結城信一「文化祭」①

 「その人の傍にゐるだけで自分といふものが善良になるやうに思ふ、そういふ人がこの世の中に本当にゐるものだ。」

 これは童話作家であるH.C.アンデルセンの言葉です。
 結城信一の小説の中で展開される愛とはまさにこのようなものであるのです。
 男だから女を愛するのではなく、愛しいという気持ちが自分を清らかに平安なものにさせる。それは奪うことを知らない美への純粋な感傷にも相似していました。
 彼の抱くその愛の純粋さは小説中に描き出される「少女」に象徴されています。そしてそれは彼が求め苦悩するほどに孤独の陥穽に落ち、少女の純粋さを守るためにはその死を避けては通れないものとなったのです。

 「少女といふものは、いづれ誰かの手によつて奪はれるか、さもなくば、『死』によつて奪はれるか、その何れかだからである。」(「ルドン」への夢)

 結城信一は千葉と鎌倉を結ぶ動線上にいた作家です。そう言った意味での親近感もあって僕は好んで彼の小説を手にしました。

 結城信一 「文化祭」

 結城信一「文化祭」
(青娥書房、昭和52年初版、署名)

 「文化祭」は結城信一の自選短篇集です。昭和46年から50年にかけて発表された8篇を収録しています。
 簡単に粗筋をご紹介しておきます。
 
 ○「花のふる日」(昭和50年十月・群像)

 主人公の有田は寡作な画家である。
 ある日、散歩から帰る途中、自宅の手前で目の高さに咲く黄楊の花を見つける。雪が散り敷くように咲きこぼれた花は有田の心の有り様とも、有田自身ともとれた。

 …花に気づくのが遅かったのは、こちらの心の状態にもよるだらうが、あまりにも小さい上に、色が派手でもなく、またみだれることもしないからか…

 自分のアトリエもこの花に似ていはしないかと感じる有田。
 その有田のアトリエに訪ねてくる一人の女性がいた。50歳にかかった有田とは20以上の齢の開きがある由紀子である。彼女は好奇心からか、それとも別の感情からか有田に接近し、また近づくことを拒むように躱していく。そして、彼女は有田の作品を「うっすら暗い」という。
 有田は彼女から一冊の日記を取り上げる。そこには彼女の平凡な日常が綴られ、有田を訪問した時のことも当然、綴られている。
 日記を持ち歩くなど不自然ではないのか?なぜ、素直に取り上げられたのか?有田の疑問は巡り続ける。
 そうしたある日、彼女から一通の手紙が届く。それは「あの日記のことです。まだ持っておいででしたら、破いて棄てるか、燃やすかしていただきたいのです…」というものだった。
 
 ○「明滅」(昭和47年八月、婦人之友)
 河原はホテルで開催された錦鯉の品評会に足を運んだ。そこで総支配人の秘書をしている見富鈴子から招待状を受け取ったからだ。
 見富鈴子の印象について次のように語られている。

 見富鈴子の眼は、潤みを含んで大きくひらく。瞳はやや褐色の優しさを帯び、明るく艶めいてかがやく。その鯉の中にわづかな笑みでも滲みでてくると、河原はしばしば危ふくのめりこみそうになる。大きな鯉は語りかけてくるのではなくて、おもむろに誘ひこんでくるやうな静かな気配を示す。

 誘いこむような錦鯉の艶めきに似た鈴子に会うことは、彼にとって束の間の命の喜びとなる。「光にふれるだけでもいいのだ」と彼は思う。鈴子は暗に救いを求め続けたというのに、河原は自分を抑え続ける。そんな彼の耳に品評会の雑踏の間から言葉が投げつけられる。「見富鈴子が死んだ。」

 ○「夜の梅」(昭和49年十二月、風景)
 23歳で早逝した姉の一周忌について叔父を交えて話し合いが行われている。
 母親は「供養の場を宴会にしたくない」と主張し、父親と叔父は「親しい人たちに思い出してもらことで供養になる」と言う。主人公の「ぼく」は叔父のその言葉を光明を得たと捉え心根では賛同を送る。しかし、母親に「あなたはどうなの?」と迫られ、こう答えた。

