ことば

 ここのところ風の強い日が続きますね。
 昨日は穏やかな日ではありましたが、先だっては強風にプラスして塵霞で空が煙り、晴れているはずのなのに一日中夕暮れのようでした。埃っぽい空を見ながら雨が恋しいと思った一日でした。
 
 ところで昨日、某中学校で「詩を読む」という企画がありました。知人がそこの文芸部で顧問をしており、お誘いを受けましたので少しだけ拝聴させていただきました。最後まではいられなかったのですけど、皆さん、非常に情感を込めて朗読していました。

 詩を読むというのは考えてみれば難しいものですね。
 まず第一に詩自体に言葉が足りない。解釈の余地がありすぎて作品によっては雲をつかむようなことになってしまいます。
 また漢詩のようなものから現代詩まで形式も多様です。更には詩自体に意味がなく、ことばのリズムを味わわせるものもあります。かと思えば掌篇小説にも似た散文詩もありますよね。しかもそのどれもが字足らずときています。

 詩はことばを推敲に推敲を重ねて最小限に削り落としていきます。その最小限が二行のこともあれば、五百行のこともあります。あくまで詩人が推敲した結果ですから外部からその適正を図るのは不可能です。小説のようにオチもありませんので。
 
 朗読は解釈だけではできません。朗読する側がその作品を心から好きではないと何も伝わらないのです。そのために作品を何度も何度も熟読し、ことばについて考え、感動そのものについて考え、自分のなかで「あるかたち」を創り上げ、その結果が朗読を通じて鑑賞する側に伝わってきます。

 彼女たちの朗読する作品を振り返って、朗読会とは全く別の事を考えていました。ことばって難しいものだな、と切に思っていたのです。

 詩についてはいずれまとまった機会をつくろうかと思っています。今日は二作だけご紹介しておきます。


 「くずの花 」 田中冬二
 
 ぢぢぃと ばばぁが
 だまつて 湯にはひつてゐる
 山の湯のくずの花
 山の湯のくずの花


 「あめの日」 八木重吉

 しろい きのこ
 きいろい きのこ
 あめの日
 しづかな日


 二作ともあまりに短い作品です。しかし読み返すごとに、この静けさは何たることだろうと僕は信じられない気がします。

 「くずの花」では、ひと組の老夫婦が描き出されています。昔の恋を生き抜いて今日の歳月に至り、様々な柵を日常に負うているはずの老夫婦です。今は、争いも焦りも不安もなく自然な姿で湯につかっています。そして、湯に流れ来る葛の花。なんという平和な静けさでしょう。日常を離れて温泉につかっている安息そのものがここに感じられませんか?

 「あめの日」では、霧雨の中、作者の目にとまった小さなきのこが主役です。雨にあらわれて艶やかにその色をきらめかせて、ひっそりと山野の土に生きている姿。その静かな美しさとともに、またそれに気づいてしまう作者の微かな孤独が見えてくるようです。

 この小さな世界には、他人の美衣を借りてきたようなものではない、作者自身のことばがあります。
 百行の美辞麗句が、ほんの数行の純粋さに劣ることもあるのです。





 
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