 僕はまた窓の外を眺めた。かっちゃんというのは友人の愛称であるらしい。あの体躯の良い、がさつな容貌には相応しからぬ呼び名だなと思った。
 「あのう?」
 彼女の逡巡するような声に我に返り、僕はこう答えた。
 「少し出てきます」
 どこをどう歩いたかは覚えていない。どこかの寺の本堂裏から山道に出た。足もとは山の湿気に泥濘んだ土に革靴をとられ、思うよりも急勾配な上りに息が切れた。木の幹をつかみ、脇に飛び出している岩を握り、気づけば意固地になって登り続けていた。なぜあれほどに登ることに拘ったのか理由が見当たらない。必死に登るということが何もかもを忘れさせて、僕をそのことだけに夢中にさせたのかもしれない。
 両脇に門構えのようにして立つ幹に手を掛け、身を押し出すように上り詰めた先に見事な百日紅があった。真っ赤な花を一面に鮮血のごとくに散らし、それでもなお尽きることなく花を降らし続けていた。
 僕はその妖艶な赤にとらわれて樹の真下に立った。花は服に手に首筋に返り血のように降り敷き、手の甲に堕ちた花弁はまるでふつふつと毛穴から噴き出す僕自身の血のようでもあった。
 僕は不意に恐怖心に駆られて飛び退くようにして樹の支配下から逃れた。このままでは危うい、と何かがそう思わせたのだ。
 あの時の百日紅の印象は未だに鮮烈に残っている。時間の経過とともに思い出すごとに、まるで「なかった出来事」のように僕の中で陰惨な真紅を増し続けている。あれほどの百日紅にはもう出会えまいと思う。
 僕はこのことをその当時、別の友人が主催していた同人誌に書いたことがある。何度もの転居のために当該同人誌は紛失してしまったけれど、その結びにこう書いていたはず。
 「あれが桜でなくてよかったと思った。もし桜であったのなら僕の命はあそこでともに散ってしまったのではないかと思う。」
 
 咲き乱れる花の散る様を美しいと感じるのは人が主導権をもつ時だけだろう。たったひとりきりで花の支配下に迷い込んでしまったのなら、人は強烈な孤独に襲われ、耐えられなくなるかもしれない。咲く花は死のために咲き誇っているのだと、あの時、僕は感じた。花は孤独にあり、散る様は死の孤独そのものなのだと思う。そして僕がそれを感じるよりも遥か以前に、僕などよりも卓越した洞察をもって孤独と狂気を感じ取った人々がいた。

 観世元雅の作に「隅田川」と言う謡がある。満開の桜咲く隅田川を渡り、行き別れた我が子「梅若」を探す母のあわれを題材にしたものである。
 桜を渡る先から「南無阿弥陀仏」と読経が聞こえ、母はその声の行方の奥に我が子の姿を認める。その一節を書き出せば次のくだりである。

 シテ「今一声こそ聞かまほしけれ。南無阿弥陀仏」
 子方「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 地  声の内より。幻に見えければ。
 シテ「あれは我が子か。」
 子方「母にてましますか」
 地  互に手に手を取りかはせば又消え消えとなり行けば。
   いよいよ思はます鏡。面影も幻も。
   見えつ隠れつする程に東雲の空も。
   ほのぼのと明け行けば跡絶えて。
   我が子と見えしは塚の上の。草茫々として唯。
   しるしばかりの浅茅が原と、なるこそあはれなりけれ、
   なるこそあはれなりけれ。

 母が我が子と信じたものは幻であり、気がつけば茫漠たる浅茅が原のみであったというもの。
 桜と狂女を扱った能は「桜川」もあるが、ここでは母は子と再会し幸福を得ることになる。狂女物は得てしてハッピーエンドになるものが多い。その中で、子の死と母の絶望を結末とする「隅田川」は異彩を放っている。

 桜と物狂いで異彩を放つと言えば坂口安吾の「櫻の森の満開の下」(短編集「いづこへ」に収録)もその代表である。純文学に馴染みのない人でもアニメ(僕はさほど出来が良いとは思わなかったが)にもなっているので巷間で作品名を知る人も多いと思う。

 いづこへ いづこへ(眞光社、昭和22年初版)

 鈴鹿峠を根城にする盗賊と首遊びをする美女を扱った短篇である。この物語中で盗賊の美に対する見識が語られる場面がある。

 …その着物は一枚の小袖と細紐だけでは事足りず、何枚かの着物といくつもの紐と、そしてその紐は妙な形に結ばれ不必要に垂れ流されて、色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されて行くのでした。男は目を見はりました。そして嘆声をもらしました。彼は納得させられたのです。かくしてひとつの美が成り立ち、その美に彼が満たされてゐる、それは疑る餘地がない、個として意味をもたない不完全な斷片が集まることによってひとつのものを完成する、その物を分解すれば無意味なる斷片に歸する、それを彼は彼らしく一つの妙なる魔術として納得させられたのでした。…

 ここに言う「不完全な斷片」による集合の美こそが樹木の支配下にある孤独の美と対比されるべき人の妄執から生み出される虚飾の美ではないか。盲執の美は欲望の醜さそのものである。どれほど美しかろうと紛い物。紛い物の美は本性が暴露され滅びなければならない。また自然を畏れ、心を同じくするものは同化されねばならない。無関心な風景の一部として取り込まれねばならない。奥底にある本質を露わにされる場、満開の桜が有する人を狂わせる冷たい美しさの理由とは絶対的な美しさを前にして自身の無力さを悟らされることではないかと思う。それは自分の正体を顕にされる怯えが生み出すのかもしれない。

 後年、坂口安吾は随筆「明日は天気になれ」の「櫻の花ざかり」で自身が感じた不可解さについて述べている。

 …私の住んでるあたりはちょうど桜の咲いているときに空襲があって、一晩で焼け野原になつたあと、三十軒ばかり焼け残つたところに桜の木が二本、咲いた花をつけたままやつぱり焼け残っていたのが異様であった。
 すぐ近所の防空壕で人が死んでいるのを掘り出して、その木の下へ並べ、太陽がピカピカ照つていた。我々も当時は死人などには馴れきってしまつて、なんの感傷も起こらない。死人の方にはなんの感傷も起こらぬけれども、桜の花の方に気持ちがひつかかつて仕様がなかった。
 桜の花の下で死にたいと歌をよんだ人もあるが、およそそこでは人間が死ぬなどということが一顧にも価いすることではなかったのだ。焼死者を見ても焼鳥を見てると全く同じだけの無関心しか起こらない状態で、それは我々が焼死者を見なれたせいによるのではなくて、自分だって一時間後にはこうなるかもしれない。自分の代りに誰かがこうなつているだけで、自分もいずれはこんなものだという不逞な悟りから来ていたようである。別に悟るために苦心して悟つたわけではなく、現実がおのずから押しつけた不逞な悟りであった。…

 花は共に見る人がいてこそ温かみのある色として心にうつり、その花だけを風景から切り出せば自分だけが置き去られている冷たい印象が襲い掛かってくる。花は孤独に咲く。囀る小鳥にも鑑賞する人にも無関心で無関係である。それが死体であっても。
 咲き乱れる花以外は無意味に等しく、その無関心はあまりにも残酷に映える美しさを携えている。
 記憶を何に結びつけるかの問題なのだろうが、満開の花の下でひとりで居ることは気を狂わすに充分なものだ。無数とも思える満開の花は、同じく無数とも思える孤独の集まりなのだと、やはり僕は思う。
 
 明日は天気になれ 明日は天気になれ(池田書店、昭和30年初版) 












 
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