 「お母さんの意見に賛成です。」

 姉の死、一周忌、そして、庭に植えられた梅の古木。それは幹の部分が洞のようになり樹皮だけで生きていた。一周忌の話をしたその雨の夜、庭にでて古木を眺める。支えている一枚の樹皮は「ぼく」の家庭において、そして、「ぼく」自身にとって何を意味しているのか。それは朧の夢のようであり、夢は破られなければならない。そして、それはいつでも唐突に来る。

 ○「白い落ち葉」(昭和46年四月、群像)
 啓一は奇妙な夢を見た。それは自分と自分が抱き合っている夢であった。彼等はそこで会話を交わす。

 《無理をしてまで生残るなんて、意味があるのかい》
 僕は素直に答える。
 《さうだとは思はないよ。ただぼくは、疲れてしまったんだ、何もしないうちに…。それならもう一緒になってもいい頃だらうか》
 《此処はおそろしく暗いぞ》
 《どんな風に暗い》
 《おそろしく暗いぞ》 

 啓一はそれを「自分の死の半身」だと意識する。その死の半身とは?

 啓一には数日前に死んだ姉がいた。啓一の母親から見れば唯一の肉親であった姉。啓一は自分を「家族」ではないと確信している。その彼にとって愛情の憧憬であり、対象であった姉の死は、そのまま彼自身の死を誓うものであった。

 姉と交わした最後の会話が谺する。

 「だって、其処まできてるぢゃない?あの車を消したい。抱かれたまま燃えてしまひたいのよ。地獄に落ちてもいいの。天国なんて、いつたい誰が考へたの?行けるひとは行けばいい。姉さんは地獄に落ちたい。たつた一度限りのいのちぢゃない?いま、姉さんのからだは白く見える?それとも赤いの?もう死んでゐるの?」
 
 姉は悲痛な最後の激情を啓一にぶつける。

 「姉さんがさう言うのなら、一緒に地獄におちるよ…」

 ○「椎林」(昭和47年三月、群像)
 都会の一隅にある森林公園。その中には樹齢500年を超える椎の極相林がある。
 極相林とは自然の手に委ねられた植物は遷移を起こし、最終的にその環境に最も適した樹木林を形成することを言う。それは人にとって何事もなければ理想の環境を与えてくれるはずのものである。しかし、主人公はこの林の静寂に神を見出し、恐怖を見出す。

 《…この静寂から巷の中に出てゆけば、そこには明るい闇がある。それだからこそ、この静寂がありがたいのだらうが、ここに浸りきることが恐ろしい。それにしてもこれらの樹木が醸しだす、不気味な静寂はいつたい何なのだらう…》

 椎林は人の心の深淵にも似る。そこに愛憎という闇が存在している。主人公はその闇を感じ取る。
  
 「あなたに、五千年、六千年、も生きてゐてほしいと、と思ふ。そのやうに祈つてきた。けれども、あと百年、いや五十年のいのちが、あなたにあるだらうか。まばたき一つほどのあひだに、あなたは立つだままの姿で、白い骨になつてゐはすまいか。私は今、ふと思つてみた。まばたき一つほどのあひだに…」

 極相林は時をかけて理想的な植生を形作った。主人公は公園の入り口で手渡された「公園白書」に目を落とす。

 《高速道路から園内に流れ込んでくる大量の排気ガスが、この公園の地形から言って、滞留するのにまことに都合よくできてゐるのは、極めて皮肉なことです。…(中略)…
 「極相林」が枯れはじめるのは、人間にとって最悪の環境であるといふことを、特に申し上げておきます》

 ○「束の間の幻影」(昭和49年一月、群像)
 木原は抑留生活から帰還した折、親友の沼崎から恋人であった江里子の遺品だといって半分だけのセーターを渡される。それは奇妙なことに縦に半分であった。

 「自分が死んでも、半分だけ死んだわけで、あとの半分は、木原さんの中に生きてゐる…」

 ついで沼崎も病に斃れ鬼籍に入った。
 木原はひとり生残る。彼は沼崎の死については目の当たりにした事実として受け入れている。しかし、江里子の死には現実感がない。その実感を、死の床にあった沼崎を見捨てた宮間佳子の呵責を引き出すために利用するが、彼女は見透かしたように取り合わない。
 
 時間に現実感を重ねることのできないまま木原は恩師のKを訪ねる。そこで彼を迎えに現れた女性は…。



スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

sidetitleプロフィールsidetitle

otosimono

Author:otosimono
全く役に立たない独り言です。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleFC2カウンターsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR