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素 九鬼子「旅の重さ」

 「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落ち着いてね。そう、わたしは旅にでたの。ただの家出じゃないの、旅にでたのよ。四国遍路のように海辺づたいに四国をぐるりと旅しようと思ってでてきたの。」

 旅の重さ000
 「旅の重さ」(筑摩書房、昭和47年初版)

 僕が初めて一人で長期の旅行をしたのは高校1年の夏休みで、一学期の終了と同時にその足で、学生服とスポーツバックひとつで東京駅に向かったことを覚えています。
 4時頃だったか、時間ははっきりしませんが浜松行の電車に乗り、豊橋、大府などを経て山陰本線に乗り換え島根県の出雲まで夜行を乗り継いで行きました。
 それまで一人ででかけることはあっても日帰りか、せいぜい2泊か3泊のもの。それが何を思ってかたいした資金も持たずに始業式ほぼ前日までの大旅行に踏み出したのです。
 宿泊先は当初は立久恵峡にあったユースホステルで、そこを出た後は駅舎やバスの待合小屋で野宿をしたり、時には林間の避難所を利用したりしました。
 今のご時世からは考えられませんが、見知らぬ方のお世話になって泊めていただいたり、ご紹介を受けて訪ねたり、短期の手伝いで日銭をいただきながら過ごしたりと、方々にご迷惑をおかけして気ままにふらついていました。
 何がそんなものに僕をかりたてたのか特に理由らしい理由もなかったように思えます。漠然と「何かを変えられるかもしれない」とそれだけで、嫌になったらいつでも帰ってこようという程度の動機でした。
 しかし俗に言われる通りに、驢馬が武者修行にでたところで馬や麒麟になって帰ってくるわけではありませんので、驢馬は驢馬、うすのろのまま僕は帰宅したわけです。
 今でもあれで何かが変わったのかな?と思うこともありますが、僕の放浪癖に拍車をかけただけのような気がします。あの旅行以来、僕はいつでも「旅に出たい」という気持ちを棄てられなくなったのでしょう。

 あの僕自身の16歳の夏を思い出しながら一冊の本を引き出してきました。素九鬼子の「旅の重さ」です。
 全30章、すべてが16歳の少女から母親宛におくられた手紙の形式をとっています。その瑞々しい感性は今読み返しても健在に思えます。

 …じいっと耳を澄まして、目を閉じて、体を固くして腕組みをしていたの。するとどこからともなしに、りんりんりんりんという音がしてくるの。鈴虫かなと思っていると、それはわたしの体の内部からきこえてくるの。なおもそのまま身動きもせずにいると、わたしにははっきりと或るひとつのものが見えてきたわ。それはね、ふてくされたひとつの線なのよ。その線がね、わたしをとりまいているの。とりまいていると言ったって、ごく短い線なのよ。その線のとどまるところで風鈴が鳴っているの。りんりんりんりんと。わたしはここであの音を風鈴と書いたけれど、本当にあれは魂の風鈴だったわ。…

 旅の重さ・挿絵1 挿絵1

 この小説は、短篇「本の話」で第21回芥川賞を受賞した由起しげ子の書斎から発見されました。由起しげ子宛に指導や感想を乞うために送りつけられてきたあまたの原稿のなかにあったものです。それが彼女の死後、遺品の整理を任された文芸誌「作品」の編集長であった八木岡英治の手を経て出版の道を辿ります。しかし、ここで問題がひとつありました。それは作者が所在不明であったことです。新聞や雑誌などの紙面で呼びかけても著者との直接のコンタクトがとれず、一時は発刊を断念する手前までいきましたが、結局は著者不承諾のまま刊行されました。小説の巻末にはその顛末が添えられています。

 「(略)…直接、作者に接することなく、従って厳密な意味での合意もなく新人の小説を出版するということは異例に属するが、そのためらいのためにこの刊行を断念する気にはなれなかった。それだけの魅力と価値がある作品と信じて、あえて世に問う次第である。
 新聞広告その他で呼びかけたが、われわれは、いまだ素九鬼子さんとお会いできない。一日も早くこの未見の作者にお会いできることを念じている。編集部」

 その後、この小説が出版されたことは素九鬼子の知人伝えに本人の耳に入り、以後、短い作家生活がはじまることになります。
 彼女は、「旅の重さ」(筑摩書房)、「パーマネントブルー」(筑摩書房)、「大地の子守歌」(筑摩書房)、「烏女」(角川書店)、「鬼の子ろろ」(筑摩書房)と5冊の単行本を世に送り、昭和52年(1977年)の「さよならのサーカス」(筑摩書房)を最後に突如、作家活動を停止しました。

 …考えてもこらんなさい。この世にまたひとり苦しむ人間をつくりだすということが、いかに罪悪かということを。いつかママはわたしの部屋に来てわたしを抱いて、かわいそうにかわいそうにと言って泣いてくれたことがあったわね。しかし、それでは後の祭というのよ。殺してもらうわけにもいかずかといって自ら死ぬこともできず、うまれてしまってからではどうにもならない。自殺なんかできる人はまだ幸いですよ。そういう意思の弱い人は―(或いは逆かもしれないが)。そこへゆくと、死ぬことも生きることもできぬ人間くらいみじめなものはないわ。…

 虚無のなかから自分を変えようと、彼女は巣を棄てて生きることを選択するための旅にでました。そして、また巣に帰ってゆくのです。しかし、それは元の巣ではなく自らが生を欲するためのものなのです。

 旅の重さ・挿絵18-2 挿絵18-2

 この小説は松竹映画としても制作され、昭和47年10月、高橋洋子の主演で公開されました。

  




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